「憲法問題」と「日本外交」。

先週金曜日の夕方、霞ヶ関の某所にて、僕の地元の政治家の方が主催する会合があった。

その会合は何らかの形で「福島県」に縁のある方を対象としているものだが、当日の出席者には、現役の官僚や元官僚、弁護士、大企業の役員等、錚々たる方々が出席されていた。

お恥ずかしい話しで典型的な「落ちこぼれ」だった僕は「三流大学」しか出ていないが、僕が卒業した高校は地元では名門校で、開成高校や麻布高校等には遠く及ばないものの、毎年数名は東大の合格者が出ており、そういう先輩達がいることはありがたいことである。

さて、その会合のゲストとして、憲法学者の「小林 節」慶応義塾大学教授がお見えになっていた。

不勉強な僕は小林教授のことは存じ上げなかったが、憲法学者としては第一人者であるらしい。彼の話しは、とても勉強になる内容だった。

ここ最近の政界、というよりも日本では、テロ特別措置法が話題となっているが、小林教授の見解ではインド洋沖での「給油活動」は「軍事活動」に他ならないとのことだ。

戦争というのは、空陸海によって構成される。

米国とアフガニスタンとの「戦い」における「制空権」は、その軍事力により「米国」が握っている。陸軍は、ほぼ互角の戦いとなっているらしい。

そして、問題の「制海権」であるが、これは日本の協力のもと、米国が握っている。また、インド洋の当該海域は「海上封鎖」がなされており、小林教授によれば、これはどう考えても「戦時中」以外の何ものでもないとのこと。僕には難しいことは分からないが、国連による国際法だかがあるらしい。

という「状況」から判断すると、日本の「給油活動」は、どう考えても米国の「軍事活動の支援」に他ならないという。

次に、法的解釈はさておき、日本が米軍への「給油活動」を再開しないことにより国際社会における「発言力」なり「影響力(存在感)」が薄れるというマスコミ等の論調はおかしいと切って捨てていた。

日本は日米同盟のもと、沖縄等の米軍基地の費用を「100%」負担しているが、これは、国際的に見ると、かなりの例外であり、他には類を見ないという。

素人の僕でもそう思うが、日本のためと言いつつ、実際にはそんなことはなく、米国の利益のためであると言っていた。

米国にとって日本に「基地」があることは、前述の「制海権」を担保する上で、これほど大きいメリットはないという。

「地政学」的に見ると、日本は「中国」や「ロシア」や「北朝鮮」の目と鼻の下にあり、米国の基地がなければ、いつ何時侵略されても不思議ではないだろうとのこと。そういう意味では、もちろん、日本にとってのメリットが大きいことは論を待たない。事実として、北朝鮮によって日本国民が「拉致」されているわけであり、これは「侵略行為」に他ならない。

そして、そのこと(日米同盟)を理由にアメリカが日本に「米軍基地」を持つことはイコール太平洋を「アメリカの海」として守ることに繋がっており、これはアメリカにとって物凄いメリットである。

つまり、日本という「防波堤」がなければ、有事が起きた場合、カリフォルニア沖での戦いを余儀なくされるリスクがあり、ハワイは今のような平和な島々とはなっていない可能性があるとのこと。なるほどと思った。

また、このことは僕も書物等で知っているが、日本はアメリカの国債をごちゃまんと買い支えており、また、大量のドルを保有しており、それだけでも日本はアメリカに対する「外交カード」を持っているし、アメリカの経済に対して、とても大きな貢献をしていると言える。

そして、日本は誰しもが知るとおり世界第2位の経済大国であり、世界中の国々が日本という「マーケット」で商売をしているわけで、その日本という「国(マーケット)」が破綻することは誰も望んではいないということだ。

それにも係らず、憲法違反はするは、我々の血税の無駄遣いはするはではお話にならないというのが、小林教授の弁である。至極、同感である。

さて、これは僕の持論であるが、歴史教育は、そのやり方を「180度」変えるべきだと思う。

つまり、縄文式土器だと弥生式土器だのと、考古学者的なことを教えるよりも、最初に「第二次世界大戦」勃発の背景を教えて、その理由を紐解くという意味で、その前の時代背景を探る、そして、その前はというように時系列的に昔へ遡っていった方が「歴史から学べること=考えられること」が多いと思う。

何故なら、僕が卒業した中学校や高校だけかもしれないが、近代史になればなるほど、受験前で時間切れとか言って、そこに充分な時間が割かれていないからである。

戦争に対する日本の態度を子供達に教えたくないという「文部科学省」の戦略なのでは?と思いたくなるほどである。

ただひたすら年号を覚えても意味がない。

むしろ、国際社会での日本のあるべき姿を「考える材料(知識)」を与える方が遥かに意義があると思うのは、僕だけだろうか?

久しぶりの「ヨコハマ」。

疲労が溜まりに溜まっているせいか、ここ数週間は、やっとの思いで金曜日を迎えている。起業にしても、子育てにしても、若い時に越したことはないということを痛感させられる。

週末も子供は早起きだ。

DINKS時代であれば間違いなく、10時過ぎまで寝ていただろう週末も、7時頃には起こされる。さすがに疲れが取れない。

ここ2回連続で雨のためにゴルフがキャンセルになったのは、間違いなく「恵みの雨」だろう。

さて、今日は朝食を済ませた後、妻の高校時代の友人の家に、子供が生まれた直後に借りたままになっていた「ベビーカー」と「沐浴桶」を返しに行った。

本人の年齢的に、彼女の友達たちの子供は既に5~10才ぐらいになっており、倹約家の彼女は、友人たちの「お古」を借りたりもらったりしている。お陰で、子育て用具は殆ど購入していない。経済は活性化しないかもしれないが、モノを大切にすることは教育上も良いことである。

ところで、妻の友人に借りていたものを返した後は、横浜に向かった。

僕は自宅に帰って昼寝をしたいところだが、子供は元気が有り余っており、そのエネルギーを消耗させるために、どこかで遊ばせる必要がある。

いつも?どおり、砧公園に行こうかという話しも出たが、たまには違うところに行こうということになり、第三京浜に乗って横浜に向かった。港北ニュータウン等は別として、いわゆる「ヨコハマ」は1年ぶりだ。

話しは変わるが、先週のエントリーでも紹介した「MOOK」で、大前研一氏は「その維持費を考えれば、都心に住んでいる人はクルマは要らない」と言っていたが、クルマがあると、今日のように「予定外」の行動、それも、遠出を厭わないようになり、行動半径が格段に広くなる。それは大きなベネフィットである。

たしかに、都心でクルマを持つと、その維持費に「70~90万円(年間)」ぐらいはかかることになる。

僕自身、クルマを持つことは経済合理的に合わないと判断し、40才を過ぎるまで一度もクルマを買ったことがなかったが、考え方によってはペイすると思うようになった。

さて、ヨコハマでは「Yokohama Bay Quarter」なる複合商業施設に行った。

ヨコハマに行く度に、帰りの首都高速から眺めていて、気になっていた施設だ。

施設のすぐ前に運河が流れており、また、前方に横浜ランドマークタワーが立っていて、みなとみらい地区が一望できる。なかなかのスポットである。4階にあるハワイ料理のお店でランチを食べた。

3階には、ライブができるステージがあり、そこで、JAZZの演奏があった。プロなのかアマチュアなのかは分からないが、小春日和のヨコハマで、柔らかい音を奏でていた。僕らの子供は、その音に合わせて踊っていた。

こうして、家族3人で休日を過ごし、ゆっくり食事ができることに感謝をしている。

子供が生まれてから、こういう何気ないひと時に幸せを感じるようになった。

1日2ドル未満で生活する人々。~Bottom of the Pyramid~

世界には、1日2ドル未満で生活する「貧困層」が約50億人もいると言われており、そのような経済ピラミッドの底辺に位置する人々を「BOP~Bottom of the Pyramid~」と呼ぶそうである。

この「BOP~Bottom of the Pyramid~」という言葉は、シカゴ大学ビジネススクール教授の「C・K・プラハラード氏」によるものらしい。

彼は、英国「Times」誌が「The top 50 thinkers」として発表した、ビジネス界での思想家50名の「1位」だそうである。

因みに、その50名の中に日本人が1人だけ入っている。大前研一氏だ。アタッカーズビジネススクールのメルマガで知った。

さて、上記の事実にとても興味を持った僕は、「C・K・プラハラード教授」で検索をしてみた。

様々なサイトが出てきたが、その中に「フェアトレード」に関する公式サイトがあった。

僕にとって「フェアトレード」という言葉は、NPO法人ETICが主催するSTYLEという「社会起業家コンテスト」で優秀賞を受賞された藤岡亜美さんと深く結び付いている。

彼女は、明治学院大学を卒業後、ボランティアとして「エクアドル」でエコツーリズムのプロジェクトに参加、調査・研究・開発等を行った後、「slow water cafe」なる「フェアトレード」によるコーヒー豆を使ったカフェを法人化した、笑顔がとてもステキな方だ。

ところで、フェアトレードに関しては、「ナカタ」も関心を持っているらしい。

日本でのマーケットは、どのぐらいあるのだろうか?

社会的に有意義であり、且つ、収益性の高いビジネスを、何か手掛けたいと思う。

来年度は、足元の数字を固めつつ、将来のビジネスを見据えた「調査研究(R&D)」に力を注ごうと思っている。

「下積み」生活の楽しみ方?

物事を考えるとき、誰かと議論をするとき、言葉の「定義」が大切である。

例えば、「平等」という言葉と「公平」という言葉の意味はどう異なるのか?そのことをきちんと「定義」しなければ、議論が噛み合わないリスクがあるし、自分の考えを整理できない可能性がある。

では、今日のテーマである「下積み」の定義はどのようなものか?

簡単に言うと、「商業的に成功するまでの時期=苦労をしている時期」と僕は定義している。

さて、そういう僕は「下積み」生活が長かった。さらに言えば、今も「下積み」生活を送っている。

しかし、最初の会社(初めての起業)の頃(下積み)と較べれば、かなり「マシ」な下積み生活である。

そして、けっこう楽しんでもいる。

それは、なぜか?というと、実現したいことがあるし、少しずつではあるが、前に進んで行っているという実感があるからだ。優秀な仲間も増えてきているし・・・。

ところで、あることで久しぶりにプレスリリースを出すことになり、参考資料としてインタースコープ時代のリリースを検索していたところ、元グロービスの小林さんのブログが出てきた。僕がインタースコープを退任したことに絡んでのエントリーだった。

昨日のエントリーで紹介したルイ・ヴィトン日本法人の創業社長でもある「秦郷次郎」さんの話しにもあるように、「やりたいこと」があるというのは幸せなことだし、そのことのための「忍耐」や「下積み」生活は、避けては通れないだろう。

話しは変わるが、臨床心理の勉強をしている妻が、こんなことを言っていた。

「(何事も)切りがないでしょう。ひとつのことを達成しても、また、次にやりたいことが出てくるだろうし、それを達成するには今の自分では出来ないレベルのことが求められるでしょう。相手(周囲)の期待も高くなるだろうし・・・」。

そう考えると、いつまで経っても「下積み生活」が続くということか?

「勇気」と「忍耐」。

昨晩は、ある方の「還暦祝い」を兼ねて会食をした。

ある方とは、僕が20代の時に勤めていた外資の広告代理店での間接的な上司にあたる方で、インタースコープの創業時に、個人株主のひとりとして出資してくださっていた方である。

昨晩は、僕の親友でありドリームビジョンの株主でもある佐藤裕氏も一緒だった。

僕の元上司と佐藤裕氏とは、ゴルフを介して紹介し、それから、彼らは���事上でも接点ができ、こうして、3人での付き合いに発展している。

その会食の帰り道のことだが、裕が僕に、「迎合して欲しくないんだよね」と言った。

それは、ドリームビジョンの経営がまだまだ軌道にのっていないことを心配してのことだが、だからと言って、とにかく「売上と利益」をあげさえすればよいということではなく、「平石の拘りを大切にして、その拘りのもとで売上と利益をあげて欲しい。そうじゃないと俺は認めないし、そうでなければ、あそこまで行ったインタースコープを退任してまで創めた意味がないでしょ」ということだ。

とてもありがたいことである。

ところで、今週の月曜日、渋谷でのアポの後、ちょっと時間があったので、東急プラザの紀伊国屋書店に立ち寄った。

そこで、たまたま見つけた講談社から出ている「セオリー」というムック(MOOK)を購入した。

テーマは、「上質な人生」。

各界の実力者たちの「生き方」を取り上げている雑誌だが、その中のひとりとして、ルイ・ヴィトン日本法人の創業社長でもある「秦郷次郎」さんという方が紹介されていた。

彼の言葉に、「人生に必要なのは、『勇気』と『忍耐』だと僕は思っています」という一節があった。

ここでいう「忍耐」とは、「仕方無しに我慢してやることではなく、やりたいことをやるための忍耐」であり、「勇気を持って、やりたい人生に踏み出す。そして、実現できるまで、忍耐で踏ん張る」と説いている。

そして、だからこそ「勇気」が意味を持ってくるとも言っている。

裕が僕に言いたかったことも、そういうことだろう。

とても良い言葉を教わった。

僕の人生の座右の銘に加えようと思う。

「言葉の力」は偉大である。

「ギターの神様」が絶賛する原宿のレストラン。

僕は中学高校時代、いわゆるバンドを組んでいて、ギターを弾いていた。

当時の僕のヒーローは、ロック少年なら誰でも憧れたエリック・クラプトン、ジミ・ヘンドリックス、リッチー・ブラックモア、ジェフベックといったギタリストだった。日本人では、チャーこと竹中尚人の大ファンだった。

さて、今日は会社のスタッフと、ギターの神様と言���れる「エリック・クラプトン」が来日時に必ず立ち寄るという原宿のあるレストランにランチに出掛けた。

レストランと言っても、「定食屋」のようなお店である。

このお店の存在は随分前から知っていたが、そのうち・・・と思って、行かずにいた。

先週、とある時に、泉谷というスタッフにその話しをしたところ、「平石さん、出来ることからやりましょう。すぐにやりましょう」ということで、早速、本日のランチタイムに出掛けてみた。

なるほど、クラプトンにとっては「日本情緒」溢れる空間なのだろう。

人の良さそうなおやじさんが一生懸命に料理をつくっていた。

今日は、特にオチがなく、失礼!!

「中田英寿」責任編集。それは、「美しい」と思える選択か?

先週の土曜日はゴルフの予定だったが、生憎の天候でキャンセルした。ちなみに、雨によるゴルフのキャンセルは、これで2回連続である。間違いなく、何かのメッセージだろう。

以前の僕だったら、一緒に行くメンバーが躊躇しても、僕は「晴れ男」だからと言って強行していたと思うが、年齢のせいかどうかは別として、風邪をひいてしまうリスクを負ってまで、雨の中でゴルフをする理由はないと思うようになった。

ところで、ゴルフをキャンセルした土曜日は、子供を保育園に送った後は、昼寝をしたり、テレビでゴルフ中継を観戦をしたりと、久しぶりに、休日らしい休日を過ごした。

日曜日は、子供を「こどもの城」に連れて行った。僕達夫婦は疲れていたが、子供は元気でエネルギーを持て余しており、さすがに、ずっと家にいるわけにはいかなかった。

そんなことで、僕は久しぶりに「静かな土曜日」を過ごしたが、夕方、保育園に子供を迎えに行く前に、ある雑誌を買いに本屋に出掛けた。

ある雑誌とは「クーリエ・ジャポン」という、世界中の記事を抜粋し編集した雑誌である。

今月号は、その創刊2周年記念として、元サッカー日本代表の中田英寿の「責任編集」という形で特集が組まれていた。

ところで、僕の従姉妹(正確には、妻の従姉妹)は、中田のマネジメント会社の役員兼彼のマネジャーをしており、中田には、一度だけ会ったことがある。彼女のお兄さん(僕にとっては義理の従兄弟)の結婚式に、お忍びでお祝いに来てくれた時だった。

当時、まだ、健在だった妻の母は、とてもはしゃいでいて、中田と腕を組んで写真に納まっていた。妻の母とは8年という短い付き合いだったが、その時の彼女の嬉しそうな表情は、今でも鮮明に覚えている。とても無邪気な少女のようだった。

さて、その「ナカタ」であるが、つい先日、僕の知り合いの会社に表れた。世の中、狭いとはこういうことを言うのだろう。ひょっとしたら、何らかの接点が持てるかもしれない。

ところで、先日、僕が20代の頃に働いていたコンサルティング会社時代の上司にと会った。1年ぶりぐらいだっただろうか・・・。その上司からもらったメールに、こんなことが書いてあった。

「イギリスのある数学者の言葉に、『自分が考えたアイディアを美しいと感じるか?正しいアイディアは美しいと感じるものの中にある』というようなものがあります。何かに迷ったら『それは自分の生き様に照らして美しいか?』と考えてみて下さい。たぶん、より後悔の少ない選択が採れるはずです」。

藤原正彦さんも、ご自身の著書である「国家の品格」で、その話しをしていた。とても考えさせられた。

話しを「ナカタ」のことに戻すと、彼は、20代にしてサッカー界を引退する際、「プラス面もマイナス面も考えた上で決断した」らしいが、彼の「生き方」に照らして「美しい決断」だったのだろう。

レベルは違っても、僕もそういう生き方をしたいと思う。