まずは「現在地」を測定する。

今日は、とても楽しい時間を過ごすことができた。

ファニーズという、名前のとおりオモシロイ会社(映像制作)を経営している中道さんという方と、ついこの間まで学生起業家だった銭本さんという方と、久しぶりに会って食事をした。

銭本さんとは彼が学生の頃、ETICのイベントを通じて知り合って以来、かれこれ3年ぐらいの付き合いになるが、中道さんとは昨年の夏、銭本さんを通じて知り合い、じっくりと話をしたのは、今日が初めてだった。

詳細は割愛するが、色々な本を読み、学校に通って勉強したり、自分自身で色々と考えても、なかなか目標に到達できない理由のひとつ(おそらく、かなり大きな理由のひとつ)は、目標なり目的地は明確になったとしても、自分自身の「現在地」を測定(明確化)できていないからではないか?という話になった。

た���かに、現在地が分からない(迷子のようなものだ)のでは、目的地までの距離も方向も難易度も分からないわけで、徒歩でも行けるのか?自転車ぐらいは必要か?それとも、クルマか、あるいは飛行機でないとシンドイのか?「手段」も特定できないことになる。

ひょっとしたら、手持ちのガソリン(材料)では、目的地には到達できない位置にいるかもしれない。

登山であれば致命傷である。

こうして書くと当たり前のことだが、自分自身の現在地を正確に把握していないことが多い。

僕自身も含めて・・・。

「想い」や「情熱」がないのであれば、やめた方がいい。

巷を騒がせている「Groupon」系サービス(フラッシュマーケティング)だが、業界筋の情報によると、既に60社以上が参入し、準備中のところを含めると、時間の問題で100社を超える勢いのようだ。

僕らがインターネットリサーチに参入した頃の状況と酷似している。

当時とは時代環境も違うし、ビジネス自体が異なるで、一概には言えないが、おそらく、数年後にまともに残っているのは、せいぜい10社だろう。

さらに言えば、仮に、このモデルが10年続くとして、そこまで存続できるのは、3~4社だろう。

つまり、大多数は、淘汰されるということだ。

でも、当の本人達は、そんなことは考えず、千載一遇のチャンスと思ってビジネスに取り組んでいるはずである。

僕たちがインターネットリサーチの事業開発に着手して暫くした1999年頃、日経マルチメディア(だったと思う)でインターネットリサーチ特集があり取り上げていただいたが、その当時で既に30社以上、2002年に設立したインターネットリサーチ研究会(インフォプラント創業者の大谷さんと僕とで設立した研究会)で調査した時は、100社以上のプレーヤーが参入していた。

現在、それなりの規模感で残っているのは、マクロミル(マクロミル+インフォプラント+インタースコープ)、クロスマーケティング、楽天リサーチ、マイボイス、そして、従来型調査会社のインテージのインターネットリサーチ部門ぐらいだろう。

因に、1999年時点で先行し注目されていたのは、DR1(ビッグローブ系)、Hi-HO(松下電器産業)、KNOTs(ADK)、iMiネット(富士通総研)、日本リサーチセンター、電通リサーチ、日経リサーチといったプレイヤーだったが、生き残ったところは、前述のとおりである。

ところで、僕は今、Groupon系サービスに関しては「傍観者」の立場で冷めた目で見ているが、10年前の僕は、100社の中で生き残れると確信してビジネスをしていた。

棒にも箸にも引っ掛からなければ論外だが、ある程度の実力を持っているとすれば、生き残れるかどうかは、自分たちを信じて、並大抵以上の努力を続けられるかどうか?のような気がする。

そのビジネスに対する「想い」の強いところが、人並みはずれた「情熱」を注いでいるところが、勝つということだ。

逆に言えば、その「想い」や「情熱」がないのであれば、やめた方がいい、ということである。

僕にとっては人材紹介業がそうだったように、大怪我をするのが落ちである。

「経営判断」と「顧客満足」。

昨日は、甥の結婚式で上京してきていた母親を迎えに行き、末弟家族も合流し、白金台の「八芳園」で昼食を食べた。

この暑さは「想定の範囲外」だっただろうが、何組ものカップルが挙式をしていたようで、都心とは思えない「素晴らしい庭園」には、入れ替わり立ち替わり、新郎新婦と親族の姿が見られた。

その素晴らしい庭園を見下ろせる日本食レストランで食事をするはずだったのだが、僕たち「8人」の予約が入っていない・・・という、お店側の手違いがあった。

代替案として、洋食のレストランに席を確保していただいたが、それなら、隣のRadison都ホテルの日本食レストランに行った方がいいと思い、お店の方に確認してもらったところ、生憎、満席。

どうしたものか・・・と思案していたら、支配人の方が、ブログにその内容を書くのは憚られるほど、とても粋な計らいをして下さった。

結果的には、素晴らしい庭園も満喫でき、美味しい食事も堪能することができた。

母は、あまりに申し訳なく思ったようで、我々のお土産に持ってきていたお菓子を、支配人の方に渡していた。

僕の妻は、八芳園から程ない高輪台で生まれ育ったこともあり、そのレストランには幾度となく来ており、僕も、どうせ食事をするなら素晴らしい庭園が堪能できた方がよいということで、久しぶりに誰かと会う時や法事の後などに、しばしば利用させていただいている。

僕たちの様子や会話から、そのことを察し、リピート顧客を失ってはいけないという経営判断だったのだと思うが、人間は、自分の想定(期待値)を上回る対応(サプライズ)によって、相手に対する信頼や好感度を強固なものにしていくのだろう。

ところで、その支配人の方と末弟の会話を聞いていて知ったことだが、八芳園は、明治の末期には「渋沢喜作」が所有し、第一次大戦後、一躍、新興財閥に仲間入りした日立製作所の創業者「久原房之助」が購入し、現在に至っているらしい。

詳しくは、ウェブサイトの「八芳園の歴史」を参照されたし。

さて、大きなミスを禍根として残してしまうか(リピート顧客を失うか)、こうして、頼まれたわけでもないのにブログで紹介することになるか(さらにファンにしてしまうか)、経営判断とはそういうことなのだろう。

とても勉強になった昼食だった。

蒲田東急プラザで考える日本の未来。

甥の結婚式で上京してきた母親を迎えに東京駅に行き、そのまま、蒲田の式場まで送って行った。

蒲田は今から20年前、ある仕事で頻繁に通っていたが、普段の生活では縁がなく、何年かぶりだった。

駅ビルの東急プラザは、当時と大きく変わった様子はなく、失われた20年を象徴しているかのようだ。

でも、次の20年は、変わらずにはいられないだろう。

これだけ経済のグローバル化が進み、日本は少子高齢化で人口が減る。

つまり、グローバルなコスト競争に巻き込まれている上に、市場が縮小する。

ミクロな点では、ユニークな商圏を築いてきた蒲田のデモグラフィクス(人口動態、属性)も、大きく変わるだろう。

2020年、このまま行けば、日本の財政は破綻し、IMFの管理下に置かれている可能性も否定できない。

その時、僕たち家族は、どこで何をしているのだろう?

iPhoneからの投稿

徹底的に「若者」に投資すべきである。

8月に引き続き、9月も平日はブログ更新皆勤賞を狙っていたが、昨日は、妻方の伯母の告別式でほぼ終日、慌ただしくしており、残念ながら皆勤賞はならなかった。

さて、今日の午前中は、投資先のイミオでの経営会議があった。

創業5年目の今年は、数ヶ月前に第三者割当増資を行い、事業構造も大きくReDesignしたが、今日はその後の経過をレビューした。

創業者の倉林さんは、僕が直接知っている20代の経営者の中では間違いなくトップクラスで優秀だが、それでも、はやり、やってみないと分からないことが多い。

「選択と集中」という言葉は、経営学を勉強したことのない人でも、その意味することは理解できると思うが、理屈や「頭」で理解することと、その「本質」を「実感」を伴って理解することは、まったくもって異なる。

僕が法政大学ビジネススクールでお世話になっている小川先生が「本人が納得するかどうかが一番大切だよ」と仰っているが、まさしく、そのとおりであり、それは僕に関しては勿論、倉林さんであっても、課題に直面して初めて、理屈や理論の意味を理解する。

勝負を決めるのは、どれだけ早い時期に、言い換えれば、最小限の経験(失敗)で、最大限の「学び」を得られるか?ということである。

僕は、それが遅かったが故に苦労をしているわけで、そう言う資格はないのだが、でも、見方を変えれば、その経験があるから、倉林さんや沼田さん(取締役)に、アドバイスができていると思えば、無駄な経験ではなかったということだ。

さらに言えば、僕自身が味わっている苦労と周囲にかけた迷惑から学んだことを、よりいっそうのレバレッジをかけて活かさないといけないし、活かせるように、もっともっと勉強しようと思う。

ところで、イミオでの経営会議の後は、健康のため、青山一丁目の顧問税理士のオフィスまで歩き、その後は、外苑前のオフィスまで歩いた。

外苑前のオフィスに向かう途中、ワンフロア約35坪のオフィスビルが、テナント募集の看板を出していた。

青山通りに面しており、外苑前の駅から至近で、ビルの程度もそこそこにも関わらず、数フロア、空いているようだった。

賃料にもよるだろうが、ネットバブルの頃であれば、ほぼ間違いなく、埋まっている物件である。

日本の産業構造なり経済情勢(情勢ではなく、構造的な問題である)を物語っている光景だった。

日本の国家予算(平成18年度。探せば、今年度も資料も公開されているだろう)の約25%は「社会保障(保険や年金等)」で、その約半分は「年金、老人医療給付費」である。

そして、文教および科学振興費は「6.6%」。そのうち、子供の「教育」に投じられる予算が、約半分だとして、3%強。

要するに、高齢者に厚く、若者に冷たい国だということだ。

僕は最近、つくづく思うが、やはり、10代20代の時に「見聞き(勉学)」したことの「広さ(多種多様さ)」と「経験」が、その後の人生の「OS(Operating System)」の基盤を築くのは間違いない。

徹底的に若者に投資すべきである。

明日死ぬと思って、今日を生きる。

急に、虫の声が大きくなった。雨があがって涼しくなり、虫たちも元気になったのだろう。

明日から、また暑さが戻るようだが、季節が進んだことは間違いない。

ところで、今日は妻方の伯母のお通夜があった。

熱中症のような症状で入院したらしいが、ベッドで寝たきりの生活で一気に体力が弱ってしまったようで、残念ながら、帰らぬ人となってしまったそうだ。

伯母とは、それほど接点があったわけではないが、とてもはっきりした性格の人で、妻方の親戚の中でも、存在感のある方だった。

その伯母のお通夜に参列しながら、この先の自分の人生を考えた。

スティーブ・ジョブスのスタンフォード大学の卒業式でのスピーチを思い出した。

毎日毎日、明日死ぬと思って、今日を生きる。

鏡に向かって、明日死ぬとして、今日の予定は本当に自分がやりたいことだろうか?という自問自答を繰り返して毎日を生きる。

そうすれば、必ず、自分の生きたい人生が送れるはず。

彼は、そう言っている。

50歳まで、2年と7ヵ月。

「ずいぶん遠くへ来たもんだ」と思う反面、「人生は短い」と感じる。

今日の予定は、他人の目や社会の価値基準でははく、自分自身の価値観に則って、僕が本当にやりたいことか?

これからは、その問いを毎朝、自分に向かって投げかけよう。

伯母が僕にくれた「ギフト」だと思って。

「夢」は、口に出して言ってみる。

栗木史多(くりき のぶかず)さんの「一歩を越える勇気」を読み終えた。

何と言っていいか、凄い人だとしか言いようがない。

何に対してもカッコつけない人なんだと思う。

本当に「芯」が強くなければ、そこまで自分をさらけ出せないだろう。

ところで、彼の著書からもらった勇気(勢い?)を借りて、読み返そうと思っていた、ある書類に目を通した。

書類の日付は、2009.12.04。

ちょうど昨年の今頃(ひたすら本を読むのが日課だった)、この先の人生のことで思い悩んでいた時に、とあることで法政大学の小川先生から電話があり、相談に伺った時に「本を書いたらどうですか?」と言われて、僕なりに書きたいことをまとめたものだった。

そのメモをもって再度、相談に伺った際は、栗城さんのような命を懸けてエベレストへの単独・無酸素登頂を目指しているような人なら話は別だが、僕のような人間が、自分自身の経験をもとに本を書いたところで、いったい何になるのか?(自己満足に過ぎないし、仕事には繋がらない)と思い、結局、原稿を書くことはしなかった。

でも、自分の中で、何かが引っ掛かっていたのだと思うが、小川先生からコメントを頂いたそのメモは、大事にとっておいた。

RE:出版(企画案)

目的:起業を通じて学んできた「暗黙値」を「形式値」化することにより、キャリアや人生そのものに悩む人たち(主に20代~30代)に、これからの人生を生きる上でのヒントを提供する。
(→実際は、自分の経験を振り返り、自分自身に言い聞かせているようなものだ/笑)。

形式:自分が学んできたことを、ひとつずつのメッセージにし、そのメッセージの意味することと、それを学んだ背景を解説する。

内容(メッセージ案):

1. 自分を知る。

自分の性格、才能のあること、才能のないこと、
好きなこと、嫌いなこと、
恐れていること、自分の成長を阻んできたこと、etc.

2. 目的と手段。

いつの間にか手段が目的になる。
「起業は手段」であり、目的ではなかった。
しかし、そこそこの成功が、手段を目的に変えてしまった。
そのことに気づけなかったことが、大きな失敗に繋がった。

3. 現実を知る。

自分が成し遂げたもの。自分が持っているもの。
自分が失ったもの。自分が持っている能力、友人、恩師。

4. 捨てるものを決める。

あれもこれもは無理。
「大切なものを捨てる」勇気を持つ。
その前に、自分が大切だと思っているものが、本当に大切なものなのか?
そのことをよく考える。

5. 伸ばすものを決める。

好きなもの。努力が苦にならないもの。
そのことでおカネを稼げるもの。
おカネは稼げなくても、それ以外の何かを得られるもの。

6. 個人(趣味)ならできるもの。仕事(他人に責任を持つ)でもできるもの。

自分のためならできることと、
他人のためにもできること(責任を持てること)は必ずしも一致しない。

7. エゴを捨てる。

自分は誰の役に立てるか?

8. 最初から無いよりも、一度得たものを失うのはもっと辛い。

リスクは顕在化すると覚悟する。
失敗した時のダメージを事前に考える。

9.「世の中の流れに乗って何かを変えるきっかけを創ることはできても、
 ひとりの力で世の中を変えることはできない(イチロー)」。

自分の力を過信してはいけない。失敗する。

10. 自分のスタイルは変わる。そのことを恐れない。

気持ちも変わるし、能力も変わる。
経験から見えることもあるし、見えることにより、
怖くなってできなくなることもある。

11. 失敗しても、トラックレコードは消えない。

自分が成し遂げてきたことまで無意味だと思わない。

12. やりたいことが出てくるまでは、何かを無理に始めない。

自然の流れに身を任せる勇気を持つ。

13. 潮時を知る。

盛者必衰の理を知る。足るを知る。感謝をする。

2009.12.04 平石郁生

ところで昨晩は、こう書くと、その手の事情に明るい方であれば、その方がどなたか容易に推測できると思うが、シリコンバレーでスクラッチから事業を興し「NASDAQ」にIPOを果たした唯一の日本人(その方以外では、既存のビジネスを米国で展開し、NASDAQにIPOさせた日本人はいるらしい)と、都内の某所でお会いした。

法政の田路先生のご紹介でお会いしたその方は、表情と話す内容から、鋼のような精神力の持ち主であることが伝わってきて、これから取り組もうとされていることのスケールには、ただただ聞き入るしかなかった。

その方がやろうとされていることと較べたら、とても小さなことだけど、僕がこの先の人生でやりたいと思っていることがある。

それは、大学生(20代の社会人も入れてもいいが、若いほど、伸び代があるという意味だ)を対象とした「投資」の仕組みを創る、というものだ。

これは、法政の田路先生から聞いた話だが、シリコンバレーのスタンフォード大学には、学生向けも社会人向けも含めて、様々なサマースクールのようなものがあり、そこに、少数だが、日本の大学生も行っているそうである。

その中のひとり、ある慶応の学生に田路先生が聞いたところ、他大学の学生にも声をかけて、自分たちで「起業のための勉強会」のようなものを運営しているらしい。

僕がやりたいと思っているのは、そのような優秀でやる気のある大学生を対象とした「起業家養成講座」のようなものを主催し、四半期ごとに事業計画を発表してもらい、優秀な人物(プランも大事だが、人物の方がもっと重要である)には、シードマネーを投資する、という実にシンプルなものだ。

問題は、投資した資金を回収できるのか?ということである。

仮に、四半期ごとに「500~1,000万円」ずつ投資するとして、年間2,000~3,000万円。10年続けると「2~3億円」。

起業家養成講座の講師や会場費等の諸経費が年間1,500~2,000万円ぐらいだとすると、投資資金と合わせて、10年で「3.5~5.0億円」である。

僕は、10年で計40人に投資をすれば、その中から、3~4人は成功する人が出てくると思っているが、それを組織の中で説得することはできないだろう。

そうなると、僕がやりたいことを実現するには、成功した創業経営者に「スポンサー」になってもらうしかない。

そのスポンサーを見つけて、学生&20代に限定した起業家養成講座を実現させることが、僕の「夢」である。

栗城さんに触発されて、遂に、自分の「夢」を告白してしまった。

本当にできるだろうか?と思うけど、あとは、実現に向けて、一歩ずつ、進んで行くしかない。