実家で弁護士事務所を経営している次男、世田谷に住む末弟家族、僕たちの養母(父が再婚した母)、そして我々家族。
40年前は、僕たち兄弟が「子供」で、両親と父方の祖父母という構図だった。
40年前の日本のGDPは134兆円。第一次オイルショックで一時的に経済が落ち込んだものの、それまでの10年間でGDPの伸長は100兆円。
しかし、小学生だった僕たちには、そのような事実は知る由もなかったし、そんな実感は無かった。
僕は1963年、東京オリンピックの前年、まさに日本が高度経済成長期に入った時、福島県郡山市に生まれた。
当時の我が家は「昭和の大家族」で、父方の祖父母、父母、父の妹2人のところに僕が生まれた。
その2年後、次男が生まれ、さらにその5年後、三男が生まれた。
父が生きていた頃は毎年、父の兄弟が我が家に「里帰り」に来て、賑やかなお正月だった。
僕は密かに、お年玉の額で親戚を格付けしていた… :-)。
母は僕が15歳の時、父は24歳の時、亡くなってしまい、僕たち兄弟は心細い想いをしながら人生を歩んできたが、こうして子供たちが楽しく遊んでいる姿を見ると、着実に時間が流れたことを実感する。
祖父母も父母も亡くなってしまったが、多少、それが早かっただけで、それが自然の摂理ということだ。
これからは、自分たちが、父母、そして祖父母の役割を担っていくことであり、その幸せに感謝しよう。
そう想ったお正月だった。
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