あれは僕がまだ起業して間もない頃、ベンチャーとは言えない、どこにでもある零細企業を細々と経営していた頃だった。
まだギリギリ20代だったか30歳になったかの年末、新宿西口のセンチュリーハイアットで、人生で初めて作った会社の共同発起人であり、その後、数年間、一緒に経営をしていた堀水克年氏(現在は株式会社ダイアログマーチャンダイズを経営)と2人でMTGをしていた時だった。
いつかビジネスで成功し、それなりの社会的立場になり、金持ちになったとしても、白いTシャツとGパンで、こういうホテルで食事をしたい、つまり、体制側の人間にはなりたくないと思っていた。
あの頃の自分が夢見た成功も社会的な立場も実現していないが、当時の自分が抱いていただろう感情は、今の自分の精神構造とそれ程大きくは変わらないように思う。
自分で言うのも何だが、一見すると、僕は世の中で言う「人の良い人」だと思う・・・。頼まれると嫌と言えないし、他人を助けない自分は好きではない。しかし、頼まれたことを優先し、自分が思い描くスケジュールどおりに事が運ばず、時間が足りなくなると、イライラする・・・。尚且つ、54歳の自分は体力も衰え、20代30代の頃のようには仕事ができない。でも、むしろ、やりたいことはたくさんある。尚のこと、時間が足りなくなる・・・。
でも、すべては自業自得である。嫌なら断ればいいし、誰かに強制されているわけではない。自分で選んだ結果である。
つまり、他人を助ける人でありたい(他人を助けない人間は冷たい)という自分の価値観を守るか?自分の予定を優先するか?の間で、自分の価値観を優先しているだけのことだ。
それなら立派だが、自分の感情と素直に向き合うと、そこには、誰かに頼まれたことを断った場合、自分が何かを頼んだ時にも断られるだろう?とか(まあ、その可能性はあるだろう)、何かのチャンスを失うのでは? という自分がいることが分かる。
自分の価値観に基づく生き方を実践したいと言えば聞こえはいいが、人から嫌われたくないし、すべてのチャンスを逃したくない、という、「小心者」で「自己中心的な人間」なのだ・・・。
ところで、ドラッカーは「成果を上げる人間は仕事から入るのではない。『時間』から入る」と言っている。
大きな仕事を成し遂げるには、そこまで大きなことでなくても、集中力が要求され、それなりの難易度の仕事をするには、まとまった時間が必要なのは、僕がこうしてわざわざブログに書くまでもない。細切れの時間では、大したことはできない。
「あれもこれもは虫が良すぎる」ということだ。
つまり、自分のキャパシティではすべてを追いかけるのは難しいのであれば、何かを得るためには、何かを捨てる勇気が必要だ。
もし、何も捨てたくないのであれば、それほどまでして成し遂げたいことはない、ということである。
ところで、今回のエントリーの「おカネにならない仕事」であるが、このブログを書くことも(仕事ではないが)、少なくとも直接的にはおカネにはならない。
でも、こうしてブログを書く理由は、自分が考えていること、その時の自分の「感情」と向き合うことで、自分の精神状態を諌める(安定させる)ことができるからだ。
不思議だが、こうして言語化していくと、「焦っても何も進まない。ひとつひとつ目の前のことに取り組み、一歩一歩、進むしかない」と思えてくる。
ドラッカーはこうも言っている。「人は1年でできることを過大評価し、5年あればできることを過小評価する」。
過去の今日を振り返るfacebookの機能で、昨年の今日書いたブログを読み返した。仙台で開催されたJVCA(日本ベンチャーキャピタル協会)の会合で、慶應義塾大学先端生命科学研究所を立ち上げられた「冨田 勝」教授にお会いした時のことが書いてあった。
冨田教授が紹介されていたことだが、福沢諭吉は「世の中の目を気にするな。自分が信じたことをやれ。そうして世の中を変えていけ」という趣旨のことを言っていたらしい。
「終わっていない宿題」を成し遂げるには、焦らず、無理せず、一歩一歩、進んで行くしかない。
頭では分かっていても、焦ってしまい、心が落ち着かなくなったら、また、ブログを書くことにしよう。
※洗濯物を干し終わった後。我が家の屋上から。2017年11月3日。