伝説のネットベンチャー「イエルネット」創業者の本間さんからメールがあり、明日(テクニカルには今日)の朝、都内の某ホテルで朝食をご一緒することになった。
本間さんとは、僕がインタースコープを創業して間もない頃、NPO法人ETIC主催のインターンに関するシンポジウムでのパネルディスカッションで初めてお会いした。
当時の彼は中央大学の学生。要するに学生ベンチャーの創業社長だった。
僕より10歳年下の彼の圧倒的な存在感に「こんな凄い奴がいるんだ・・・」と思ったことは今も鮮明に憶えている。
ところで、彼のfacebookへのポストに触発され、The Stylistics の名曲「I can’t give you anything, but my love…」を久しぶりに聴いた(歌詞を知りたい方はこちらも視聴されたし)。
1975年。その曲のプロモーションビデオのロケ地は今から36年前のNew York(因みに僕は、1986年に初めてNew Yorkを訪れ、そのカルチャーとスケール感に圧倒された)。
音楽がなければ、彼らは一生、貧しいままの人生だったに違いない。
でも、音楽というキラーコンテンツのお陰で、彼らはマンハッタンのビルの屋上でプロモーションビデオの撮影ができるようになった(何のエフェクトもなく極めてプリミティブでシンプルな映像だが、そこには躍動感がある!)。
僕はそういう人生を送れる人をひとりでも多く産み出せる社会にしたい。
そういう僕自身、高校受験に失敗し、仕方なく、二次募集で意にそぐわない高校に入学したものの、3ヶ月で「中退」。
翌年のリベンジを誓い予備校に通うも、受験日の2週間前に最愛の母が他界(享年46歳)。
母のお陰か、幸いにもリベンジには成功したが、地元有数の進学校の生活に馴染めず「落ちこぼれ」。中学時代から始めた音楽活動が心の支えだった。
三流大学に進学し、親の臑をかじりながらミュージシャンを夢見るが、幸いにして才能がないことに気づき、俳優志望に転身?。
ある劇団のオーディションに合格するも、またしても、その道で勝負する勇気を持てず、タレント年鑑の撮影をスッポカし、事実上、断念。
その年、父が他界(享年56歳)。
モラトリアムなサラリーマン生活をスタートしたにも関わらず、気がついたら起業。
実力がなかったのが最大の原因ではあるが、既得権の壁を実感し、鳴かず飛ばずの人生を送っていたところに「ネットバブル」が起こり、千載一遇のチャンスをゲット!
創業に参加したウェブクルーは2004年に東証マザーズに上場。
社長として創業したインタースコープはIPOは断念するも、2007年にYahoo! JAPANに売却。あのジェリー・ヤンに評価されたわけでもあり、身を粉にして働いた苦労は報われた。
「運」を実力と勘違いして創業したドリームビジョンは大失敗をしでかすも、理解のある温かい株主に支えられ、今もこうして何とかやっている。
「権力者」が「嫌い」で「挑戦者」が「好き」な理由は、そんな自分の生い立ちにある。
ところで昨晩、帰宅後、執拗に「I can’t give you anything…」を聴いている僕に痺れを切らし、「お父さん、どういう歌なの?」と子供が訊いていた。
「『僕は貧乏でプレゼントを買うお金もないけど、君のことが大好きだよ!』という歌なんだよ」という僕の説明の意味を理解できたかどうかは分からないが、彼が大人になって、人生に悩んだ時、相談したいと思ってもらえる父親でいたいし、彼の成長を見届けたいと思う。
ある時から、それが僕の人生にとって何よりも重要な目的であり、目標になった。
「モノより思い出」というコピーがあったが、「起業家としての自分より、父親としての自分」。
でも、起業家として挑戦する姿を見せ続けることで初めて、彼にとって「尊敬に値する父親」でいられるのだと思う。
人生はまだまだこれから・・・。
ところで、今日のエントリーの意図だが、「希望」とは現在が苦境にあっても今の苦労や努力が将来(の大きな花)に繋がると思える状態であり、「幸せ」とは「現在」の「満ち足りた状態」を指す。
つまり、「希望」を抱ける人は「前向き」になり「挑戦」を続けるが、「幸せ」を感じている人は「保守的」になる(それを維持しようとする)。
今が幸せではなく、将来への「希望も持てない『若者』が多い社会」は「最低」である。
甚だ微力ではあるが、そんな社会を打破したいと思っている。