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日本を救うのは、イノベーションをおいて他にない。
今年も今日が最後。皆さんにとって、2013年はどんな一年だっただろうか?
僕にとって50年目の今年は、兎にも角にも「忙しかった」一年だった。
海外出張4回(シリコンバレー x 2回、シンガポール1回、ロンドン&ケンブリッジ1回)、家族旅行1回、大阪出張 x 約20回!JR東海には、かなり貢献した。
ところで、リサーチ業界の方はご存知かと思うが、ガウス生活心理研究所という著名なリサーチ会社があった。
創業者の油谷さんという方が生前、「New 50」なる概念を提唱されており、僕がインタースコープというインターネットリサーチ会社を経営していた時、僕たちが主催したセミナーでその話をして下さった。
当日、50歳になろうとしていた「郷ひろみ」を例に挙げて、従来の50歳の概念は既に存在しない!という、ドラッカー流に言えば「既に起こった未来」をセンセーショナルに呈示してくれた。
そして、人間の寿命は、生物学的には120~130年ぐらいあるという話をされた。
確かに、僕の周りには、どう考えても50歳以上には見えない人がたくさんいる。
筆頭格は日本人で唯一、故スティーブ・ジョブズ主催のエグゼクティブミーティングのメンバーだった前刀さんだ。
他にもインターネットリサーチ業界時代の盟友で、現在は八戸学院大学の学長!を務めている大谷さんなど、New50 は枚挙に暇がない。
大谷さんは今年、ヨーロッパで著名な自転車耐久レースに挑戦し、見事に完走した!
一方、えっ、どうしてそんなになっちゃったの?という人もいて、これからは様々な意味で「個人差」が大きくなって行くだろう。
経済が成熟し、大多数の人が「知識産業」に従事するようになると、資本は「カネや土地」ではなく、経験に裏づけられた個人が持つ知識と知恵、そして人的ネットワークになってくるわけで、外形的な尺度はあまり意味を為さなくなっていく。
また、体力的にも、個人差は拡大していくだろう。
しかし、Apps やソーシャルゲーム等、若さが重要な資本である産業の存在感が増していくだろうから、僕たちの世代は彼らにはできない、より社会インフラ的な領域で価値を創造していく必要がある。
僕はサンブリッジ グローバルベンチャーズとしての投資領域を何らかの領域で「プラットフォーム」化できるビジネスにフォーカスしているが、そのためには事業開発等の経験が必要であり、ある程度の経験が求められる。
昨日の日経朝刊に、元DCMパートナーで、WiLという投資育成会社を創業された伊佐山さん達が日本の大企業から約310億円を調達し、ファンドを組成された話が載っていたが、若者のAppsやソーシャルゲーム以外の起業を促進していくだろう。
伊佐山さん達の活躍に期待したい。
ところで、安倍首相の靖国参拝は国内外に波紋をもたらしたが、そのことに関連する様々な記事を読み、地政学的なリスクも踏まえ、日本が国際社会で生き残っていくには、兎にも角にも「経済力」以外の手段はないことを再認識させられた。
政策研究大学院大学長の白石隆氏が発言されているように、中国がカンボジア、ミャンマー、ラオス等への経済援助に力を注いでいるのは、2020年頃から少子高齢化が進み、国力の伸長があまり期待できなくなることを見越して、今のうちに影響力を構築しておこうという狙いだろう。
今さら核武装をすることは出来ない日本は、東南アジア諸国における影響力を持つには、経済力以外に術はない。
そのためにも、衰退期に入った産業にしがみつくのはさっさと止めて、新しい産業を興すべく、国を挙げて臨まなければいけない。
日本を救うのは、イノベーションをおいて他にない。
Happy New Year & Innovation!
日本人がもっと海外で活躍するには、何が足りないのだろう?
何とか無事、ロンドンに到着。
昨日はホテルにチェックインした後、Twitter で知っていた Oxford University で博士課程に通っている方と合流し、ロンドンの街を案内していただいた。
実は、その方とアレンがスタンフォード大学で開催された会合で知り合い、ロンドンに来る2週間ほど前に、起業やスタートアップに関するエコシステムに関して、東京でインタビューを受けた。
世の中、色々なところで繋がっていくということを実感。
昨日は、タクシーでバッキンガム宮殿まで行った後、ビッグベンまで歩き、テムズ川を渡り、ロンドン・アイの横を通り過ぎて、Oxford & Cambridge Club なる、両大学のOBOGしか入れない由緒正しき会員制のクラブで夕食をご一緒した。
ロンドン2日目で、まだまだ何も分からないが、米国と比べて街はキレイで、メルセデス・ベンツを数多く見かける。BMWも多い。
僕はヨーロッパの他の都市を知らないが、今まで行った中では、モスクワやサンクトペテルブルクの街並みを小奇麗にしたような感じがする。
米国で言えば、New York のような感じだ。
そうやって考えると、シリコンバレーが特殊ということだ。何もないところに、いきなり Google の広大なキャンパスが出現したりするのは、London や New York, San Francisco ではあり得ないことである。
また、London の街を歩いていると、英語以外の言葉をよく耳にする。観光客が多い。
以前のエントリーにも書いたが、日本も、もっともっと観光客を誘致できるようにしたいものである。
ところで、ロンドンは物価が高く、特に「不動産」は、異常に高いらしい。
街は比較的コンパクトであり、ヒストリカルな建物が多く、日本のようなタワー型マンションは立たないのだろうから、どうしても需要に共有が追いつかないのだろう。
そのような事情からロンドンの不動産は下がらないと思われており(実際、下がらないのだろう)、外国人による「投資」が多いらしい。
Oxford に住む知り合いの家のオーナーは、オーストラリア人だという。
ところで、ロンドン2日目の今日は「LeWeb」in London に参加中。
僕は主に、スタートアップのコンペティション(ピッチコンテスト)を聴いているが、アレンが言っている、「日本人の創造力やイノベーションを行う能力は、シリコンバレーの人たちに決して劣らない」ということを実感する。
ここロンドン(ヨーロッパ)の起業家と比較して、むしろ、日本人のスタートアップの方が優秀だと言っても過言ではないと思う。
残念なのは、日本語でビジネスをしている点だけである。
英語でビジネスができていたら、もっともっと世界の注目を集めているに違いない。
A Global Seed-Accelerator として、その現実を踏まえてどうするか?真剣に考えよう。
ところで、会場を歩いていると「平石さん!」と声をかけられた。
誰かと思ったら、現在は楽天(米国法人)に勤務する本間さんだった。
久しぶりに彼とも話をしたいと思い、メッセージを送ったところ、次のMTGがあるらしく、もう会場を出てしまったとのこと。
日本人がもっともっと海外で活躍できるようにするには、英語力は勿論のこと、他に何が足りないのだろう?
これを機に、真剣に考えてみたい。
初めての「ロンドン」。
僕に似たのか、4月から小学生になった長男は甘えん坊で、最初は毎朝、僕が小学校まで送って行っていた。
彼との約束は、徐々に送っていく距離を短くし、最後は一人で行く、というものだったが、僕がシリコンバレー出張の時、偶然、同じマンションに住んでいる人と登校時に一緒になり、途中まで一緒に行ったらしい。
その後、毎朝、その方と一緒に行くようになったのだが、友だちから「だんだん短くして、最後は一人で行くって言ってたじゃん!?(話が違う)」と言われたらしく(そりゃ当然!)、そのオジサンに、友だちと遭遇しない途中まででいい、と言うようになった。
今もマンションの玄関を出たところまでは僕が一緒に行っているのだが、下の子の面倒を見るので大変な妻からは「いい加減、一人で行くように言ってよ・・・」とクレームを頂戴している。
ところで、来週は一週間、ロンドンに出張である。
「LeWeb」という、ネット関連のヨーロッパで最大級のカンファレンスに参加するためだ。
因みに、このカンファレンスに参加する人たちのリストが公開されているのだが、日本人は、三木谷さんと僕の2人だけ。
三木谷さんはスピーカーとして参加されるので、純粋な参加者は僕だけということになる。
そんなわけで「唯一の日本人」ということもあってか、LeWeb開催期間中、僕と会いたいというメッセージが、専用システムを通じて送られてくる。
シリコンバレーでは日本人は当たり前だが、さすがに「ロンドン」まで出掛けていく日本人は少なく、僕は「希少価値」というわけだ。
ところで、僕にコンタクトしてくるヨーロッパの人たちとのやり取りを通じて、僕は、とても大きなことに気がついた。
それだけでも、高いお金を払って参加することを決めた価値があったと思う。
LeWebに公開されている僕のプロフィールは、シリアル・アントレプレナーとして今までに計8社の創業を経験し、そのうち1社は東証マザーズ上場、もう1社は Yahoo! JAPANに売却。現在は「Global Seed-Accelerator, President & CEO」なわけで、実際の人物はともかく、プロフィールだけを見たら、会いたいと思うのは不思議ではないw。
尚、現在の僕の立場を反映してか、僕にコンタクトしてくる人たちは、ほぼ全員、例外なく、国際展開を考えているスタートアップの経営者である。
彼らのビジネスモデルや送られてくる資料を見て気づいたことは、それらの殆どすべてが、僕が既に「知っているモデル」であり、「驚かされるモデルはない」ということだ。
イギリス人もフランス人もロシア人も、そして、日本人も、今のインターネットに見出す「オポチュニティ」は「同じ(変わらない)」だということである。
彼らが手がけるビジネスは「ネットビジネス」であり、ドラッカーのいう「イノベーションの7つの機会」の中の「知識に基づく産業(イノベーション)」に該当し、そこには共通する要素がある。
以下は、ドラッカーの「イノベーションと起業家精神」から引用(一部、加工)。
まず最初に、イノベーションが起こりそうでありながら何も起こらないという期間が長く続く。
そして突然、爆発が起こる。数年に渡る「開放期」が始まり、興奮と「乱立」が見られ、脚光が当てられる。5年後には「整理期」が始まり、僅かだけが生き残る。
自動車も家電も、コンピュータも然りである。
そして、いずれの場合も、生き残った企業は例外なく、初期のブームの時に生まれたものである。ブームの後では事実上、新規参入は不可能になる。
また、今日、この「開放期」が混み合ってきたことは間違いない。
1830年代の「鉄道ブーム」は、イギリス国内に限られていたが、現在は「先進国」と言われるものの数が増えており、100年前には極わずかの国しかもたなかったもの、つまり「知識を持つ人たち」、特に科学や技術によるイノベーションのために直ちに働き始める用意のある訓練された人材を持っている。
しかも、通信技術の発達により情報は瞬時に伝播、共有され、旅行も簡単に行われる。
そして、最も重要なことは、知識に基づく産業(イノベーション)の場合、「市場はひとつ(グローバル市場)」になる、ということだ。
<ここまで>
特に、ネットビジネスが「ソーシャル」になり、顧客のニーズに応える方法が「ソーシャル・アプリ」になると、「英語」市場と「日本語」市場にローンチするのとでは、同じ能力と努力でも獲得できる「市場規模(=成長性)」が異なり、資金を調達する上でも「英語版」の方が「有利」なのは間違いない。
獲得した資金で事業を拡大し、余力が出たところで、非英語圏にも参入する。
しかし、日本語でのサービスでは、そうはいかないだろう。
製造業と異なり、「取扱説明書」を現地の言葉に「翻訳」すればいいというわけにはいかない。
たった4人で始めたスタートアップも、グローバル市場での競争に直面している。
日本のスタートアップは勿論、彼らに「投資」をしている我々も、その事実を改めて直視する必要がある。
ロンドン滞在中は、LeWeb で知り合ったスタートアップや訪問予定の現地企業の経営者との会話を通じて感じたことを、時間の許す限り、書こうと思っている。
アジアの「ウミガメ」 by 加藤さん
束の間のGWは子どもの世話で終了。また、慌ただしい日々が始まった。
サンブリッジ グローバルベンチャーズに加えて、企画準備会社とはいうものの「農業革新ラボ」を立ち上げ、法政大学MBAの今年度も始まり、第二子は、まだ3ヶ月で手が掛かる。とにかく時間はない。
そんな中、毎週日曜日、長男を連れてくるヒップホップの教室は、テンポの良い曲がかかり、気分を高揚させてくれる。
ところで、そのヒップホップ教室でテンポの良い音楽を聞きながら、ネット業界の方なら誰でも知っている「日広(現GMO NIKKO)」創業者の加藤さんのエッセイ?を読んだ。
彼が、現KLabの真田さんやGMOインターネットの西山さん達と学生ベンチャーを立ち上げ急成長していったプロセスや、その後、ビジネスのルールが変わったことで敢なく破綻したこと、また、加藤さんが日広という雑誌広告の代理店を創業し、後にインターネット専門の広告代理店にシフトし、また、急成長していった時期のこと(僕はこの時期に彼と知り合った)など、彼の今までの起業家人生がリアリティを伴って綴られており、読んでいる僕自身が疑似体験をするような感じで、気持ちが揺さぶられた。
やはり、何かに挑戦し、困難を克服し、前進していく人や生き方が僕は好きだ。
今年中に、彼を訪ねてシンガポールに行って来よう。
ところで、彼の言う「ウミガメ」の話は、僕の古い友人でもあり、シリコンバレーで2社目となる「miselu」というソーシャル楽器なるビジネスモデルにチャレンジ中の吉川さんも、異口同音に言っていたことだ。
1995年。まだ、インターネットが世に出たばかりの頃、彼がデジタルマジック・ラボ(DML)というウェブ制作ベンチャーを立ち上げた頃、硬直した日本の社会構造に辟易としながら、一回、日本を出て、政府から戻ってきて欲しいと懇願されたら戻って来よう!という話をしていたことを思い出す。
あれから17年。僕は、まだ、こうして日本に留まっているが、彼は、有限実行している・・・。
ところで、僕たちの長男は、3歳になる直前、自分から言い出してバイオリンを習いだした。でも、殆ど練習はしない。
それに較べて、最近は家の中でもクルマの中でも、僕の iPhone でダンスミュージックを聞きながら、片言の英語を口ずさり、ヒップホップの練習に興じている。
やってみて、これは違う・・・と思ったら、軌道修正すればいい。
「石の上にも三年」とは言うが、「Rolling stones gather no moss.(転がる石にコケもさず)」とも言う。
物事には必ず、2面性がある。
これなら高いモチベーションを保って挑戦し続けられる!というものを見つけることが大切だ。
そして、見つけたら「地道な努力」と「献身」が必要である。
facebook に書いたとおり、プロゴルファーの深堀圭一郎選手は「アイアンのロフトを0.5度寝かして、0.3度アップライトに」するなど、地道且つ緻密な努力を続けている。
そして、ほんの0.3 や 0.5 度の違いを活かせる「技術」を持っているということである。
その次元に至っても尚、努力を続けている。
自分自身を含めて、文句を言う前に、努力をしないとね!
@ヒップホップ教室
追伸:ヒップホップ教室に来ている小中学生たちは、みんな、楽しくて仕方ない!というオーラを全身から放っている。彼女(女子が殆ど)達の中から、プロとして活躍する人が出てくることを期待したい!!
「幸せの黄色いハンカチ」と「7社目の創業」。
皆様、新年明けましておめでとうございます。今年も宜しくお願い申し上げます。
今年初のエントリーは、新しい挑戦について書くことにします。
2012年1月5日。株式会社 サンブリッジ グローバルベンチャーズ の登記申請が完了しました。
株式会社サンブリッジ グローバルベンチャーズは、僕にとって「7社目の創業」にあたりますが、今までの6社とは異なり、株式会社サンブリッジ創業者のアレン・マイナーと創業メンバーを中心に、「ベンチャーハビタット」として2000年より運営してきた「ベンチャー企業の投資・育成事業」を会社分割によりスピンオフし、設立した「ベンチャー企業」です。
つまり、僕がスクラッチから立ち上げたわけではなく、アレン達が築き上げたブランドと経営資源を受け継ぎ、バトンを受け取る形で創業した会社であり、創業時から既に「公器」と言っても過言ではありません。
その「公器」の代表取締役社長を仰せつかり、大きな責任をひしひしと感じています。
ビットバレーに沸いたネットバブルから約10年。インターネットは今、スマートフォン、ソーシャルメディア、そしてクラウド・コンピューティングという「3大潮流」により、新たなムーブメントを迎えています。
また、こうしたムーブメントにより、起業に際する資金的ハードルが大きく低下したことを受け、若い世代を中心に起業意欲の高まりが見られ、それに呼応する形で、ネット第一世代の起業家によるエンジェル投資やシードアクセラレーターによるインキュベーション型の投資スタイルが台頭する等、起業を取り巻く環境は大きく変わってきています。
そのような環境変化を踏まえ、サンブリッジ グローバルベンチャーズは、ベンチャーハビタットとして約10年の投資・育成活動で培ったノウハウとリスクマネーを供給すると共に、シリコンバレー&サンフランシスコ、東京、大阪に加え、アジアの玄関口である福岡(準備中)の4拠点を活用し、世界市場に挑む若い起業家を、国境を越え、Global Seed-Accelerator として、シームレスに支援していきたいと考えています。
そして、僕たちの活動が、日本社会の復興の一助となれれば、とても嬉しく思います。
話は変わりますが、1月2日、「幸せの黄色いハンカチ」で有名な「山田洋次」監督が、東北の被災地を巡りながら、これからの日本を考えるシーンを綴ったNHKの番組を見ました。
陸前高田(だったと思います)に住む元大工さんが「津波に流された自宅跡地」に「幸せの黄色いハンカチ」を掲げたところ、ある人がその光景を写真に撮り、山田洋次監督に送ったところ、感動した山田洋次監督が、元大工さんにお礼の葉書を出したことが紹介されていました。
本当はもっと長々と書きたいのですが、日付が1/5のうちにこのエントリーをアップし、facebook に投稿したいので手短にしますが(後日、続編を書こうと思います)、僕はその番組を見ながら、サンブリッジ グローバルベンチャーズとして、僕は「社会にどんな貢献ができるだろうか?」と考えていました。
僕が生まれ育った「福島県」は原発の事故により、大きな被害を受け、そこに住む人達はとても苦しんでいます。
しかし、僕は、こうして何事も無かったかのように東京で普通に生活をしており、直接的には何の貢献もできません。
僕ができることは、自分自身が起業家としてビジネスを立ち上げること、世界市場に挑む若い起業家をGlobal Seed-Accelerator として支援すること、そして、法政大学経営大学院(MBA)で学ぶ人達に僕の拙い経験を踏まえてアドバイスすることであり、それを通じて、日本社会の復興に貢献することです。
この世の中の「すべての営み」は「人」が為すことです。
「世界に挑戦する人を創出し、広く社会に『勇気と自信』と『希望』をもたらす、新しい社会的価値を創造する」ことを理念とし、甚だ微力ながら、元大工さんが「幸せの黄色いハンカチ」に託した想いに負けないよう、心を強くもって頑張っていこうと思います。
僕たち世代が生まれ育った「昭和の高度経済成長期」の先達の皆さんに負けないぐらい、頑張っていこうと思います。
サンブリッジ グローバルベンチャーズ創業メンバーを代表して、皆様方のご指導とご鞭撻をお願いし、新年の抱負とさせていただきます。
宜しくお願い申し上げます。
Jobsさんのお葬式に出たい。
土曜日に保育園の運動会があったことは、facebookに書いたが、クライマックスの年中、年長の子供たちによる「リレー」は、プロスポーツ選手に負けない迫力と感動があった。
ところで、日曜日の今日は、とあることで神社にお参りに行った後、知り合いのシェフが運営している表参道のレストランでお昼を食べた。
徹底的に食材に拘った料理はとても美味しく、名物のバーニャカウダに我が子は大満足だった。
ランチの後は自宅に戻り、「Steve Jobs」の追悼番組を見た。
20年来の友人というのは大変烏滸がましいが、親しくさせていただいている元アップル日本代表の前刀さんが出るということで、DVDに録画してもらっていた。
先月で6歳になった我が子は、DVDでの録画がお気に入りで、「お父さん、この間のDVD、見た?」と訊いてきて、昼寝をしたいのを我慢して見ることにした。
「この人、死んじゃったの?」と訊いてきたので、「そうだよ。iPhoneを創った人なんだよ」と答えると、「えっ!ほんと、出たい!」というので、「何?」と聞き返すと、「Jobsさんのお葬式に出たい!」という返事が返ってきた。
6歳の子供にとっても、iPhone の生みの親は「凄い人」であり、「残念」だと思う対象だと知った。
あの執念の人、Steven P. Jobs は、もう、この世の人ではないことが、未だにピンと来ない。
Good bye, and thank you, Steve Jobs.
追伸:「少子高齢化」社会と我々の年齢を反映して、我が子は、結婚披露宴には数えるほどしか出ていないが、告別式やお通夜、法事には、相当な数、出ている。「お葬式=大切な人が亡くなった時に出るもの」という彼なりの理解において、iPhone 生みの親のSteve Jobs は、彼にとっては「お葬式」に出たい存在だということを知った。