昨夜は、あるI.T.関連のベンチャー企業で働いている方と久しぶりに会った。
どんな文脈だったかは覚えていないが、彼と話しをしている時に「物語には続きがある」という言葉を口にした。
僕が言わんとしたことは、最近の「坊主頭のりょうへいさん」のコメントのように、自分の身の回りに起きる出来をすべて受け入れて、それらに感謝をすることが大切だし、僕自身、そういう生き方をしたいと思っているということだ。
田坂広志さんが言うところの、「空白を埋める」ため(ハングリー精神)ではなく、「感謝」の気持ちから生まれるモチベーションと言ってもいい。
卑近な例で言えば、あのミスショットがなければ、ひょっとして30台が出たかも・・・と悔やむよりも、気の置けないメンバーと楽しくゴルフができて、尚且つ、あのミスを防げれば「次は、30台を狙えるかも・・・」とポジティブに考えた方が自分が幸せだという意味だ。
その話しにも関連することで、あることを思い出した。
僕なりに熟慮に熟慮を重ねた結果、インタースコープの代表取締役を退任するということを決断し、そのことを当時の筆頭株主であるデジタルガレージの全体会議で発表した時のことである。
僕が自分の進退をゴルフに例えて話したことを受けて、「でも、まだまだ残りのホールはありますよね?(ゴルフは続けますよね?)」という、とても温かいメールを下さったゴルフの上手な役員の方がいた。
ヴィクトール E. フランクル流に言えば、そもそも出来事そのものに固有の意味はなく、そこにどんな意味を見出すかは、その人次第である。
物語の「続き」を楽しめる、「心の余裕」を持ちたいと思う。