「丸山茂樹」選手は惜しかった。一日で36ホールは、年齢的にハンディがあったと思う。
でも、大きな自信になっただろうし、これからの活躍に期待したい!
ところで、センター試験ウィークエンドとなった週末。僕は土曜日の昼過ぎから、担当させていただいている学生の方々の修士論文の指導があった。提出日まで一ヶ月を切り、緊張感が漂い出した。
皆さんが納得のいく論文を書けるよう、出来る限りの対応をしたいと思っている。
ところで、その前日の金曜日は、クレア法律事務所主催の勉強会と新春賀詞交換会に出掛けた。
勉強会のテーマはインド。僕はインドに興味があるわけではないが、ドリームゲートのアドバイザリーボードでご一緒させていただいている古田さん(クレア法律事務所の代表弁護士)からのお誘いということもあり、その後の賀詞交換会を楽しみに参加させていただいた。
賀詞交換会では、何人かの旧知の知り合いに会ったり、初めての方と知り合ったりと有意義な時間だった。
ところで、その賀詞交換会の席で、ご本人がどれだけ意識されていたかは別として、ドリームゲートの松谷さんから頂戴した「インタースコープとかはどうでもよく、平石郁生としての『成功と失敗』は何なんですか?」というひと言はインパクトがあった。
どんな文脈だったかは省略させていただくが、彼のひと言を踏まえて、今までの人生において、僕個人としての「成功」や「失敗」は何だったのか?この週末はずっと、そのことを考えていた。
僕にとっての「成功」は、
・「尊敬できる両親」のもとに生まれたこと(当然だが、僕の努力ではない)。
・「結婚」できたこと(幸いにして現在も続いている)。
・「子供」に恵まれたこと(幸いにして元気に育っている)。
・「家」を買えたこと。
・日本人は勿論、外国人も含めて「素晴らしい友人」に恵まれたこと。
・「色々な国々」へ行けたこと。ニューヨークへは約20回。その他ではタヒチ、オーストラリア、ロシア、中国、タイ、ベトナム、カナダ、トリニダード・トバゴ等(欧州にはまだ行っていない!)。
・ベンチャー企業の「創業」を経験できたこと。
などなど。
では「失敗」は何だったか?というと、
・「勉強しなかった(できなかった)」こと。
自分自身の性格はさておき(それさえも勉強していれば変えられていた可能性が高い)、今までの人生でのすべての「失敗の原因」は、上記に尽きると思う。
こうして振り返ってみると、他人(社会)がどう評価・判断するかは別として、僕にとっての成功(内的成功)の殆どは「プライベート」なことであり、ビジネスに関することがメインではない、ということ。
松谷さんのひと言で、そのことを理解することができた。彼には、心より感謝したい。
では、僕にとっての「失敗」である「勉強」だが、「しなかった」にカッコ書きで「できなかった」と付け加えたことには理由がある。
僕は中学に入って初めて「英語」の授業を受けた時、「世の中にこんなにおもしろいものがあったのか!!」というほどの衝撃を受けた。
あれから30年以上が経っているので、さすがにその時の感情は風化してしまったが、20代の頃までは、その感覚を忘れることはなかった。
実際、中学時代は英語の成績は良かった。以前にもこの話は書いたことがあるが、3年生になるまでは、予習も復習もせず、単語はすべて一発で憶えられたし、発音も褒められた。
その一方、「数学」は大の苦手だった。
僕が通っていた中学は50点満点だったが、英語は「45点以上」は取れていたし、他の科目も45点前後だったが、数学だけは「25~30点」だった。
しかし(受験に合格するという目的に対しては、正しい指導である)、中学一年生の時の担任の先生には、「英語と数学のどっちが伸びシロがあるか?」と指導された。
これも以前に書いたことだが、高校に入ると「古文」と「漢文」が嫌いになった。
「古文」の先生は「偏差値」教育の申し子のような方で、成績が悪い生徒に対しては、とことん追試を課した。
僕は勉強する気になれず、悪い点数を取り続け、先生が諦めるまで待った。
そうこうしているうちに、好きだった英語も勉強する意欲が無くなり、すべての勉強ができなくなった・・・。
今でもその傾向があるが、当時は今以上に「ゼロか100か」の人間だった。
精神的に弱かったという意味では「僕の責任」であり、責任転嫁はできないが、「生徒の良さ(才能)」を引き出すという意味では、当時の教育(今もそうかもしれないが)は、間違っていたと思う。
子供を持った今、その思いはよりいっそう強くなった。
僕たちの子供と彼の友達たちを見ていると、誰ひとりとして同じ個性はなく、ひとりひとり、全然違う人間だということを身を以て実感させられる。
雑草のような子供もいれば、我が子のように繊細な子供もいるし、運動が得意な子もいれば、音楽や絵が得意な子もいる。
「工業製品」ではなく、「芸術作品」である。
さて、「勉強」に関しては、父が生前、
「いいか。世の中には、2種類の人間がいる。ひとりは、人の話や本から学べる人間。もうひとりは、自分で経験しないと学べない人間。もちろん、経験することに越したことはないが、すべてを経験していたのでは時間がいくらあっても足りない。ところで、お前はどっちの人間だ?」
と言っていた話も以前に書いたが、それともうひとつ、書いておきたいことがある。
「スペシャリスト(専門家)として能力を発揮するには、自分の専門分野だけでなく『教養』が必要である。しかし、恐ろしいのは、そのことに気づくのは、スペシャリストになってからだということだ」。
誰かのブログかTwitterでこの言葉を読んだ時は、「痛いひと言」だと思った。
本当に優秀な人は、幼少期あるいは学生になった頃から、受験うんぬんではなく、自分が持って生まれた才能を発揮して、充実した人生を送るには「勉強が大切」であることを知っているのだと思う。
さらに言えば、そのことを知っていて、尚かつ「努力」した人だけが、持って生まれた才能を発揮し、充実した人生を送れるのだろう。
過ぎたことは仕方ないが、ドラッカーを読むようになって「あの頃、もっと勉強をしておけば・・・」と思うことが多く(強く)なった。
さて、僕にとっての「成功」の話に戻ると、結婚して、地方出身の僕が都心に家を買い、子供を育てることができているのは(結婚はさておき)、それは取りも直さず、自分の実力以上に「仕事が上手くいった」からである。
ソフトバンクの孫さんのような方を除き、大多数の人間にとって、その中身は違っても、人生の目的は「充実した人生」を送ることであり、仕事はそのための「手段」だということ。
そして、その手段を通じて、結果として「世の中がより良くなれば」それに越したことはない。
父親が生前、「目的と手段を履き違えるな」と言っていたが、そういうことだったのかもしれない。
仕事に関して言うと、山川さんと一緒に創業したインタースコープは勿論だが、大谷さんとふたりで設立した「インターネットリサーチ研究会」での活動は、自社(インタースコープ)の利益だけでなく、インターネットリサーチ業界の発展に大きく貢献できた(と思う)という点で、僕にとっては「大きな成功(誇りに思っている)」だった。
プライベート(子供の教育と旅行とゴルフ?)を充実させるためにも、もう一度、「自分にとっての成功」を成し遂げられるよう、「勉強」に勤しもう。
松谷さんとの「3勝3敗1分」の勝負もまだまだ続けられるように!