Spiber株式会社。知っている方も多いと思うが、人工的に蜘蛛の巣を創りだそうというバイオテクノロジーのベンチャー企業だ。石油の時代から「タンパク質の時代」へのパラダイムシフトを起こそうとしている。
調達した資金は「146億円強」。どれだけ期待値が大きいかが分かる。
そのベンチャー企業は「山形県鶴岡市」にある。東京の渋谷でも六本木でも本郷でもない。
慶應義塾大学として初めて首都圏以外に創った「慶應義塾大学先端生命科学研究所」を立ち上げられた「冨田 勝」教授の研究室出身の関山和秀氏が、そのベンチャー企業の創業者だ。
関山さんが研究テーマに関する面談で、人工的に蜘蛛の糸を開発することに取り組みたいと言ったところ、殆どの教授が「そんなことは出来っこない!(NASAも米軍も失敗しているそうだ)」と反対した。唯1人、「おもしろいじゃないですか。やらせてあげましょうよ」と言ったのが、冨田教授だった。余談だが、冨田教授は、シンセサイザーによる音楽で一世を風靡した冨田勲氏のご子息でもある。
光栄にも冨田教授とお会いすることができたのは、JVCA(Japan Venture Capital Association)主催の「地方創生VCトップ懇談会」なるイベントが仙台で開催され、パネリストの一人としてお招きいただいたからだった。
仙台は2011年の震災直後のGW以来。東京駅から「はやぶさ」で90分。「やまびこ」で郡山(福島県郡山市:僕の実家)まで(80分)と殆ど同じだ。本を読んだり、うとうとしている間に着いてしまった。
「地方創生VCトップ懇談会」という名前のとおり、どうすれば、地方都市でもベンチャーのコミュニティが生まれ、経済の新陳代謝が促進されると共に、新しい雇用が生まれて、地方経済が活性化するか?がテーマだった。僕が呼ばれた理由は、2012年10月から2016年3月まで、大阪市の「グローバルイノベーション創出支援事業」に携わってきたためだ。
僕が招かれたパネルの前に「地方発 世界最先端ベンチャーを生み出す構想と志について」というセッションで、冨田教授とGREE共同創業者で現在は慶応イノベーション・イニシアティブというベンチャーキャピタルの社長をされている山岸さんの対談があった。そこでの冨田教授の話は核心を突いていた。
冨田教授(慶應義塾大学先端生命科学研究所 所長 冨田勝氏)は、東京生まれの東京育ちだそうだが、40歳の時、慶應義塾大学として初めて首都圏以外の場所に設立した「先端生命科学研究所」の所長に就任し、山形県の鶴岡市に赴任された。それから10数年、今ではとても鶴岡市を愛されていることが言葉の端々から伝わってきた。
「日本人の中に、東京が一流、地方は二流という意識があるうちは、地方再生は成功しない」。
東北出身、それも高度成長期の東北に育った僕には、冨田教授が言いたいことの意味がよく分かる。
当時の福島県郡山市でのホワイトカラーの仕事と言えば、市役所(公務員)、銀行員、教師、医者、弁護士ぐらいしかなかった時代で、大学進学と共に上京し、そのまま東京の大企業に就職する、というのが上昇志向のある人間の人生だった。東京に対する憧れや「東北(田舎)」ということに対する「劣等感」がなかったと言ったら嘘になる。
でも、あの大震災を機に、若い人たちの価値観が大きく変わってきているようにも思う。
「普通は0点!!」
「チャレンジできる人は、チャレンジする義務がある」。
「日本にはベストエフォートでの失敗であれば、拍手喝采する文化が必要である」。
また、詳細は忘れたが(スライドを写真に撮ればよかった)、福沢諭吉は「世の中の目を気にするな。自分が信じたことをやれ。そうして世の中を変えていけ」という趣旨のことを言っていたらしい。
冨田教授は、それは「イノベーションを起こせ」ということだと理解していると仰っていた。
Spiber では、東京に小さな事務所があるらしいが、東京への転勤を「東京に飛ばす」というらしい。関山さんは絶対に本社を鶴岡市から移すつもりはないという。
最後に、冨田教授の「所長挨拶」を紹介したい。是非、読んでみて欲しい。日本社会に欠けていること(必要なこと)が、書いてある。