「インフルエンザ」と「中耳炎」。

数年前から悩まされている頭痛と吐き気が同時に起こる症状が、先週の木曜日の朝から発生した。

妻に言わせると15~16年前から発生しているらしいが、サンブリッジの仕事をし始めた2011年の夏頃から頻繁に起こるようになった。

今までに何度もCTやMRIの検査をしているが、脳に異常は認められない。

頭痛というよりは、左目の奥が痛くなるため、眼圧が高くなっているのではないか?という疑いがあり、眼科で眼圧検査をしてもらっても、異常はない。

ここ最近は、年末、年始そうそう、2月中旬、そして今週の木曜日と、かなり頻繁に起こっている。

原因が分からないのが不安だが、10年以上前からお世話になっている整体師の方に言わせると、僕の身体はとても繊細にできており、普通の人なら感じないレベルのことでもストレスになっているらしい。

特に、眼の神経の緊張は、他に見たことが無いレベルだという。

僕の仕事は、海外出張が多く(大阪出張もある)、また、子育てをするには夫婦二人とも高齢で、身体に負担が掛かっているのは間違いない。

先週は妻が仕事で遅くなる日が2日あり、僕が2人の子供たちの面倒を看ていたのだが、まだ2歳の次男は夜中に起きることが多く、たまたま2日とも夜中に起こされてしまい、睡眠不足だった。

普段なら大丈夫だったかもしれないが、10日間のシリコンバレーとボストン出張から帰国して間もなく、そもそも疲れが溜まっていたかこともあったかもしれない。

金曜日の夜、23時過ぎに目を覚ますと、ようやく頭痛と吐き気が治まっており、残っていた饂飩を食べた。

久しぶりにテレビをつけると、あれから3年が経った東北の大震災と津波により、大きく人生が変わってしまった人たちの今に至る日々を紹介していた。

地震直後、母親と子供たちを自宅に残し、妻の行方を探しに行った男性は、その間に襲ってきた津波によって3人の子供たちを亡くしてしまった。

彼は、何のために生きていけばよいのか?が分からなくなった。そして、自分を責め、また、妻も彼を責めた。

2年後と言っていたと思うが、家具を作る仕事をしていた彼のところに、小学校か保育園かから、子供たちのために本棚を作って欲しいという依頼があったそうだ。

久しぶりに作った家具を子供たちが喜んでくれる姿を見て、彼はまた、仕事をする気持ちになったという。

他にも津波で大切な人たちを亡くした方々が紹介されていたが、彼らに共通しているのは、経験した人でなければ理解できない苦難を乗り越えようとする強さだった。

ところで、昨日の朝から長男が発熱した。

夕方になって熱が38.5度になり、病院に連れて行ったが、38度以上の熱が出てから10時間ほど経たないと反応が出ないと言われ、インフルエンザの検査はせずに帰宅した。

とにかく痛いので、何度も検査するのは可哀想でしょうということだった。

次男に移るといけないと思い、昨夜は長男をひとりで別の部屋に寝かせたが、耳が痛いと言って、夜中に何度も起こされた。

今朝、検査をして分かったが、インフルエンザと中耳炎を併発していた。

そんなことも、家族が無事であればこそのことであり、こういう「日常こそが人生そのもの」だということだ。

神様に感謝をすると共に、毎日を大切にしよう。

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人生は短い。今年初めてのサンフランシスコ。

今年初めての San Francisco & Silicon Valley.

サンフランシスコに向かう CalTrain の車中でこのエントリーを書いている。

今の仕事を始めてから、年に2~3回は来るようになった。

20代の頃、年に2回のペースで New York に行っていたことを思い出す。

初めて New York に行ってから27年。月並みだが、月日の経つのは速い。

今月30日で、この世に生を受け、50年になる。

僕が大学生の頃は、その年齢の人を「初老」と言った…。

冗談ではなく、人間は必ず、歳をとるということだ。

誕生日ということでは、同じ誕生日の人、それも親しくしている人が2人いる。

一人はETICの山内さん。もう一人は、ベンチャーナウの竹内さん。

山内さんにはインタースコープを経営していた頃、インターンの採用でとてもお世話になった。

ETICの存在無しに、インタースコープの成長はあり得なかった。

そして、竹内さんとは、Innovation Weekend を一緒に立ち上げてきた。実は、他にも色々と企んでいることがあるw。

僕の人生にとって掛け替えの無い人だ。

ブログにら書ききれないほど、僕の人生には素晴らしい人達がたくさんいる。

そして、彼らの存在無しには、僕の人生は成立しない…。

自分ひとりで生きているわけではない、ということだ。

彼らへの感謝の気持ちを忘れないようにしないとね。

iPhoneからの投稿

「父の命日」と「田坂広志さんの言葉」。

今日は父の命日。享年55歳。僕が24歳になってすぐだった。

あれから25年。父と過ごした時間よりも、亡くなってからの方が長くなった。

父が亡くなって四半世紀が過ぎた今日、僕たち三人兄弟でメールのやり取りをした。

僕たちはそれぞれに父の教え(言葉)を憶えているが、両親の記憶さえ持てずにこれからの人生を歩まなければいけない3.11震災孤児の方々がたくさんいる。

こうして生きていることを当たり前だと思ってはいけない。

ところで、僕が尊敬する田坂広志さんのメルマガに、こんなことが紹介されている。

田坂さんがどこかで講演された際に一緒だっ起業家の方が、「みんな、もっとハングリーにならなければダメだ!」というようなことを言っていたという。

それを聞いた田坂さんは、こう思ったそうだ。

「世界第二位(当時)の経済大国になり、60年を超えて戦争がなく平和な日本において、それでも尚、ハングリー精神を持たなければモチベーションを持てないのだろうか?」

僕は20代の頃、大企業に務める同年代の人達が「会社の看板」ですぐにアポが取れ、給料も高い現実を実感し、彼らや社会自体に対して「今に見ていろよ!」と思って頑張ってきたが、それなりの結果を残してきた今は、ゼロと言えば嘘になるが、そういうハングリー精神は殆ど無くなった。

アメブロにも何度も書いているように、法政大学経営大学院の小川教授に拾ってもらい、サンブリッジ創業者のアレン・マイナーに声をかけてもらい、私生活では第二子にも恵まれ、ふたり目の母とは兄弟三人とても仲良くしており、その母は妻の出産後、慣れない東京に一ヶ月も滞在してくれて・・・と、感謝はすれど、ハングリーになりようがない。

感謝の心を忘れずに、人の役に立つ生き方をしたいと思う。

来年は、4度目の「年男」。

土曜日のクリスマス会はとても楽しい時間だった。

僕の人間関係はその殆どが仕事での接点がある人達で、せいぜい妻の友人の何人かが加わる程度だったが、子供のお陰で、仕事では何の接点もない人達との交流が生まれた。

子供という共通のテーマで始まった関係が、結果として職業的関心事もある程度は共有でき、尚かつ、旅行にも一緒に行く交友関係にまで発展したのは、僕の人生にとって、とても大きな出来事であり、財産である。

ただ、その楽しいメンバーとのクリスマス会で、お昼前から夜7時過ぎまで、断続的に飲み食いしていたお陰か?今日は朝から胃が痛かった(苦笑)。

さて、人によっては既に立案済みかもしれないが、僕も少しずつ、来年のことを考え始めた。

その前に、今日はいつものメンバーでの「反省会」がある。

年初に掲げ合った公私それぞれの目標の結果を報告し、また、新しい年の目標を掲げるという会だが、もう15~16年ぐらいは続いているだろうか?

因みに、今年の目標は公私ともに全滅だった・・・。

来年は、4度目の「年男」。

月並みだが、良い年にしたい。

「東証マザーズ」開設から10年。

11月11日で東証マザーズ開設から10年。世の中は大きく変わった。

ネットバブルがあり、その崩壊があり、それを乗り越えてのネットベンチャーの株式公開ラッシュがあり、そして、昨年のリーマンショック。日本では、民主党政権が誕生した。

そんな中、日経新聞が「ベンチャー胎動『冬の時代』の起業」と題する特集を組んだ。

3回シリーズで昨日からスタートしたそのシリーズの2回目は「エンジェル投資家」がテーマで、光栄にも、元カカクコムの穐田さんと並んで、「茶髪の中年男性」として、僕のことを紹介していただいた。

たしかに年齢的には正真正銘の中年男性だが、「茶髪の中年男性」という形容には、さすがに「・・・」という感じだった。

8期連続で赤字だったクックパッド(僕の妻も使っているらしい!)の「2期分の運営資金」を出し、見事に上場まで導いた穐田さんのようなダイナミックなことは僕には出来ないが、大手ベンチャーキャピタルによるベンチャー投資の縮小が続き、IPO市場のシャッターがほぼ閉じている状況において、甚だ微力ながら日本のベンチャーシーンに貢献できれば嬉しく思う。

野球好きの穐田さんが「観客席で見るだけの人に野球解説はできない。バットを振った自分だからこそ助言できた」と言っていたが、僕も下手くそながらゴルフで言えば18ホールを回って来たので、自分ではそのとおりは打てないものの、「どのホールはどういう攻め方をし、どこにバンカーがあるか」を助言することはできると思っている。

一昨日のエントリーでジャズ・バイオリニストのことを書いたが、僕は音楽の才能はないし、バイオリンを弾いたことはないのでミュージシャンを志す人の支援はできないが、自分にできる領域の中で、ひとつひとつ、具体的にやっていこうと思う。

曲がりなりにもこうして今も仕事ができているのは、ネットバブルの恩恵に被り、���ンチャーを立ち上げたことで多くのことを学ばせてもらったお陰なのは間違いなく、その恩返しの意味も含めて。

「負け組み」の栄光。

以前にも一度、僕のブログで紹介したことがあるが、ボストンコンサルティンググループ(BCG)からネットイヤーグループに転じた後、独立され、現在は「百年コンサルティング」というコンサルティング会社を経営されている鈴木貴博さんという方がいる。

彼がネットイヤーにいらした頃、1~2度だけ、お会いしたことがある。

その鈴木さんが、とても勉強になる、思慮深く、示唆に富んだコラムを書かれている。

そのコラムのことは、辻さんという方のブログで知った。

さて、「負け組みの栄光」というタイトルは、鈴木さんのコラムの最終回のタイトルである。

彼のコラムを読んでいて、僕は、若者に対する彼の愛情のようなものを感じた。

彼の人となりを理解するほどまでは接点がなかったので、実際のところ、彼がどのような人物なのかは存じ上げないが、僕が彼と会った時に感じた、あの物凄いオーラというか、この人は只者ではないという雰囲気や、東京大学工学部物理工学科卒で元BCGという経歴から想像するものとは異なる、情に厚い人のような気もする。

それはさておき、今の大学生や20代の人たちは、本人達の能力や努力とは異なる要因により、職業人としての「成長の機会」を得ることが難しくなっているのだとしたら、僕もそのことに対する通り一遍の知識は持ち合わせているが、それは由々しき問題である。

今こうしてこのエントリーを書きながら思ったが、僕がなぜ、今の若者の「就業機会=成長の機会」が限られてきていることに問題意識を感じるのかというと、それは、子供を授かったことの影響が大きいようにも思う。

鈴木さんが仰るとおり、僕自身も、自分のこの先の人生のことで精一杯だが、少なくとも、自分達の子供の将来に関しては、親としての責任はもちろんのこと、自分にできることはしてあげたいと思う。

そして、自分達の子供だけでなく、彼らの世代が豊かな人生を送れるよう、はなはだ微力ながら、自分にできることをしていきたいと思っている。

ところで、そのことに絡んだ話として、ソフトブレーン創業者の宋文洲さんの今朝のメルマガに、なるほどと思わされることが書いてあった。

<宋さんのメルマガより抜粋>
以前よりかなり改善してきたと思いますが、それでも日本企業の経営者の平均年齢の高さは格別です。60過ぎてやっと社長の椅子に辿り付いたのですから、社長退任後、当然数年会長をやります。その後は名誉会長、顧問、相談役などを歴任するので80過ぎても取締役会に留まる事例は枚挙にいとまがないのです。(ここまで)

鈴木さんのコラムでいう「チーズ」で言えば、充分に(欧米の経営者と比較すると話は別だが)チーズを食してきて、その後の生活にも困らない財力もあるのであれば、若い人達に「席とチーズ」を譲るという選択肢もあるように思う。

これは、ある方から聞いた話なので、僕が自分で調査して確認したことではないが、上場企業の社長を経験されたような方を顧問として迎えるとなると、一般社員と同じフロアというわけにもいかず、また、電車で通ってくださいというわけにもいかず、また、秘書もつけて欲しいという話にもなり、それらの経費を含めると年間約3,000万円にもなるという。

僕は以前から、日本社会は「リスクとリターン」が見合わない社会だと言ってきているが、そういう意味で言えば、一部上場企業(ここでいう一部上場企業とは、トヨタやホンダ、ソニー、新日鉄、三菱商事等の大企業のこと)の経営者の報酬は、その責任とリスクと比較した場合、安過ぎると思う。仮に、役員報酬が1億円だったとしても、所得税、住民税等を引かれた後の手取りは5,000万円程度だろうし、5,000万円だとすれば、手取り2,500万円ぐらいだろう。

但し、今までの日本社会は、株主から解任されることや株主代表訴訟等のリスクは無いに等しかったことを考えると、今までは妥当だったとも言える。

僕は、官僚の天下りの原因のひとつとして、能力と働きに見合った報酬になっていないということがあるようにも思う。そもそも、公務員とは社会の公僕だと言ってしまえばそれまでだが、人間の心理としては、そうもいかないだろう。

何を言いたいかというと、責任と権限を明確にし、それに見合う充分な報酬を支払うことで、任期を全うしたら、スパッと身を退いていただき、若い世代に「席とチーズ」を提供できるシステムにした方がよいのではないか?ということである。

話を鈴木さんのコラムに戻すと、彼の文章を読んでいて思うのは「教養」が豊かだということである。

毎回のコラムを書くにあたって、多少は色々と調べたりもするだろうが、人類の進化の過程を、コラムのために調べたとは思えない。

つまり、教養というものは、それが直接、何かの役に立つということではないかもしれないが、教養という「引き出し」が多いことにより、物事に対する「見方」が「複眼的・重層的」になり、それが、多くの示唆や知恵を導き出すことに繋がるということだと思う。

さて、論点が散漫なエントリーになったが、読んで下さった方にとって、少しでも参考になったようであれば幸いである。