東京は悪天候だった先週末を挟んだ数日、僕たち家族はここ数年、恒例化?しつつある、サイパンに出掛けていた。
昨年からは子供の保育園繋がりの友達3家族と一緒に行くことになり、今年も同じメンバーだった。
サイパンを選んでいる理由は「安い」「近い」「海がキレイ」「安全」の4つ。
お隣のグアムにも一度だけ行ったことがあるが、米軍の施設があり、経済が発展している反面、僕はテロのリスクを感じてしまう。
4つ目の「安全」というのは、そのリスクがサイパンにはない(だろう)という意味である(その分、寂れているのも事実)。
ハワイと較べて「半額以下」で、所要時間は「約1/3(3時間)」。
ゴージャスな気分には浸れないが、ビーチシュノーケルで「熱帯魚」が見れるスポットもある。
ところで、わざわざサイパンまで行っても、親達の会話は専ら「子育て」である。
その「子育て」の延長線上の話として、とても考えさせられたコラムが2つあった。
一つは、前参議院議員の田村耕太郎氏の「『一生現役』の時代が到来!」。
もうひとつは、河合薫氏の「企業の“オトナ買い”に振り回される若者の悲惨」。
田村氏のコラムの内容を簡単に説明すると、「国家財政上も人口動態面からも、われわれの優雅な引退を次世代が支えてくれることはない。引退したら自分を養えなくなる」ということだ。
ひと頃まで、今世紀は新興国中心の「人口爆発」が懸念されていたが、今や「人口破綻」が議論のテーマになっている。
「人類の人口急増は“労働集約型経済”の時代に起こった。今世界で広がっているのは知識集約型経済である。知識集約型経済への変化が人口急増に歯止めをかけ、人類が初めて経験する規模とスピードで人口減少社会をもたらすとみる」。
たしかに、そう思う。
「労働集約」型経済の時代には、子供は「6歳」にもなれば、農耕や家内制手工業の立派な「労働力」として「稼ぐ」存在だったが、「知識集約」型経済の時代になると、少なくとも20際過ぎまでは高度な教育を受け、尚かつ、その後はビジネススクールだのロースクールだの会計大学院等に進むケースも多く、膨大な教育費が発生する。
「労働集約」型経済の時代には、8人の子供を持つ(因みに、僕の父は6人兄弟で、内1人は幼少期に死亡。母は、7人兄弟で、内1人は幼少期に死亡)ことは大きな恵み(6歳から稼いでくれ、尚かつ、老後の面倒も看てくれた。実際、僕たち家族は、父方の両親と同居していた)だったが、それは遠い昔の話である。
これからは「農業」も、I.T.バイオ、ナノテク等を活用することになるだろうから、子供では何の仕事もできない「ハイテク産業」になる。
一方、次世代が老後の面倒を看てくれる人口構造にはないが、我々の「寿命」は「伸びる」。
日本は「GDPの2倍」の公的債務を抱えている。
「年金?」。バカなことを言うんじゃない・・・という時代になるだろう。
子供の養育費を払い終わった後、いったいどうやって食べていくのか?
では、子供達はどうだろう?
昨今の「就職難」はとても気になる話だ。
河合薫氏のコラムで初めて知ったが、最近は「一芸枠採用」なるものがあるらしい。
詳細は彼女のコラムを読んでいただければと思うが、どうやら「組織に馴染まない人材(尖った人材)」を採用しようという試みらしい。
でも、そんなものは「論じるに値しない」と思う。
何故なら、パナソニック等の国際的な企業を中心に、中国人等の「外国人学生の採用」を増やしているわけで、日本人の中で尖っただの丸いだのと言っていても始まらないだろう。
因みに、香港では、日本人学校ならぬ「日本人『補修校』」の設立が進められているという。
今までは「現地『駐在』員」として海外に赴任していたエリート社員の人達は、今後は「香港からドバイに赴任してくれ」というような具合になり、日本に帰れる保証はどこにもなくなる時代が来ようとしている。
つまり、現在の「駐在」先には「日本人学校」があるかもしれないが、次の赴任先でもある保証はどこにもなく、であれば、インターナショナルスクール(英語圏であれば現地校という選択肢もあるだろう)に入れることになる。
となると、日本の文化や漢字の習得等、「補修」をしてくれる学校が欲しい、ということのようだ。
そりゃそうである。
パナソニックやソニー、トヨタもそうだろうが、売上の過半を海外で稼いでいるわけで、日本の本社に大勢の社員を置く理由はどこにもない。はっ���り言って、不要である。
となると、言葉だけが一人歩きをしている「グローバル人材」なる概念が、本当にリアリティを持つ時代になると思う。
これは「不可逆的」である。
僕の友人でも、既に「7ヵ国」での「駐在?」を経験し、現在はモスクワで仕事をしている「グローバル人材」がいる。
彼以外でも、日本以外でも仕事をしていけるだろうという知り合いが、10人は下らない。
ところで、僕の妻は、今から「老後」の心配(生活費をどうするか?)をしているが、それでも子供の教育にかける想いは並々ならぬものがある。
それは、彼女に限った話ではなく、サイパン旅行の3家族とも同じである。
僕は、自分たちの子供が将来、どんな職業に就こうが構わないと思っているが、ひとつだけ大切にしたいと思っていることは、「本人の良さ」や「持って生まれた才能」を「発見」し、伸ばしてあげること。
そして、それが親の責任であり「教育」であると思っている。
事実、彼は2歳9ヶ月の時、自分からバイオリンを習いたいと言い出し(練習嫌いで上達は遅いが)、ひとりで遊んでいる時は必ずと言っていいほど「歌」を歌っている。おもちゃのピアノも楽しそうに弾いている。
でも、運動神経では、保育園繋がりの友達に逆立ちしても敵わない。
それでいいのである。彼には彼の良さがある。
「坂の上に雲はない」かもしれないが、子供達の将来に「投資」できる人間になりたいと思う。