「泳ぐ」能力を捨てて、「飛ぶ」能力を身につける。

著名な会社では、スティーブン・スピルバーグ氏の「ドリームワークス」、堀紘一さんが創業した「ドリームインキュベータ」等が挙げられるが、社名に「ドリーム」という単語がついている会社には、共通するものがあるように思う。

昨日は「ドリームインテリジェンス」という会社のワークショップに参加した。

同社は僕には馴染みのない「文京区白山」にある会社で、ワークショップは19:00から始まり終ったのは22:30過ぎ、帰宅したのは24時少し前だった。

同社の社長は「久保ひろし」さんというが、とても熱く、且つ、思慮深く、とても奥の深い人だ。

この会社の存在を知ったのは、以前のエントリーでも紹介したラリー・ドライバーの篠塚建次郎さん」の講演会で、同社で働く田中さんという方と知り合ったのがきっかけだった。

社長の久保さんは現在、37才。20才そこそこの頃に創めた事業が成功し、全国にいくつか支社も出していたそうだが、ご自身曰く、若さ故の奢りが出てしまい、27才の時に、7,000万円の借金を背負って、その事業をたたんだ経験があるという。

彼の凄いところは、7,000万円の借金を「7年」で完済したことだ。どれほどの苦難だったかは想像に難くない。

さて、僕が参加してきたワークショップは、「パーソナルバリューを10倍に高める」ということがテーマだった。

内容は、久保さんがこれまでの人生で学んできたことをベースにして創られたもので、得るものがたくさんあった。

僕にとって最も印象に残ったのは、~ 「泳ぐ」能力を捨てて、「飛ぶ」能力を身につける~ というフレーズだった。

久保さんは、上記のことを「ヤゴ」と「トンボ」に例えて話してくれた。

トンボの幼虫の「ヤゴ」は「泳ぐ」ことは出来るが、「飛ぶ」ことはできない。「トンボ」は「飛ぶ」ことは出来るが、「泳ぐ」ことは出来ない。

「相田みつを」氏の「古いものを出さなければ、新しいものは入らない」という言葉にも通ずるような気がする。ダーウィンの進化論でいう「生き残るのは、変化できる者である」ことでもあるだろう。

今の僕は、「何を得る」ために、「何を捨てる」必要があるのか?

実際には、既に「何かを得る」ために、「何かを捨てている」あるいは「捨てようとしている」と思う。

そのことをより具体的にすることが、本当に自分がやりたいことを「定義」し、その具現化に近づくために必要不可欠なことのように思う。

とても勉強になった3時間半だった。

自分へのハガキ@ cafe 9th

ETICでは毎年8月に「cafe」という名称のイベントを開催している。いつ頃からか、僕も毎年、参加させていただいている。

ETICは「NPO」法人で営利の追求を目的としていない団体だが、彼らの「理念や思想」にはとても共感するところがあり、インタースコープ時代���、ドリームビジョンの設立後も、とても親しくさせていただいている。

その「cafe」だが、今年は明日(8/4)に開催される。

もちろん、参加させていただく予定だが、家庭の事情で途中で失礼することになりそうだ。

ところで、「cafe」では一昨年から、各参加者が、来年の自分に宛てた「ハガキ」を書くことになっている。

この1年間の「目標」を書くのだが、翌年の「cafe」が開催される数週間前になると、そのハガキが招待状代わりに送られてくる。そのハガキを受け取って、それまでの1年間を振り返ることになる。

なかなか良く出来たシステムである。

さて、今年の「cafe」では、来年の8月の自分に向けて、どんなメッセージを送ろうか?

【祝】 カズのオールスター出場!!!

横浜FCの「カズ」こと三浦知良選手(40)が、3年ぶりにオールスターに出場する。

それも、J-EAST「最多得票」である。とても素晴らしいことだ。

是非、ゴールを決めて、満員の観衆の前で、カズダンスを踊って欲しい!!!

追伸:asahi.com の記事には、Ads by Google(AD Words)に「夢は実現できる」という広告が掲載されていた。「カズ」は、そういう「生き方」を体現しているということだ。ドリームビジョンもそうありたい。

「季節の変わり目」と「ベストスコア」。

昨日までの天気が嘘のように、今日は朝から快晴である。間違いなく、梅雨明けしただろう。

僕は「季節の変わり目」がとても好きだ。気持ちも切り替わり、ただそれだけでやる気が出る。今日は、まさにそんな朝だった。

ところで、毎週火曜日は僕が子供を保育園に送る日である。今日は荷物がたくさんあったのでクルマで送っていった。

クルマを家の車庫に戻し、その後、銀行で振込み手続きを済ませ、区役所に立ち寄り、11時前に出社したが、その途中で読んだ日経新聞に、「ヤフーバリューインサイト 2007.5 調査」というクレジットが入った「UOMO(集英社)」の広告が出稿されていた。

ヤフーバリューインサイトは、インタースコープとインフォプラントが合併して出来た会社であるが、インフォプラントはマスコミに強く、以前からこの手のクレジットを見かけることは多々あったが、「ヤフー」バリューインサイトという会社になったことで、その「強み」はいっそう活かされるであろう。

合併前の片方の会社の創業者としては、とても嬉しいことである。

しかし、今の僕は「ドリームビジョン」の創業者であり、経営者である。

僕が社内外に公言している約束として、ドリームビジョンをインタースコープを超える会社にする必要がある。ベストスコアを更新しなければ、やっている意味がない。

しかし、自分で創業した会社ながら、そのインタースコープを超えるのは、容易ではないことは認識している。

インタースコープが「7年」の時間を要した(Y!VI となるまで)とするなら、ドリームビジョンは「10年」かかってもいいので、絶対にその山を越えていきたい(でも、外部の株主は、10年は待ってくれないだろう/笑)。

そのためにも、自分の「強み」にフォーカスしようと思う。

僕が苦手なところは、信頼できる仲間がやってくれるから。

追伸:今週土曜日は、1ヵ月ぶりのゴルフだ。僕のゴルフの師匠のひとりでもある鐙さんという方との直接対決である。鐙さんが還暦になる前に、なんとしても彼に勝ちたい!!!

「無形資産」~ Intangible Asset ~

今日は午前中、保育園の「夏祭り」という催し物があった。昨年に続き、2回目である。

あれからもう1年が経ったのか?と思うと、本当に時間の経つのは速い。「人生は短い」という想いを新たにさせられた。

ところで、今日はこの後、インタースコープのOB/OG会が、インタースコープ発祥の地、中目黒で開催される。正確には、既に始まっている(14時スタート)。

本来であれば、子供を連れて、インタースコープ創業メンバーでもある妻と3人で出掛けている筈だったのだが、子供が今から出掛けようかという時に、昼寝に入ってしまった。それであればと思い、僕もちょっと仮眠を取り(ここのところ、毎晩遅かった)、その後、こうしてブログを書いている。

今日の「インタースコープOB/OG会」は、誰からともなく声があがり、インタースコープ第1号インターンであるジローが幹事を務めてくれて、開催することになった。

インタースコープという社名や法人など、物理的な存在は無くなったが、むしろ、大切なことは、僕らが「インタースコープ」という会社を創業した「理念」や「想い」=「無形資産」~ Intangible Asset ~である。

そして、その「理念と想い」を持ち続ける限り、人と人の繋がりは続いていくし、インタースコープDNAを受け継いだ新しい人材や会社が現れてくると思っている。

既に、ALBERTドリームビジョンという、新しい会社が生まれている。山川さんと僕という、インタースコープ創業者によって。

もちろん、Yahoo! Value Insight にも、インタースコープDNAは受け継がれている!!!

Google に負けるな!!!!!(笑)もちろん、マクロミルにも!!!(笑)

「パリ・ダカール」ラリー総合優勝の「篠塚健次郎」さん

今日のエントリーは、久しぶりにかなり長くなりそうなので、忙しい方は週末にでも読んでいただければと思う。

さて、今週の水曜日、クルマ好きな人なら誰も知っているであろう「篠塚健次郎」さんとお会いする機会があった。

日本人で初めて「パリ・ダカール」ラリーで総合優勝(世界一)をされた、ラリードライバーとしては世界的に有名な篠塚さんのお話しを、たった15~16人で2時間も伺うことができた。

篠塚さんは、とても「澄んだ瞳」をされており、58才という年齢を感じさせない瑞々しさを持った方だった。

篠塚さんの話は約90分ぐらいだったが、非常におもしろく、そして、示唆に富んでいた。

「爽やかな感動」と形容したらいいだろうか?久しぶりにワクワクしたというか、少年に戻ったような気持ちになった。

その時のことを僕のブログを読んでいただている方にもシェアしたいと思い、篠塚さんの話しから僕が学んだこと、印象的だったことを紹介したいと思う。

まず、僕が彼の話しから学んだこと、印象に残ったことを整理してみたい。

★チームの全員が「目標」と「役割」を理解していなければ、絶対に上手くいかない。

★人生で大切なことは「出会い」と「変化の時期」の過ごし方。特に、「変化」の時の「出会い」は、その後の人生を大きく変えることになる。

★自分が調子がいい時は行き過ぎる。一番危ない。自分を客観視してくれる配偶者が必要だ。

★人生は何が幸いするかは分からない。

まず、最初の「目標」と「役割」について。

ラリーはフランスが本場だが、フランス人は常に「何をするのか?」ということを尋ねるという。「パリ・ダカ」に出場するというと、そこで「何をするんだ?」と訊かれるらしい。

「優勝」を狙うのか? 「表彰台(3位以内)」を狙うのか? 「10位以内」を狙うのか? 「完走(それすら難しい)」を狙うのか?

優勝できるチームは必ず、全員が「目標(自分たちは優勝を狙っている)」ことを理解・共有しており、そのための「自分の役割」を自覚しているという。

こんな話しをしてくれた。

砂漠や山の中といった悪路をフルスロットルで走るので、途中でパーツを換えたり、故障したところを修理したりする必要がある。

例えば、ギアボックスを換える時、オイルの温度は「160度」ぐらいになっているらしく、間違ってオイルが手に触れてしまえば火傷するのは必至である。でも、ちょっと(数分)待てば、100度ぐらいに下がる。15~20分待てば、もっと下がるだろう。

「優勝」を争っているチームであれば、1分はもちろん、1秒も無駄にしたくない。でも、「10位」以内が目標ならば、2~3分は待てるかもしれないし、「完走」が目標なら、もっと待てることになる。

そのこと(自分たちの目標)をチーム全員が共有していれば、言葉が通じなくても、判断はぶれない。事実、優勝を目指すラリーチームには100人?ぐらいのメンバーがいるらしいが、様々な国籍の人間がいて、満足に言葉は通じないらしい。でも、チームは「機能する」という。

次の「出会い」と「変化」について。

篠塚さんがラリーを始めたきっかけは、大学時代の友人がラリーに出場するということで、そのナビゲーターをやって欲しいと誘われたことだったという。でも、その時は、ラリーという言葉さえ知らなかったらしい。

しかし、その方と一緒にラリーに出て、ナビゲーターとして「4輪ドリフト」でコーナーを回っていく迫力を経験して、一発でラリーの魅力に取りつかれたと言っていた。

篠塚さんに言わせると、「ラリーが向こうからやってきた」そうだ。最初に走ったのがサーキットだったら、F1ドライバーを目指していたかもしれないと言っていた。

彼は学生時代からラリードライバーとして頭角を現し、ファクトリーチーム(自動車メーカーのチーム)の間でも知られる存在になっていったが、プロのラリードライバーにはならず、三菱自動車の「サラリーマン・ドライバー」になった。

その当時、プロのラリードライバーのギャラは安く、諸先輩たちに「サラリーマン・ドライバー」になった方がよいと勧められそうだ。

三菱自動車に就職し、平日はフツーのサラリーマンの仕事をしながら、週末はラリーの試合に参戦するという生活を続けていき、海外の試合にも出るようになっていたが、1973年のオイルショックをきっかけとして、三菱自動車のみならず、すべての自動車メーカーがラリーから撤退することになる。

篠塚さんが「27~35才」までの「8年間」、つまり、ラリードライバーとして最も脂の乗り切っている時期を、彼は文字通り、フツーのサラリーマンとして過ごしたという。相当なショックだったと思う。

僕は篠塚さんの講演が終った後、すぐに質問をした。

「その時はどんな心境だったのか?どうやって腐らずに、モチベーションを保っていたのか?」

篠塚さんの答えは、「自動車メーカーにとってモータースポーツは絶対に必要なことであり、必ず、また、ラリーに参戦する時が来ると信じていた」というものだった。

でも、会社帰りに一杯飲んで帰るという生活をしていたせいで、63kgだった体重は73kgに増えたと言っていた(笑)。

その時の選択肢として、三菱自動車を辞めて、プライベートチームでラリーに出場することもあったかもしれないが、それでは「勝てない」ということは分かっており、「勝機」が来るのをじっと待っていたという。辛抱強い人だ。

その次の「自分が調子がいい時は行き過ぎる。一番危ない」ということについて。

篠塚さんは、1986年にパリ・ダカールラリー(パリダカ)に初出場し、その翌年、日本人で初めて「表彰台(3位)」に立った。成田に帰ってくると、大勢の報道陣が待ち構えていて、物凄いフラッシュを浴びたという。

それまでは、日本では「パリダカ」という存在はそれほど知られていなかったが、たまたま、NHKが日本ではまだ知られていない海外の文化やスポーツ等を取り上げていた時期だったらしく、篠塚さんが「パリダカ」で「3位」になったことを他のメディアも含めて大きく取り上げたらしい。

そして、1997年の「パリダカ」で、彼は日本人として初めて「優勝」する。物凄い快挙である。その時、篠塚さんは、48才。ドライバーとしては、とっくの昔にピークを過ぎている。

僕は彼に質問をした。「いろいろな要因があると思いますが、何か大きかったんだと思いますか?」

彼は、暫く考えた後、「しつこくやってきたからでしょうね。潔い方がかっこいいかもしれないけど・・・しつこさが大切だと思います」と話してくれた。

さて、「調子がいい時は危ない」という話だが、それは彼が三菱自動車を退職し、カルロス・ゴーン体制の日産自動車のドライバーとして「パリダカ」を走っていた時のことを引き合いに出して話してくれた。

彼は当時、51才(or 52才)だったが、三菱自動車としては、そろそろ「潮時」だろうということで、ラリーからの「引退」を要求してきたそうで、彼は何の充ても無かったが、仕方なく、三菱自動車を退職した。その彼に、声をかけたのが日産自動車で、彼は日産自動車の契約ドライバーとして「パリダカ」を走っていた。

その時の1位と2位は「三菱自動車」のクルマ(ドライバー)で、彼は「3位」につけていたらしい。日産自動車として初参戦の「パリダカ」で、いきなり「3位」は上出来である。

実は、最初の3年間で「3位」入賞、4年目で「優勝」というのがゴーンさんの「計画」だったらしいが、ゴーンさんはとても厳しい人で、絶対に計画を達成する必要がある。逆に言えば、計画を達成できなければ、ラリーから撤退するのは目に見えている、ということだったらしい。

篠塚さんは、そのことが分かっていたので、何とか「3位」をキープしたかったそうだ。初年度で「3位」入賞すれば、その後、3年間は無条件で大好きなラリー、それも「パリダカ」に出場することが約束されるのである。

それで、ついつい「無理」をしたという。あるところで「大クラッシュ」をして、ヘリコプターで運ばれるという大事故を起こした。

そのことをマスコミが大きく報道したことに配慮し、日産自動車は、その翌年、「パリダカ」から撤退してしまう。

その話しをしながら、篠塚さんは「配偶者」の大切さを話していた。特に、プロのドライバーは常にハイになっているので、それをいつも横で見ている配偶者の存在はとても大きい(必要な存在)と言っていた。

もうひとつの、「人生は何が幸いするかは分からない」について。

「パリダカ」参戦2年目の時に、あるラリーで、篠塚さんが「パリダカ」で乗るはずだった車がクラッシュしてしまい、仕方なく、フランスにあった車で出場したところ、その車がとても良く出来ていて、結果的には「3位」入賞に繋がったという話しだった。

さて、話しはだいぶ長くなってしまったが、篠塚さんとの「出会い」は、僕の人生に何らかの「変化」や「影響」をもたらすかもしれない。

早速、彼の本を読んでいるが、リクルートの江副さんの本と同じような「興奮」を覚えている。

何が共通しているのか?を考えてみたが、「夢を持っている」とか、常に何かに「挑戦する」とか、ふたりの「生き方」そのものが「イノベイティブ」であり「チャレンジング」であることが、共通しているような気がする。

僕自身、そういう「生き方」をしたいと思っているし、ドリームビジョンはそういう生き方を志向する人たちが集まる会社にしていきたい。

因みに、ドリームビジョンでインターンをしている学生のひとりは、フォーミュラカー(レース)のあるカテゴリーで、ドライバーとして「全日本チャンピオン」になったことのある奴で、本気で「F1レーサー」を目指している。

彼に、「篠塚さんに会って、サインも貰ったよ!!」と言って、彼の本を見せたら、目を輝かせていた。

彼にも是非、「夢」を実現して欲しい。

追伸:今日はこの後、インターネットリサーチを一緒に盛り上げてきてくれた吉澤さんが創業したマーケティングジャンクションの10周年記念パーティに参加させていただくことになっている。「夢」を持ち続けている人は、いくつになっても若々しい。僕もそうありたい。

Yahoo! にバトンを渡す。

来る「7/1(日)」、大谷さんが創業したインフォプラントと僕と山川さんとで創業したインタースコープが合併し、ひとつの会社になることになった。

両社とも1998年頃からインターネットをプラットフォームとしたリサーチビジネスに着手し、2000年にVCから資金調達して、本格的に事業を立ち上げてきた。

現在、業界の中で一歩抜きん出た存在であるマクロミルと共に、業界の「3強」なり「御三家」と称されて、インターネットリサーチ業界をリードしてきた関係である。

その両社による合併会社の「新社名」は、「ヤフーバリューインサイト株式会社」に決まったというリリースが昨日、出された。

僕らがマンションの一室で創業した事業が、天下の「Yahoo!」グループ企業となったのである。

そして、Yahoo! JAPAN の子会社で「Yahoo!」というブランドネームを冠するのは、今回が初めてである。

これは、とても名誉なことだと思っている。

日本では、まだまだ「買収」されるということに対してネガティブなイメージがあると思うが、買収するということは、高いお金を払って購入する価値があるということを意味しており、尚かつ、買収した両社に「Yahoo! JAPAN」として初めて「Yahoo!」という冠をつけたわけで、それは合併によって生まれた新会社に対する期待値の高さを物語っている。

IPOだけが「成功」ではない。

大谷さんや山川、平石ではなし得なかった「夢」を実現していって欲しい。

「創業者」としての素直な想いである。