「幻想」と「限界」

今日の日経新聞にワールドカップに関する論説が載っていた。電車の中で、自分自身に置き換えながら読んでいた。

ブラジルのサッカーは「アコーディオン」のように「横の収縮」を重ねながら、時折、鋭く内側に切れ込み、ゴールを狙う。

対して、ヨーロッパのサッカーは「トロンボーン」のように、大きなストロークで「縦への前後運動」によってゴールを狙う。

では、日本はどうか?

「横の収縮」はあるが、内側に切り返す際の「スピード」がない。なので、ゴールが狙えない。
では、「縦への前後運動」をしたらどうか?それには、体格的に大きなハンディがある。

つまり、日本はブラジル(ラテン)のような「跳躍的」サッカーは出来ないし、ヨーロッパの強豪国のような「大きな」サッカーも出来ない。出来るのは、チームワークの妙で「熟成」されたサッカーだけだが、熟成させるのはブラジル型でもヨーロッパ型でもなく、試行錯誤の上、日本オリジナルのスタイルを見つけ出す必要があるという論説だった。とても分かりやすい分析だと思う。

話しは変わるが、ある時、2003年だっただろうか?「FFS理論」というチームワークの状況を分析するプログラムをインタースコープの経営メンバーで受けたことがある。インタービジョンという組織に関するコンサルティング会社の創業者である小林さんという方が開発したものだ。グロービスの投資先企業が何社か受けたと記憶している。

小林さんは米国ペンタゴン(国防総省)の顧問を務めていた(いる?)こともあるそうで、戦争の際に最強なチーム編成をするには、どのようなメンバーで構成するのがよいか?という、人材の最適化の権威らしい。

そのプログラム(FFS理論)では、マネジメント層のメンバーを、「タグボート」「リーダーシップ」「マネジメント」「アンカー」の4つに分けている。

「タグボート」とは、小さな船体にパワフルなエンジンを積んでいる船で、大型船を先導したり、自力で動けなくなった船を助けたり、海難救助などで人命や貨物、船体の安全確保などに活躍する船のことを指す。ひと言で言えば、「リスク」の高い仕事をする船である。

この理論で言う「タグボート」とは、リスクを取って「新しいビジネスチャンス」を開拓しようとするタイプを指すらしい。

「リーダーシップ」とは、タグボートが見つけた「魚影」をどうすれば攻略することができるか?を考えて実行する、会社で言えば「売上」を上げることに貢献するタイプの人材を指す。

「マネジメント」とは、「攻めと守り」をバランスさせ、「利益」を出すことに長けているタイプだそうだ。最も経営者的と言ってもいいかもしれない。

「アンカー」は、「撤収」を決断するタイプだそうだ。

僕はどのタイプかというと、「タグボート」らしい。要するに「起業家」タイプということだ。

このタイプは、組織が大きくなっても、常に「新しい何か」を探して行動するので、自分の影響力の大きさに気づかず、周囲に迷惑をかけてしまう傾向にあるようだ。まさしく、当たっている(笑)。

因みに、マネジメントメンバーで「タグボート」だったのは僕ひとりで、ある種の窮屈さを感じてたのはそういうことか?と妙に納得したりもした。

インタースコープは、創業期のベンチャー企業にしては「タグボート」や「リーダシップ」が少なく、マネジメントが多い組織だったようだ。

ところで、僕の周りには、同じように「起業」して、同じように「VC(投資家)」からお金を集めて、その結果、上場を果たした人が大勢いる。

では、誰でもが株式公開できるのか?できたとしても、その後も成長を続けていけるのか?というと、それは明らかに「NO」である。

1990年代のネットバブルやここ数年の「プチバブル」は、誰でもがベンチャー企業を創業し、VC(投資家)からお金を調達し、株式公開ができるかのような「幻想」を生んだところがあるように思う。
しかし、現実は全然違う。

自分自身はどうか?と考えると、正直な話し、とても悩んでしまう。

数年前までは一緒に汗水を流していた人達が、今では「ヒルズ族」になったり、ヒルズには入居しないまでもセレブな生活をしている姿を見ると、正直に言って、自分は随分と遅れをとってしまったと思うこともある。

でも、「起業家」にも、色々なタイプやスタイルの持ち主がいる。

バカな「幻想」は捨て、自分の「限界」を知り、尚かつ、自分ならではの「可能性」を見出し、そこに情熱を傾けられる人になりたいと思う。

仮に「周回遅れ」となっても、「自分らしい生き方」を大切にして。

シリアルアントレプレナーで行こう!!! 巨万の富みは築けなくても。

3種類の風

先日、僕が最初に起業した頃からお世話になっている伊藤忠商事の塩見さんという方と、塩見さんの元部下や現在の部下の方と一緒に食事をする機会があった。塩見さんの昇進祝いをしようということで、塩見チルドレンが集まった。

その時に塩見さんが仰っていた言葉が印象に残っている。

「フォローの風が吹いている時と、風が吹いていない時と、逆風の時がある。自分にとって今、どんな風が吹いているのかを理解して、取り組むことが大切である」という趣旨のことを仰っていた。

僕が28才で起業してから今までの人生を振り返ると、最初の起業の時は、実際にはどうだったかは別として、僕にとっては常に「逆風」だった(と感じていた)。

多少は儲かっていたという意味では、4年目から6年目にかけては、そこそこのフォローの風だったと思うが、大半はアゲインスト(逆風)だったように思う。フォローの風が吹いていたとしても、当時の僕には、その風に乗る実力が無かったということだ。

フォローの風が吹いて来たのは、1998年の秋頃だったと思う。山川さんと一緒に「インターネットリサーチ」を始めてしばらくした頃だ。渡辺さんが立ち上げようとしていた「保険スクエアbang !」というネットビジネスに参画したのもその頃だった。

あの時は、インターネットバブルというフォローの風に上手く乗れたと思う。

では、今はどうかというと、フォローの風が吹きそうな「予感」はしているが、実際には「無風」に近いような気がする。

そんな話しを塩見さんに言ったところ、「必ず、『隙間』が出来る瞬間がある。なので、その時にズバッと行けるようにしておくこと(が大切)」と教えられた。

インタースコープを立ち上げた時も、それまでに準備(努力)をしてきたからこそ、フォローの風が吹いた時に、うまくその風に乗れたのだと思う。

何事も「原因」が無ければ「結果」は出ない。

実はここ数日、気持ちが重たい状態にあったのだが、今日のある出来事により、その重たい気持ちが薄らいだ。

フォローの風が吹いた時に、その流れにうまく乗れるよう、日頃から準備(努力)を怠らないようにしよう。

捨てる勇気

以前にも書いたが、僕は「中学浪人」をしたことがある。

地元(福島県)の進学校を受けて不合格となった僕は、二次募集で他の高校に入学したが、どうしてもモチベーションが続かず、3ヶ月で退学した。

その後、予備校に通ったわけだが、途中から成績が悪くなり、僕が「リベンジ」をしたい「安積高校」ではなく、その次のランクの高校を受けた方がよいのではないか?という話しが出た時があった。

その時の僕は、まだ、生きていた母親との会話において、「前に進む勇気は簡単だけど、僕には一歩退く勇気はない」と言ったことを覚えている。

結果的には、安積高校に合格したが、その時に「退く」勇気を持っていたら、僕の人生は大きく変わっていたかもしれない。

ある人と話しをしていて、そのことを思い出した。

それが上記でいう「退く」こととは違うと思うが、僕は丸6年かけて創ったインタースコープという基盤を自分から放棄した。ある意味で過去のことは「捨てた」ということだ。

でも、今の僕には、まだまだ「捨てるべきこと」があるような気がする。

それが何なのか?自分で分かっていることもあるし、気がついていないこともあると思う。

「内なる自分の声に素直に耳を傾ける」努力が、まだまだ足りないのかもしれない。

社会的な価値基準に引きずられていたり、変な見栄やプライドが邪魔をしているところが多々あるんだろう。悟りの境地になれるほど、人生の経験を積んでいないが、まだまだ「捨てる」べきものがあるように思う。

平石郁生という人間の本質を考えて、「優先順位」をもう一度、考えてみようと思う。

期待値

ワールドカップが終わって、各種マスコミの報道が目に留まる。

中には、単純にジーコ監督や選手の批判をするだけのモノもあり、憤りを感じることも少なくない。自分たちの期待が裏切られたことの反動なのか?

ジャーナリズムというものは本来、ある事実に基づき、ニュートラルな立場あるいは自社の立場を明確にした上で、その出来事の社会的意味を広く報じることが役割のはずであるが、ネガティブなことを書いた方が売れ行きがよいというような風潮があり、それがマーケティングと言えばそれまでだが、何とも残念な気持ちになることがある。

しかし、元を質せば、国民のレベルがそのようなマスコミの体質を作っているわけで、それこそ、マスコミの批判だけをしても始まらない。

「教育こそが社会を変え得る」と思う所以である。たまには短く。

ブランド認知

昨日はETICが主催するインターンシップフェアがあった。

ETICとはインタースコープ時代からの付き合いで、かれこれ6年以上になるが、ドリームビジョンの事業スピードを加速するために優秀なスタッフを採用するべく、現在3名のスタッフ全員で参加した。

そこで、久しぶりにDeNAの南場さんと会った。

こちらから挨拶すると、いつもの明るいノリで、「あー久しぶりですね」と返事が返って来た。

僕が、インタースコープを退任して、新しいビジネスを始めたことを言うと、「えっ、そうだったんですか。社名を変えたのかと思っていました。今度は、どんなことをされるんですか?」という「想定外」のリアクションが返ってきた。

要するに、南場さんにとっては「平石郁生(記号性)=インターネットリサーチ(意味性)」という構造のままだったということだ。

ビジネスにおいて最もマーケティングコストが要るのが「認知と理解」の獲得であるが、そのことを身を以て感じた瞬間だった。

南場さんのところには、毎日それこそ物凄い量の情報が届くだろうから、そのひとつひとつを精読する時間はないだろう。日頃から南場さんと何らかの接点があれば別だが、そうでなければ、僕がインタースコープを退任し、ドリームビジョンを設立したというニュースが届いても、正確に理解しないことは不思議ではない。ロジカルに考えてみると「想定の範囲内」ということだ。

ドリームビジョンとしては初めてインターンシップフェアだったが、「認知と理解とマインドシェア(関心度)」という点では、大きな収穫もあった。

1社3分ずつの全体プレゼンの後、各社の個別ブースにて、興味を持ってくれた学生達と質疑応答をするわけだが、まず、そこに学生が来てくれたこと(正直、ほっとした)、そして、来てくれた学生は僕らが来て欲しい(採用したい)と思っているタイプの人達であり、ドリームビジョンという「知名度ゼロ」の会社のやろうとしていること(意味性)が理解され、興味を持ってもらえたということは、とても嬉しいことだった。

インタースコープの平石の頃から感じていることだが、学生という「マーケット」は「情報(起業家のビジョン)」に対して、極めてビビッドに反応を示す。

学生が興味を持つかもたないかは、「分かりやすい商品やサービス」 and/or 「起業家自身の魅力」の2つで決まる。

興味がない会社のブースには、人は来ない。自社と自分という「商品力」がシビアに試される瞬間である。

あの南場さんでさえ、「いくつになってもドキドキするなあ」と言っていたが、僕にとってもビジネス上のプレゼンテーションやスピーチよりも、大きなプレッシャーと緊張を感じる一日である。

坊主頭のりょうへいさん

彼とは2005年の夏、アタッカーズ(大前研一氏が運営するビジネススクール)のケース発表会で知り合った。

お昼の時間になり、食べ物をトレイに取って、空いている席を探している時に目に留まったのが、彼が座っていたテーブルだった。また、ケース発表会が終わって駐車場に向かったところ、偶然(たぶん必然)にも、また、彼に遭遇した。「どこかまで送りましょうか?」と声をかけ、横浜のあざみ野(だったと思う)から、僕の車で恵比寿駅まで一緒に帰ってきた。

その後、しばらくは何も音沙汰がなかったが、ある時、MIXIで発見され、ネット上で再会した。しばらくすると、今度はGREEでも発見された。そして、現在は、ドリームビジョンSNSでも繋がっている。

僕のブログを読んでくれている人の中にはご存知の方もいると思うが、彼は僕のブログに毎回欠かさず「コメント」を書いてくれている。それも、いつも深い「意味」のあるコメントだ。自分の書いたことの「意味」を再確認することができ、僕自身がとても勉強になっている。

昨夜は、その「坊主頭のりょうへい」さんも、そして、Vivienも参加してくれた「ドリームビジョン交流会@渋谷」なるものが開催された。

当社のスタッフが交流会を企画したことを知った時は正直、「参加者が集まるのかな?」と思っていたが、僕の心配をよそに、金曜日で尚かつ給料日にも関らず、20人以上の人が参加してくれた。

参加者は、ドリームビジョンSNS登録者と先日のトークセッションの参加者だ。「短い人生」の「ある数時間」をドリームビジョン関係者と過ごそうと思ってくれたことが、とても嬉しかった。

僕は今まで、B2Bのビジネスしか経験して来なかったので、「B2C」のビジネスからは学ぶことが多い。

考えてみれば、僕が社外取締役になっているラソナも、今まで9年間やってきたWEBサイトやDB構築等の受託ビジネス(B2B)とはまったく異なる「B2C」ビジネスを展開し始めており、僕自身の人生の「ターニングポイント」であることを感じる。

ラソナが手掛けているB2Cビジネスは、「表参道コムニット」という「地域(街)」をテーマにしたSNSベースのビジネスだ。その街のお店や各種施設とその街に来る人々や居住者の方々の交流を促進しようというものである。

今まで僕がやってきたビジネスの場合、当然のことながら「仕事」上の付き合いが基本であり、プライベートの関係にまで発展する人はそう多くはなかったが、ドリームビジョンで展開していこうと思っているビジネスは、「夢を共有」したり、「自分らしい生き方とキャリアデザイン」ということをテーマとしたコミュニティだったり、カリキュラム運営だったりするので、必然とユーザー(あまり好きな表現ではないが)の皆さんの「人となり(人間性)」を垣間みることになり、自ずとプライベートにおいても交流が生まれていくような気がする。そうなったら、とても幸せである。

以前にもこのブログでさわりは書いたと思うが、来月発売の「Think !(東洋経済新報社)」というビジネス誌で、「WEB2.0時代におけるキャリアデザイン」というテーマで原稿を書かせてもらった。是非、読んでみて頂けたらと思う。

その中でも書いたが、「知識や学びの高速道路」が敷かれた「WEB2.0」という時代においては、むしろ、「知識」以外のことが重要になってくると思っている。

そのことのひとつが「人間力」だと僕は考えている。

「人間力」の因数分解は「Think ! 」誌面でしているのでここでは割愛するが、要するに「他人の成長」を自分のこととして喜べたり、他人に対する「愛情」を持てる人のことを「人間力がある人」と言うのだと思う。

ひとりひとりが自分らしい「夢」を持ち、夢の実現に向けてコミットしていけるように、その「夢の実現」を支援できる会社にしたい。

そして、「自立した個人」により構成され、個人の自由と責任による「生き方」と「職業」を許容し、「チャレンジする人がリスペクトされる社会」の実現を目指して、ドリームビジョンとして僕らが出来ることをやっていこうと思う。

昨日完成した「事業計画書Ver1.0」の「事業への想い」というページに、僕が書いたことである。

泉岳寺

何年ぶりだろうか? 本当に久しぶりに「泉岳寺」の駅に降り立った。昨日の午前中のことだ。

車の法定点検を依頼したディーラーが、たまたま泉岳寺の近くだった。

「泉岳寺」には、1998年から1999年にかけて、多い時には毎日のように通っていた。2000年に一緒にインタースコープを創業した山川さんが当時、エムアンドシーという小さな会社を経営しており、オフィスが泉岳寺にあった。

駅はだいぶキレイになっていたが、すぐ横のそば屋は今もあり、周辺の景色は変わっていなかった。エムアンドシーのオフィスが入っていたビルの1階にあったコンビニは無くなっていたけれど。

その頃は、後にウェブクルーという会社を設立した渡辺さん(当時はペガジャッパンというネットベンチャーを岐阜の春日井というところでやっていた)達にシステム構築の面倒をみてもらい、インターネットリサーチの事業化を進めていた時期だった。当時は、僕も山川さんも、そして、渡辺さんも本当に貧乏だった。

渡辺さんは後にウェブクルーを上場させ、今ではヒルズ族のひとりだが、当時は東京に出張に来ると、僕の安アパートに泊まっていた。

今、改めて振り返ってみると、あの頃はあの頃で幸せだったと思う。マスターカードのTVCMではないが、「お金では買えない」何かが、お金がないからこそ、僕らの生活にはあったような気がする。

こうして、ブログを書いていて、それは「物事に感謝する」という姿勢だったのではないかと思った。10万円の売上に、20万円の売上に、心から感謝していた。

僕だけなのか?他の人もそうなのかは分からないが、僕は、楽しかったことよりも、辛かったことをよく思い出す。

それも、楽しく思い出す時と、感慨深くしみじみと思い出すことの両方がある。昨日は「しみじみ」系だった(笑)。それは、もう一度スクラッチから会社を立ち上げることの大変さを、改めて感じているからだろう。

そして、そういう(物事に感謝する)「心」を忘れないように、辛かった頃のことを思い出すのかもしれない。きっと神様が「いい気」になりやすい僕のために、そういうDNAを植え付けてくれたのだろう。

話しは変わるが、今日はインタースコープの取締役会議があった。僕は取締役は退任しているが、創業者ということと、今も尚、大株主のひとりであることから、オブザーバーとして出席している。

取締役会議の後、社外取締役の小林さん(グロービス・キャピタル・パートナーズ)とブログの話しをした。小林さんのブログは、なんと、月間ユニークユーザーが「7,000人」もいるらしい!!! すごいのひと言だ。

では、何故、小林さんのブログを読む人がそんなに多いのかというと、彼のブログは「情報量が豊富」だからだと思う。それも、「旬」な話題や情報が多いからだろう。

デジタルガレージ共同創業者の伊藤穣一氏(通称Joi)が言っていた「ブロガーの影響力」とは、こういうことを言うんだろう。Technorati Japanを設立するために議論を重ねている時に、Joiから米国のブログ事情はよく聞いていたが、こうして身近なところにパワフルブロガーが存在していると、身をもって、その意味を理解でききるようになった。

またまた、話しは変わるが、あるリサーチプロジェクトで、「会ったこのとない有名な専門家」の意見と「自分の知り合いで信頼がおける人」の意見と、どちらが信頼できるか?というテーマがあり、後者の方が信頼できるとする人が実は多い、ということが分かったことがある。パワフルブロガーというのは、ある意味、その両者の中間ぐらいの存在なのだろう。

さすがに7,000人ともなると、小林さんの知り合いよりも、知らない人の方が多いと思うが、僕のブログを読んでくれている人は、半分ぐらいは「知り合い」ではないかと思う。因みに、月間のユニークユーザーは知らないが、デイリーのユニークユーザーは、だいたい「100~200人」ぐらいなので、おそらくそういうことだろう。

小林さんに「平石さんのブログは長いので(読むのが大変です)・・・」と言われた。(ごめんなさい)

僕は小林さんのように「ジャーナリスティック(ビジネス情報誌的)」なブログは書けないが、読んでくれる人に対して、時間の無駄になるような内容では失礼だと思っているので、僕なりに必ず、何らかのメッセージを込めて書いている。多少なりとも何らかの参考になるようであれば幸せである。このブログで1円も稼いではいないが、プロフェッショナルとしての意識を持って書いている。それで短ければより良しということか。頑張ろう。

僕がもし、小林さんのようなジャーナリスティックなブログを書けと言われれば、マーケティングなり、起業にまつわる話しは書けなくはないかもしれないが、要するに、そのことに「価値」を見出すかどうか?なのだろう。

そういうテーマであれば、僕よりも読者の方々にとって有益な情報を書ける人はたくさんいるということと、起業のことならともかく、マーケティングに関する話しを書く(解説する)ことに興味がないのである。

好きこそモノの上手なれということだろう。これからも「自分らしく」生きていこう。