「なお」という名前で僕のブログにコメントをくれた大学生の方がいる。
(おそらく)彼女は、「自分のしたいことがみえてこないです。将来が不安でたまりません」とコメントをしていたが、僕も学生の頃、そして、社会に出た直後の頃、自分の将来に対して「漠然とした不安」を抱いていた。
何故だか分からないが、先程、家の掃除をしていて、ふっとその当時のことを思い出した。
では、何故、当時の自分は、自分の将来について「具体的」な不安ではなく、「漠然」とした不安を抱いていたのか? そのことを考えてみた。
今の日本において、生活していくお金が稼げずに「路頭に迷う」ということはあり得ない。つまり、身体的あるいは精神的なハンディキャップを持っていて働くことが出来ないというような事情がない限り、「路頭に迷うことすらできない」のが今の日本社会である。
では、それにも関らず、何故、僕は「漠然」とした不安を抱いていたのか?
それは、「自分らしく生きていく」ことが出来るのか?ということに、自信が持てなかったからだと思う。
ただ単に、世間並みの生活をするのは難しいことではないと思うが、「自分らしい生き方」をするにはどうすればいいのか?それが分からなかったのである。
では、どうすれば、「自分らしい生き方」ができるのか? 大きく「2つの論点」があると思う。
ひとつは、「自分を知ること」。
自分が何をしている時に「楽しい・嬉しい」と思い、自分の「存在意義」や「幸せ」を感じるか? 平たく言えば、自己分析である。
もうひとつは、そういう自分の特性は、どんな「職業や仕事で活かせるか?」を知ること。
そのためには、世の中にどんな職業があり、どんな仕事があるのか?を、具体的に知る必要がある。
これこそ、先日の「職業講話(中学での授業)」に通ずる話しであり、村上龍さんの「13歳のハローワーク」である。
若いうちにこれが出来る人は、なかなかいないということだろう。
では、どうすれば、上記2つが出来るか?
後者は次の機会に譲るとして、前者に関しては、学生の方々や20代の方々と話す度に、とにかく、自分が好きなことは何か?何をしている時に「楽しい・嬉しい」という「感情」が沸き上がってくるか?そして、それは「何故か?」ということに目を向けて欲しいと言っている。
恥ずかしいのを承知の上で、僕自身のこと話すと、中学の頃から音楽を始めて、大学1年生の頃まではミュージシャンになりたいと思っていた。音楽の才能がないと悟った後は、劇団のオーディションに応募して、俳優を目指したりしていた(300人中5人しか受からないオーディションに合格した!!!)。
でも、そのいずれに対しても「リスク(夢が実現しなかった時のハンディキャップ)を取る(覚悟する)」ほどの「勇気」はなかったし、そこまでしてやりたいことではなかったということだ。
しかし、それらの経験により、僕は仕事を通じて「自己表現」をしたい人間であり、自分が思っていることや自分のアイディアを「社会に提案し、具現化したい」と思っている人間だということを知った。これはとても大きな学びだったと思う。
今日はこの後、インタースコープ創業の頃からお世話になっているETICのイベントにお招き頂いて、学生のうちにベンチャー企業でインターンをすることの意味(価値)について、話しをさせて頂くことになっている。
昔の自分を思い出しながら、学生の方々にとって、少しでも有意義な話しができればと思う。