新年に向けて。

ドリームビジョンの創業と同時に、このブログを書き始めましたが、お陰様で200エントリー以上のブログを書き、多くの皆さんに読んでいただくことができました。

僕が精神的に落ち込んでいる時には、励ましのコメントを頂いたり、個別にご連絡を頂いたりと、このブログを書き出したことにより、多くの人に支えて頂いていることを実感することができました。

特に、200を超す僕のブログの「すべて」にコメントを下さった「坊主頭のりょうへいさん」には、年の瀬にあたり、心よりお礼を申し上げます。

今年は、「3度目の起業」と「初めての子育て」を通じて僕が経験したことや心境の変化から、少しでも僕のブログを読んで下さっている人達に対して何らかの参考になればと思うことを書いてきましたが、来年は、それらに加えて「事業開発」という観点で、このブログを書き続けていこうと思います。

では、皆様、良いお年をお迎え下さい。

新年も宜しくお願い申し上げます。

10年後の社会と自分を考える。

僕にとって今年は「変化」の年だったということは昨日のブログで書いたが、ここ数日は年の瀬ということもあり、ここ数年の自分自身の生き方を振り返ると共に、年明け以降の仕事や社会構造の変化について考えていた。

昨日(12/29)の新聞に掲載されていた榊原英資氏の論説を読まれた方もいると思うが、僕も多くの視点をもらった「会社はこれからどうなるのか?(東大教授・岩井克人氏/2003年)」を榊原氏は引用し、ポスト産業資本主義の時代における「教育の重要性」を説いていた。

岩井氏は、ここ20年間(1978年から1998年)の米国の上場企業(金融機関を除く)の「資産構成」の変化を紹介し、今後の社会を「ポスト産業資本主義」と呼んだ。

1978年末には米国の上場企業(同上)の資産の「83%」が有形資産だったが、1998年には「31%」にまで減少しており、その間、上昇(17%→69%)したのは「無形資産」であり、また、これらの無形資産は何らかの意味で「知識」や「能力」と関連していることから「知識資産(Knowledge Assets)」と定義している。

「知識資産」の割合が増加するということは、人間の価値が上昇しているということだが、それは現代社会における「付加価値」を生み出す「能力」や「知識」を保有する人の価値が上がるということであり、それらを持たない人々(彼らの仕事は機会やコンピュータに代替あるいはより安い賃金で働く人に代替される)との間に「(所得)格差」が生じることをも意味している。

それが、マスコミ等で論点となっている「格差社会」という問題である。

この「格差社会」というイシューを取り上げる時に、もうひとつ、論じるべき問題がある。いわゆる「ニートやフリーター」と言われる人達である。

彼らの中には、潜在能力的には「知識資産(Knowledge Assets)」を生み出す側になれる人も少なくないと思うが、問題は「働く」あるいは「自己向上」ということに対する「意欲(モチベーション)」が低い点にある。

このふたつの問題点を挙げた後、「格差社会」と同時に「階層(クラス)社会」が到来しつつあることを榊原氏は指摘している。つまり、若いうちから人口の一定割合が「貧困層」として定着してしまうことである。ベストセラーとなった三浦展氏の「下流社会」の意味するところでもある。

榊原氏は「階層社会」という点では、政治の世界で二代目や三代目ばかりが目立つ点も挙げていたが、では、なぜ、このような問題が起きるのか?という疑問に対し、彼は「最大の原因は逆説的だが、能力差による格差を認めない悪平等主義が、戦後日本で、特に教育界で支配的になってしまったためと思える」と述べている。

また、ポスト産業資本主義の時代において、個人にとっても、企業、国家にとっても最も重要なのは、岩井氏の言う「知識資産」を蓄積することであり、そのためには「教育こそが社会の中心に据えられるべきである」とも述べている。

話しが長くなるので詳細な説明は省略するが、親の地位や財産に関係なく、子供にレベルの高い教育の機会を提供し、フェアな競争ができる環境を創る必要がある。そして、そこでは能力の格差は認めなくてはならない、というのが榊原氏の主張である。

僕は彼の論点と主張に対して、とても賛同できるし、そのとおりだと思う。

しかし、問題は「どのような教育を社会の中心に据えるのか?」ということである。

そのコンセプトが、今の日本の教育会には決定的に欠けているのではないかと思う。

岩井氏は「知識」や「能力」が価値の源泉となると書いているようだが(記憶が曖昧という意味)、僕は「知識」には然程の意味はなく(何故なら、Googleで検索すれば、最新の知識なり情報が得られるから)、月並みな話しであるが、重要なのは「考える力」であり「知恵」を生み出す能力を育むことだと思う。

僕がドリームビジョンで「人」にフォーカスし、「教育・職業(仕事)・事業開発・フィナンス」の領域でビジネスをしていきたいと思うのは、「自分らしい生き方とキャリアデザイン」を実現させていくためには、それらの要素が必要だと思っているからである。

Google は、テクノロジーですべてを解決できると思っているのかもしれないけど・・・。

追伸:「八戸を日本のシリコンバレーにする!!!」プロジェクトは、僕のビジョンを体現する場になると思っている。乞うご期待!!!

「予言は自己実現する」。

昨日(12/28)は、ドリームビジョン初年度の仕事納めだった。

午前中は経営会議を行い、今期(12月決算)の支出内容の分析をもとに、来期は「何にお金を使べきか?」と僕らの戦略を具現化するために必要な材料は何か?を議論した。とても有意義な会議ができた。

午後は大掃除。インターンの学生達がテキパキと働いてくれたお陰で予定よりも早く片付いた。

夜は「納会兼忘年会」をした。日頃からドリームビジョンを支援してくれている社外の人達も参加してくれて、計10名で会食をし、その後、カラオケに繰り出した。安田くんはけっこう歌が上手いことが分かったのは収穫だった(笑)。

今日は午後からラソナで会議をした。ソリューション事業部を強化していくために、事前に用意しておいてもらった「数字」をもとに、今後の戦略を議論した。こちらもかなり有意義な会議だった。ラソナにとっても、今年は大きな変化の年だったと思う。会議の後は、ポン(岡村氏)と添島さん(経営管理)と僕とで食事をして帰ってきた。

大袈裟な話しではなく、今年は、今までの僕の人生で最も短く感じられた。

とても短く感じられた1年だったと同時に、とても密度が濃く、心身ともに疲れた1年だった。同時に、とても収穫の多い年でもあった。

それ故か昨日、ドリームビジョンの納会を終え家路についた時は「ほっ」としたというか、安堵感を覚えた。

今年は僕にとって、すべてが「変化」だった。

僕の計画では再来年に「大きな結果」を出す予定なので、来年はそのための「地固め」の年にしたい。

「予言は自己実現する」。

来年の「目標」。

仕事では「単年度黒字」。
私生活では「ゴルフで85以下のスコアを出す」。

捨てる勇気。

何かを選択することは、それ以外の選択肢を捨てることになる。

同時に、人間は未来により多くの可能性を取っておきたいと思うのが性である。

しかし、何かにコミットすることは、何かを捨てることである。

成功する人は、それが出来る人だと思う。

僕は、35才になった時、そのことに気づいた。

まだまだ、成功にはおぼつかないが、捨てることの大切さは実感した。

来年は、何を取り、何を捨てるか?

計画的に捨てて行こうと思う。

ネットエイジの小池さん

ネットイヤーグループ(当時)を経営していた小池さんの存在を知ったのは、渋谷の文化村にあるカフェで、ビットバレーの決起集会が行われた時だった。

その後、ビットバレーCEO忘年会等の集まりで、何度か小池さんとは顔を合わせていたが、その「存在感」というか「オーラ」に近寄り難いものを感じていて、声をかけることはなかった。

初めて小池さんと会った(話しをした)のは、僕の「40才」の誕生日で、小池さん、西川さん、前刀さんと僕とでゴルフに行った時だった。みんなで西川さんの車で出掛けたのだが、小池さんと僕とが後部座席に乗り、挨拶をしたのが最初だった。

その時の印象は、「とても気さくな人だな」というもので、それまで抱いていたものとは全然違っていた。

ネットビジネスに関わっている人であればご存知のとおり、小池さんはニューヨーク在住時代、1998年に、ネットイヤーをMBOした。そして、翌1999年に、日本法人を創った。

ネットイヤーグループは、当時の言葉でいう「SIPS」という概念のもと、ネットビジネスの上流工程のコンサルティングからウェブサイトの企画製作と、シード&アーリーステージのネットビジネスへの投資育成をしていたが、ネットバブルの崩壊により、事業構造の再編を余儀なくされ、小池さんが率いてたネットイヤーキャピタルパートナーズをネットエイジと統合させ、現在に至っている。

小池さんは一時期、マスコミに叩かれていたこともあり、ある意味で「栄光」と「苦境」の両方を経験されている方だ。そして、今年8月、ネットエイジグループとして、満を持して東証マザーズに上場した。

僕のような立場の人間が申し上げるのはそれこそ不遜なことだと思うが、小池さんの生き方には共感を覚えるところがあり、親近感のようなものを感じている。

また、小池さんは、起業家であり且つ投資家でもあるという非常にユニークな個性とキャリアの持ち主であり、僕がドリームビジョンとして描いている構想とも重なるところがあり、その生き方に憧れを持っている。

その小池さんが、1/24(水)、法政大学と共催のオープン講座にいらしてくれることになった。

ネットイヤー時代の苦境の頃、上場を果たした今、そして、これからの小池さんが何を目指し、何を実現しようとしているのか?ストレートに聞いてみようと思う。

起業家なんでしょ!?

「起業家なんでしょ!?」と言われたのは今から数週間前、僕にとって、今ではなくてはならない親友の佐藤 裕 氏からだった。11月下旬だったと思う。

その時は、まだ、トンネルを抜け切れていない時で、正直言って、辛かった。返す言葉に窮した。

それから、たった数週間であるが、人の心は、ちょっとしたことで変わるし、変われるということなのだろう。

最初に起業して何年か経った頃、「最後は『精神力』だ」と思うようになった。最後の最後で踏ん張りが利くか利かないかは、すべて「精神力」にかかっている。今回は、そのことを改めて実感させられた。

「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」。リクルートの社是である。

これからも、そういう生き方をしたい。