僕にとって今年は「変化」の年だったということは昨日のブログで書いたが、ここ数日は年の瀬ということもあり、ここ数年の自分自身の生き方を振り返ると共に、年明け以降の仕事や社会構造の変化について考えていた。
昨日(12/29)の新聞に掲載されていた榊原英資氏の論説を読まれた方もいると思うが、僕も多くの視点をもらった「会社はこれからどうなるのか?(東大教授・岩井克人氏/2003年)」を榊原氏は引用し、ポスト産業資本主義の時代における「教育の重要性」を説いていた。
岩井氏は、ここ20年間(1978年から1998年)の米国の上場企業(金融機関を除く)の「資産構成」の変化を紹介し、今後の社会を「ポスト産業資本主義」と呼んだ。
1978年末には米国の上場企業(同上)の資産の「83%」が有形資産だったが、1998年には「31%」にまで減少しており、その間、上昇(17%→69%)したのは「無形資産」であり、また、これらの無形資産は何らかの意味で「知識」や「能力」と関連していることから「知識資産(Knowledge Assets)」と定義している。
「知識資産」の割合が増加するということは、人間の価値が上昇しているということだが、それは現代社会における「付加価値」を生み出す「能力」や「知識」を保有する人の価値が上がるということであり、それらを持たない人々(彼らの仕事は機会やコンピュータに代替あるいはより安い賃金で働く人に代替される)との間に「(所得)格差」が生じることをも意味している。
それが、マスコミ等で論点となっている「格差社会」という問題である。
この「格差社会」というイシューを取り上げる時に、もうひとつ、論じるべき問題がある。いわゆる「ニートやフリーター」と言われる人達である。
彼らの中には、潜在能力的には「知識資産(Knowledge Assets)」を生み出す側になれる人も少なくないと思うが、問題は「働く」あるいは「自己向上」ということに対する「意欲(モチベーション)」が低い点にある。
このふたつの問題点を挙げた後、「格差社会」と同時に「階層(クラス)社会」が到来しつつあることを榊原氏は指摘している。つまり、若いうちから人口の一定割合が「貧困層」として定着してしまうことである。ベストセラーとなった三浦展氏の「下流社会」の意味するところでもある。
榊原氏は「階層社会」という点では、政治の世界で二代目や三代目ばかりが目立つ点も挙げていたが、では、なぜ、このような問題が起きるのか?という疑問に対し、彼は「最大の原因は逆説的だが、能力差による格差を認めない悪平等主義が、戦後日本で、特に教育界で支配的になってしまったためと思える」と述べている。
また、ポスト産業資本主義の時代において、個人にとっても、企業、国家にとっても最も重要なのは、岩井氏の言う「知識資産」を蓄積することであり、そのためには「教育こそが社会の中心に据えられるべきである」とも述べている。
話しが長くなるので詳細な説明は省略するが、親の地位や財産に関係なく、子供にレベルの高い教育の機会を提供し、フェアな競争ができる環境を創る必要がある。そして、そこでは能力の格差は認めなくてはならない、というのが榊原氏の主張である。
僕は彼の論点と主張に対して、とても賛同できるし、そのとおりだと思う。
しかし、問題は「どのような教育を社会の中心に据えるのか?」ということである。
そのコンセプトが、今の日本の教育会には決定的に欠けているのではないかと思う。
岩井氏は「知識」や「能力」が価値の源泉となると書いているようだが(記憶が曖昧という意味)、僕は「知識」には然程の意味はなく(何故なら、Googleで検索すれば、最新の知識なり情報が得られるから)、月並みな話しであるが、重要なのは「考える力」であり「知恵」を生み出す能力を育むことだと思う。
僕がドリームビジョンで「人」にフォーカスし、「教育・職業(仕事)・事業開発・フィナンス」の領域でビジネスをしていきたいと思うのは、「自分らしい生き方とキャリアデザイン」を実現させていくためには、それらの要素が必要だと思っているからである。
Google は、テクノロジーですべてを解決できると思っているのかもしれないけど・・・。
追伸:「八戸を日本のシリコンバレーにする!!!」プロジェクトは、僕のビジョンを体現する場になると思っている。乞うご期待!!!