「お手伝いさん」という「原体験」。

「お手伝いさん」という言葉を知っている人はどのぐらいいるだろうか?

僕が「中学浪人(この言葉を知っている人も、はたしてどのくらいいるだろうか?)」をしている頃に知り合った友人の家には、「お手伝いさん」がいた。

そういう友人を持ったのは、初めてのことだった。

彼の父親は「創業社長」で、しかも郡山(僕の出身地)の出身ではなく、他から移り住んできた方だった。地元の経済会では誰もが知る存在だった。

その友人から聞いた話しでは、年商25億円(当時)だったらしい。何のコネもなく、一代で築いた年商である。

今の時代でこそ、イケてるベンチャー企業であれば20億や30億の売上は当たり前かもしれないが、1979年当時の福島県郡山市では、かなりの年商だった。

ところで、僕の家は貧乏ではなかったが、決して裕福な家庭ではなかった。

その僕にとって、彼の家は「羨望の的」となった。

でも、当時の僕は、彼の父親がどれだけの苦労をして会社を築いてきたのか、そのことは理解していなかった。というようりも、そのことを考えもしなかった。

今そこにある「果実」だけを見て、自分もその「果実」を得たいと思うのは、どう考えても勘違いはなはだしい。

そのことに気づくのは、僕が起業してからだった。浅はかな人間だった。

ベンチャー企業の経営者は、住宅ローンが借りられない。

僕がインタースコープの経営をしていた頃、人生で初めて「マンション」を購入した。41才の時だった。住宅を購入するという意味では、かなりの「遅咲き」である。

28才で「初めての起業」をしてからの9年間は鳴かず飛ばずで、その間の平均年収は、おそらく「450万円」程度だったと思う。一時期は、そこそこの経費を使えていた時もあったが、本当に貧乏な時は、世帯年収で300万円という時代もあった。

今で言う「下流社会」の最先端だった(苦笑)。それも「下流起業家(笑)」である。

そんな苦節9年間を経てインタースコープを立ち上げて、ようやく世間並みの年収にはなったが、なにせ「蓄え」というものがなく、尚かつ、ナケナシのお金はインタースコープの資本金に化けているのだから、マンションを買うにも「頭金」がなかったのである。

一生懸命に頑張っていた僕を神様は見捨てなかったのか、創業に携わったウェブクルーの上場に伴い、多少の株を持たせてもらっていた僕は、マンションの頭金を払うお金を得ることができた。

しかし、いざ、マンションを買おうとすると、なんと「ローンが組めない」ことが分かった。インタースコープの社員は何の問題もなく住宅ローンが組めるのに、経営者である僕は「審査」が通らないのである。

要するにこういうことだ。

ベンチャー企業の創業経営者は、その殆どが会社の「借り入れ」や「リース」の「保証人(債務保証)」になっているので、その時点で既に、住宅ローン以上の「債務」を抱えているようなものだ。だから、それ以上の「与信枠」は与えられないのである。

インタースコープの場合、ベンチャーキャピタルから資金を調達しており、ちょっとやそっとのことでは潰れない財務体質(実際に超優良なバランスシートだった)にも係らず、日本の銀行というのは、ベンチャーの経営者にはお金は貸してくれないのである。

なんとかあの手この手で画策し、やっとのことでローンを通してもらったが、僕にコネが無かったら、今のマンションは諦めざるを得なかったことになる。競争率「7倍」の抽選に当たったにも係らず・・・。

ところで、つい最近読んだ「アマゾンのロングテールは、二度笑う(超お薦めの本である)」の著者の鈴木貴博さんとは、彼がネットイヤーの取締役をしていた頃に何度か会ったことがある。

彼がボストン・コンサルティング・グループを辞めてネットイヤーの創業に参加した後で、イオンカードの勧誘をされて入会しようと思ったら「審査が通らなかった」と、その本の中で述懐していた。僕には彼の気持ちが痛いほどよく分かる。

ベンチャー企業の創業者というのは、世間で言われるような華やかなイメージとは裏腹に、社会的信用が「ゼロ」に近い存在なのである。上場しなければ、「社会人」とは見なされないということだ。

ところで、昨年の夏にドリームビジョンでは増資をした。

出資引受を打診するために「投資家」の方々に提出した「事業計画書」の表紙に僕が書いたフレーズは、「リスクを取ってチャレンジする人がリスペクトされる社会の実現を目指して」である。

「悠生(僕の子供)」に誓って、僕は必ず成し遂げる。

アマゾンのロングテールは、二度笑う 「50年勝ち組企業」をつくる8つの戦略/鈴木 貴博

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「蒲田東急プラザ」で思う、「先行層」は儲かるか?

昨日は、ある会社の社長とのアポイントで、久しぶりに「蒲田(大田区)」に行った。僕の記憶が正しければ、2004年の初夏以来だと思う。

蒲田の駅に降り立って、ある商業施設が目に入り、とても懐かしい気持ちになった。

それは、駅ビルに入っている「東急プラザ」である。

僕が20代の時に勤めていたコンサルティング会社で東急プラザの運営母体である東急不動産と仕事をしており、蒲田東急プラザの仕事で頻繁に蒲田に通っていた頃がある。もう15年も前のことである。

その頃の議論で「先行層(イノベーター)」を狙うか? フォロワー(マジョリティ)を狙うか? という議論があった。

僕が勤めていた会社は、コンサルティング会社としては「2流」だったこともあってか、世の中にインパクトを与えることを第一義としていたところがあり、クライアントのビジネスに対しても、そういう観点でのアドバイスをすることが多かった。

しかし、今にして思うと、それは極めてナンセンスだったように思う。何故かと言うと「財務的インパクト」を考えずにアドバイス(コンサルティング)をしていたからである。

商業施設(小売業)であれば、「ROA(総資産純利益率)」を考えずにビジネスをすることはできないのである。

もし、今の僕がコンサルタントをしていたとしたら、全く違ったアドバイスをしていたと思うことが多々ある。

ある時、元マイクロソフトの成毛さんとお会いする機会があった。彼はその時、三浦展氏が書いた「下流社会」を引き合いに出していた。

ここ数年の日本社会は、その理由と善し悪しはともかく、従来の「日本総中流」から「上流・中流・下流」という3つの階層に「分断」されつつあるのは異論はないところかと思うが、そのことにより日本社会の「消費構造」そのものが大きく変化していると考えられる。

例えば、仮に「未婚30才(性別は問わない)」で東京の渋谷区に一人暮らしの年収600万円の人と年収1,200万円の人がいたとする。後者の人がよほど贅沢な住環境を欲しない限りは、年収が倍になったからと言って基本的な生活にかかるコストは倍にはならない。

話しを分かりやすくするために理屈を単純化(税金も考えない)すると、年収600万円の人の基本的生活コストが「400万円」だとした場合、年収1,200万円の人の生活コストは、多少の贅沢をしたとしても、せいぜい500~600万円だと思われる。

ということは、つまり、年収は「2倍」の差であるが、可処分所得(余剰資金)は「3倍」になるということである。

そう考えると、先行層の「定義」を「可処分所得が多い都市型の生活をしている人々」とするなら、彼らをマーケティングターゲットとするのは理に適っているということになる。

それは、今の時代においては正しい判断だと思うが、15~20年前の時代においては、必ずしも正しい「ロジック(戦略)」だったとは言えないと思う。

何故なら、当時の日本社会は今程の「格差社会」にはなっていなかったため、そういう「ラグジュアリー」な生活を送れる人の数は、極めて限られていたからである。

さて、話しを「蒲田東急プラザ」に戻すと、お手洗いに立ち寄るために入った館内は、地元の「おばちゃん(高齢者)」で溢れていた。

ビジネス(利益を生み出す)のためには、カッコイイだのダサイだのということではなく、彼女達の支持を得られるマーチャンダイジングをすることが必要である。

「見返り」のない愛情。

経営には「愛」が必要だ。

この話は、今となっては僕にとって無くてはならない存在となっている、庄司さんという伊藤忠商事に勤務する方から聞いた話しである。

彼は僕と同い年だが、28才の時、伊藤忠商事が出資している会社(ハンガリーにある会社)の社長として赴任したそうだ。僕が初めて起業したのも28才の時。彼とは不思議と人生の節目が共通している=縁がある。子供が生まれたのも同じ年だ。

赴任したのは小さな会社だったそうだが、若くして社長を務めるということで、当時お世話になっていた本社の役員の方に挨拶に行った際に言われたのが、「経営は愛だ」という言葉だったという。

彼が赴任した会社は「赤字」だったらしいが、庄司さんが赴任した一年後に、見事に「黒字化」した。

彼が経営していた会社には未婚の母の女性がいて、彼がその彼女に「お子さんの誕生日でしょ!!」と言って、帽子をプレゼントしたことがあったという。

彼女はそのことをずっと覚えていて、庄司さんが企画して開催した「クリスマスパーティ(黒字化を祝っての従業員の慰労会)」の席で、「Mr.Shoji, うちの子は、今もあの帽子を喜んでかぶっています。本当にありがとうございました」と言ったそうだ。

庄司さんは、その時初めて、赴任前に本社の役員の方に言われた「経営は愛だ」という言葉の意味が分かったという。

ところで、僕は経営者としては、まだまだまだまだ未熟者であるが、2つだけ、とても小さなことだが、自分で誇れることがある。

ひとつは、インタースコープを創業して2年目に、僕が発案して、毎月、その月に生まれた従業員の方に対して「バースデイカードと誕生日プレゼント」をあげることを始めたことである。

プレゼントの方は、従業員数が増えたことにより、コストの問題と総務のスタッフの負荷を考えて途中で止めてしまったが、バースデイカードを贈ることは、今も続いている。

もうひとつは「ウエルカム・カード」という仕組み。

これは、受付のところにコルクボードだったかマグネット式のボードを置いて、来社される方の「お名前」と一緒に「内線何番をお呼び下さい」というカードを貼っておくもの。お客様が迷わなくて済むようにするためのものである。

僕の立場上、社内への提案は、ある女性社員の名前でしてもらったが、僕が発案したものだった。

もっと正確に言えば、僕がその女性社員と一緒に、ある会社を訪ねた時に、そのようなカードが貼ってあり、これは素晴らしい「ホスピタリティ(おもてなし&気配り)」だと思ったので早速、社内に導入したということである。

ドリームビジョンはまだまだ数人の会社でそのような必要はないが、僕が常々社内に言っているのは、そういう「ホスピタリティ」である。

どんなに優秀でも頭が良くても、そういうホスピタリティがない人とは、僕は仕事をしたくないし、採用するつもりはない。

そして、僕自身が、一緒に「井戸を掘ってくれている人達(一緒に働いてくれているスタッフと僕を信じて出資してくれた人達)」に感謝する心を持ち続けたいと思う。

「目力(めぢから)」のある人。

さて、昨日の臨時株主総会で無事、HRI代表の野口さんと安田裕(創業メンバー)が取締役に選任された。

野口さんには、経営コンサルタントとして厳しいご指摘と的確なアドバイスを頂きたいと思っている。

安田には、僕にはない「論理的且つ合理的」な思考能力を存分に発揮してもらい、僕が自分の「直観力」を信じると共に、そこに潜むリスクや落とし穴を踏まえた上で「決断」出来るように「責任を持って助言」をして欲しいと思っている。

ところで、僕はお陰様で色々な人の協力に恵まれている。そのことに、改めて感謝をしなければと思う。

プライバシーの問題にも絡むので実名は出さないが、昨日の株主総会に出席して頂いた株主の皆さんから、とても厳しく且つ温かいご指摘や「なるほど」という「視点」をご提供頂いた。この場を借りてお礼を申し上げたい。

このブログにも書いたが、僕は昨年9月から12月初旬まで、精神的にとても辛い時期を過ごした。

それは、過去2度の起業を通じて、チャンスだけでなく、リスクが見えるようになったからである。具体的に言えば、40才を過ぎて、20代30代と違い、40代で失敗することにダメージやリカバリーの大変さが分かるようになったからだ。

でも、その一方、本当にやりたいことがあり、それを実現したいのであれば、どうしてもそのリスクを取らざるを得ないことも理解できるようになった。さらに言えば、理解できることと実行できることには「天と地」ほどの差がある。

今まさに僕は、その分岐点に立っているのだと思う。

話しは変わるが、法政大学ビジネススクールと共同で運営してきたオープン講座の最終会にゲスト講師としていらして頂いたネットエイジの小池さんが、「どんな人(起業家)に投資するのか?」という質問に対して、「『目力』のある人がいいですね」と言っていたが、なるほどと思った。

手前味噌で恐縮だが、僕は以前、「目に力がある」とよく言われた。

昨年のインタースコープ関係者の忘年会でも、ある人達に「平石さんの目には力がある」と言われて、若い頃のことを思い出した。

でも、昨年の9月から12月初旬の頃の僕には、きっと、その「目力」は無かったと思う。

神様が、もう一度、僕にチャンスをくれたと思っているので、あとは「自分を信じて」やるだけである。

相当辛い茨の道が待っていると思うけど・・・。

追伸:前刀さんも「目力」のある人だ。法政大学とのオープン講座は、その前刀さんで始まり(初回)、小池さんで終了した(最終会)。とても勉強になった。

バカの壁。

人間は誰でも「こんなものは私の仕事ではない」と思っていることがたくさんあるそうです。特に、そのテーマに関する高いレベルの専門知識を有する人は尚更のようです。

「八戸」??? そんな僻地になんで行かなければいけないわけ?

僕だって、そう思っていましたよ。現に、大谷さんに口説かれるまで、一度も行ったことがありませんでしたしね(笑)。

でも、実際に行ってみると、とても素晴らしいところでした。

確かに、冬の寒さは、東北(福島県郡山市)出身の僕でも「寒い」と感じるレベルでしたが、僕がとにかく気に入ったのは、「種差海岸」とそのすぐ近くにある「天然の芝生」が生えているエリア(小高い丘になっている)です。

そこ(天然の芝生が生えているエリア)から見る海は「絶景」です。水平線が一望でき、尚かつ、水平線が「丸い」。270度、水平線が見えるということです。

因みに、種差海岸には、キムタクもお忍びでサーフィンに来るらしいです!!!

ネットエイジの小池さんも来る(行く)らしい(笑)。

明日は「臨時株主総会」。

明日はドリームビジョンの「臨時株主総会」です。議題は、取締役の選任です。

ひとりは、創業メンバーの「安田裕」。無事に承認されれば(まず間違いありません)、遂に、ボードメンバーとしてデビューです!!! ますます頼りにしています。

もうひとりは、何と、「ロジカルシンキングのノウハウ・ドゥハウ」等の数多のベストセラービジネス書を書いている「HRI(ヒューマン・リソース・インスティテュート)」という戦略系コンサルティングファーム代表の野口吉昭氏です。

ドリームビジョンが、かなりパワーアップすること間違い無しです!!!

起業も企業も、常に「進化」し続けていくことが大切です。

起業家(僕自身)もね(笑)。