昨日は、ある会社の社長とのアポイントで、久しぶりに「蒲田(大田区)」に行った。僕の記憶が正しければ、2004年の初夏以来だと思う。
蒲田の駅に降り立って、ある商業施設が目に入り、とても懐かしい気持ちになった。
それは、駅ビルに入っている「東急プラザ」である。
僕が20代の時に勤めていたコンサルティング会社で東急プラザの運営母体である東急不動産と仕事をしており、蒲田東急プラザの仕事で頻繁に蒲田に通っていた頃がある。もう15年も前のことである。
その頃の議論で「先行層(イノベーター)」を狙うか? フォロワー(マジョリティ)を狙うか? という議論があった。
僕が勤めていた会社は、コンサルティング会社としては「2流」だったこともあってか、世の中にインパクトを与えることを第一義としていたところがあり、クライアントのビジネスに対しても、そういう観点でのアドバイスをすることが多かった。
しかし、今にして思うと、それは極めてナンセンスだったように思う。何故かと言うと「財務的インパクト」を考えずにアドバイス(コンサルティング)をしていたからである。
商業施設(小売業)であれば、「ROA(総資産純利益率)」を考えずにビジネスをすることはできないのである。
もし、今の僕がコンサルタントをしていたとしたら、全く違ったアドバイスをしていたと思うことが多々ある。
ある時、元マイクロソフトの成毛さんとお会いする機会があった。彼はその時、三浦展氏が書いた「下流社会」を引き合いに出していた。
ここ数年の日本社会は、その理由と善し悪しはともかく、従来の「日本総中流」から「上流・中流・下流」という3つの階層に「分断」されつつあるのは異論はないところかと思うが、そのことにより日本社会の「消費構造」そのものが大きく変化していると考えられる。
例えば、仮に「未婚30才(性別は問わない)」で東京の渋谷区に一人暮らしの年収600万円の人と年収1,200万円の人がいたとする。後者の人がよほど贅沢な住環境を欲しない限りは、年収が倍になったからと言って基本的な生活にかかるコストは倍にはならない。
話しを分かりやすくするために理屈を単純化(税金も考えない)すると、年収600万円の人の基本的生活コストが「400万円」だとした場合、年収1,200万円の人の生活コストは、多少の贅沢をしたとしても、せいぜい500~600万円だと思われる。
ということは、つまり、年収は「2倍」の差であるが、可処分所得(余剰資金)は「3倍」になるということである。
そう考えると、先行層の「定義」を「可処分所得が多い都市型の生活をしている人々」とするなら、彼らをマーケティングターゲットとするのは理に適っているということになる。
それは、今の時代においては正しい判断だと思うが、15~20年前の時代においては、必ずしも正しい「ロジック(戦略)」だったとは言えないと思う。
何故なら、当時の日本社会は今程の「格差社会」にはなっていなかったため、そういう「ラグジュアリー」な生活を送れる人の数は、極めて限られていたからである。
さて、話しを「蒲田東急プラザ」に戻すと、お手洗いに立ち寄るために入った館内は、地元の「おばちゃん(高齢者)」で溢れていた。
ビジネス(利益を生み出す)のためには、カッコイイだのダサイだのということではなく、彼女達の支持を得られるマーチャンダイジングをすることが必要である。