「制約」が生むイノベーション。

明日から初めての「上海」である。

そういう時に限って、子供の具合が悪くなる。

今朝になっても吐き気が治まらず、薬を飲ませても、イオン飲料を飲ませても吐いてしまう。

午前中は来客があり、それ間に合うように会社に行ったが、午後は妻が大学院の実習で休めないので、僕が家に戻って子守りをした。

17:30過ぎに妻が帰宅するのを待って、また、会社に戻り、キャンディデイトとの面談をした。その後は、明日の出張の準備と今週中に済ませておきたい仕事を片付けた。

明日の朝は04:30起きで、06:15渋谷発の成田エクスプレスに乗る。

世の中の共働きの親達は、みんなこうして子供を育てているんだろう。

田坂広志さんのメルマガに、こんなことが書いてあった。

前略

あたかも、光の無い暗闇において、
音を聴きわける力が研ぎ澄まされるように、
ラジオという「制約されたメディア」は、
その「制約」が、
我々の語る力、そして、聴く力を高めてくれる。

その不思議な逆説に気がついたのです。

中略

我々の人生における「制約」もまた、
我々の人間としての「力」を高めてくれる。

アントレプレナーセンターの福島さんは、こんなことを言っていた。

「恵まれた環境にあった人で偉大な仕事を成し遂げた人はいない」。

「制約」があるから「創意工夫」をするということだろう。

卑近な話しで恐縮だが、今日の僕は、優先順位の低い仕事はしなかった。やりたい仕事からではなく、やるべき仕事から片付けた。

常にそうしたいものである。