強いビジョンは色褪せない。

僕が山川さんと一緒にインタースコープを創業して間もない頃にインターンとして働いていた、当時、一橋大学の3年生だった本間朋子さんから、約1年ぶりにメールが届いた。

彼女は現在、ボストンに住んでいる。国際結婚をした相手の方がボストンに留学することになったためだ。

彼女は大学時代にスウェーデンに留学した経験もあり、言葉はほぼ問題ないはずなので、きっと充実した生活を送っていることだろう。

本間さんが僕にメールをくれた理由は、発展途上国の女性のための大学を創設するという仕事に係ることになり、Personal Reference(人物照会)が必要とのことで、僕の名前を貸して欲しいということだった。もちろん、OKの返事を出した。

その本間さんがインタースコープでインターンとして働いていた頃のことで、忘れられないエピソードがある。

僕が最初に創ったクリードエクセキュートという会社の頃からやっていた、「日本市場におけるハイテク・デバイスに関するレポート(四半期毎)」という仕事のクライアント(フランス企業)の担当者が来日されることになり、僕と彼女でプレゼンテーションを行った後、インタースコープのオフィスがあった中目黒の居酒屋に彼女達を招待したことがあった。

それも僕にとっては忘れられない思い出であるが、実は、忘れられないエピソードというのは、別の機会にその時と同じお店に行った時、本間さんが僕を評して「平石さんは教育者ですよ!!!」と強く語っていたことである。

もちろん彼女は良い意味で僕にそう言ったのだが、僕としては「起業家」というアイデンティティを持っていたのと、「教育者」というと、何となく創造的な仕事ではないという概念があり、彼女の言葉を素直に受け入れることができなかった。しかし、今でもこうして僕がそのことを覚えているのは、自分自身でそのことを認めていたからなのだと思う。

ドリームビジョンを創業した記念に、僕が親しくさせていただいているベンチャー企業の創業者の方々をお招きしてレセプションを催した時、乾杯のスピーチをしてくれたサンブリッジのアレン・マイナーさんが、「平石さんは、若い人達の成長にとても熱心であり、そのことが実現されれば、大学という枠組みに拘ることはないと思います」と言っていたことも、僕にとっては忘れられないエピソードである。

ところで、先日、初めてゴルフをご一緒させていただいた電通の喜早さんから、とても温かいメッセージを頂いた。

「テクノロジーもメソッドもアプリケーションも時間と共に陳腐化するのは必然だけれど、強いビジョンはけして陳腐化しないものです」。

喜早さんがあるプロジェクトでご一緒された方が、そう仰っていたそうである。

多くの方々の温かい言葉に支えられていることを幸せに思う。