「大企業」へ行かなければ、幸せにはなれないのか?

最近、睡眠不足の日が多くなり、日中の集中力が保てず、また、マッサージ係数(エンゲル係数のような意味)が上がっている(笑)。

以前に通っていたお店が閉店してしまい困っていたが、最近になって、また、新しいところを発見した。

そのお店が入っているビルはとても老朽化しており、もし、地震があったら・・・と思うと心配になってしまうが、それを除けばとても快適である。

ところで、昨日も日中、会社を抜け出して、マッサージに出掛けた。今日の株主報告会用の資料を作るために、頭をスッキリさせたかった。

ところで、先日、ある方と話しをしていて、また、働くことの意味を考えさせられた。

「子供は楽しい事を見つけ日々精一杯生きているからパワー全開なのは当然で、一方、大人になるということは“生きる”ことの意味を知ることなのかもしれない・・・」。

「何の為に働くのかはその時々に意味が違っても、最終的には自分が前を向いて輝いて生きていたいから(働くのだと思う)」。

とても深い人だと思った。

また、子育てのことに関しては、子育て中の方から、あるエントリーにコメントを頂いた。とても嬉しく思っている。

ところで、日経BPオンラインに、まさしく、「働く」ということに関する取材記事が載っていた。

多くの学生が『大手企業へ行かなければ、幸せにはなれない』と思っているからだ・・・」というイントロダクションがメールに書かれていて、ついついクリックしてしまった。

仮に、そうであるなら、世の中の大多数の人間が不幸せというロジックになってし���う。

僕は幸か不幸か一度も「大企業」には就職したことはないが、何も分からなかった学生時代に、何となく「直感」のようなもので、僕のような人間は大企業に行ったら「個性」を殺されてしまう(活かせない)んだろうな・・・と思い、行こうとしなかった。まあ、そもそも、行こうと思っても行けなかっただろうけど(笑)。

話しは変わるが、最初の会社を辞めた後、僕はしばらくの間、いわゆる「失業者」だったことがある。

そりゃ、まさか自分がそんな立場になることなんて想像もしていなかったし、その時(僕が24才の時)は既に両親は亡くなっていたし、とても不安だったけど、実際になってみると、当然のことながら「自由」で、お金がないことを除けば、けっこう居心地が良かった(笑)。

僕は「看板」を創りたいと思うけど、看板を求めない人達と仕事がしたいし、そういう「生き方」をする人を応援したい。

追伸:今日も「睡眠不足」だ。でも、資料はほぼ作り終えたので、大丈夫!!

もしも、僕に娘がいたら・・・。

昨夜は、麻布十番温泉の2階にある宴会場で行われた、とある会合に参加した。

麻布十番温泉は知っていたし、その前を何度も通ったことがあったが、まさか、こんなところに宴会場があるとは思ってもいなかった。昭和の高度経済成長期には、さぞかし賑わいをみせていたのだろう。

ところで、その会合には、さまざまな立場の方がいらしていた。古くから知っているネットベンチャーの友人もいた。

ところで、帰宅して風呂に入り、メールのチェックをしていたところ、AIDS撲滅チャリティの「RED RIBBON Spiritual Song」という曲を紹介(広告)するメールがアップルから届いていた。

その音楽に参加しているミュージシャンは、絢香、小田和正、加藤ミリヤ、TAKURO(GLAY)、TAKE(Skoop On Somebody)、TERU(GLAY)、一青窈、RYO(ケツメイシ)、若旦那(湘南乃風)と豪華な顔ぶれだ。

情にもろい僕は、iTunes を立ち上げ、すぐに購入した。

ところで、久しぶりに「iTunes」に入っている(購入してある)曲を聴いた。

僕が今までに購入した曲は、Winter Love(BoA)、アルハンブラの想い出(村治佳織)、Jupiter(平原綾香)、Everything(MISIA)、ただ・・・逢いたくて(EXILE)等と、女性アーティストが多い。

いつ頃のことかは忘れたが、BoAの「Winter Love」がお気に入りで、よく聴いていた時期があったことを思い出した。

そのCDジャケットを見ながら、もし、僕に娘がいたら・・・と考えた。

僕の人生のバイブルとも言える「ゴッドファーザー」シリーズで、アル・パチーノ演ずる2代目ドンの愛娘が撃たれて亡くなってしまうシーンがあるが、もし、そんなことがあった日には、いったい僕はどうなってしまうんだろう?

相田みつを」の書いた文章に「命の根が深くなる時・・・」というフレーズがあるが、そのことも思い出した。

僕のブログを読んで下さっている方には、今日のエントリーはいったい何を書きたいのか?という感じかもしれないが、iTunes を聴きながら、最近の出来事が僕にとってどんな意味があるのかが整理できた。

今年も残すところ、あと1ヶ月ちょっと。良い新年を迎えたい。

働くことの意味。

ひと頃よく言われたI.T.長者などの極一握りの人々以外、誰しもが生活の糧を稼ぐために働いているのは言うまでもないだろう。

でも、同じ100万円を稼ぐのであれば何でもいいか?というと、そうではないだろう。

では、何を大切にして自分の仕事を決めるのか?

また、何億何十億という資産がある人でも、それでも尚、一生懸命に働いている人もいる。そういう彼・彼女たちは、何のために働くのか?

そして、僕自身は、何を大切にして働いているのか?

ある出来事から、そんなことを考えた。

「もらっている」もののほうが多い。

この3連休は、家の掃除(笑)を含めて色々なことができ、充実した3日間だった。

ところで、その連休中に、ふっとしたことで、最初の会社を細々と経営していた頃のことを思い出した。

僕は1994~1996年頃、マッキントッシュを使って、いわゆるDTP(Desktop Publishing)の仕事をしていたが、その当時、とてもお世話になったデザイナーで八木さんという方がいた。

彼は若くして独立し、ご自分のデザイン事務所を経営されていたが、ある時、こんなことを言っていた。

「子供のために自分がやりたい仕事を我慢していると、それは子供も分かりますよ。そういう思いをさせるのは、子供に申し訳がないですよね」。

彼は、とても優秀なデザイナーで、尚且つ、マッキントッシュに限らず、様々なデジタル機器に詳しかったが、若いとき、「海外で仕事をしないか?」という誘いがあったらしい。でも、子供のことを考えて、そのオファーは断ったと言っていた。

また、彼は忙しい時は事務所に泊りがけで仕事をしていたが(僕らの仕事もそうしてやってくれていた)、ある時、「(子供から)もらっているものの方が多いですよ」とも言っていた。

八木さんとは、彼の事務所が入っていたマンションの入り口のスペアキーを渡されていたほど仕事をさせていただいたが、上記の2つの言葉は、今でも脳裏に焼きついている。

自分の子供を膝に乗せていると、言葉には表せない感情が沸いてくる。たしかに、子供から学ぶことは多い。

そう言えば、日系2世の叔父にも、同じようなことを言われたことを思い出した。洋の東西を問わず、そういうことなのかもしれない。

「自分の考え」を持つ。

さて、宮崎から帰ってきて2日が過ぎた。感覚的にはもっと経ったような気がする。

宮崎に行く前日は、ウェブサイトのリニュアル・カットオーバー当日ということもあり、会社を出たのが午前1時半過ぎだったが、機中で眠れたのと、その日は早く寝て、翌朝は子供に起こされることもなくゆっくり寝れたので、身体は楽だった。

昨日の夕方、スーパーに向かう途中で妻と話をしたが、インタースコープの創業期(最初の3年。特に初年度)は、24時前に会社を出ることは滅多になく、1時か2時頃の帰宅は当たり前だった。

さて、話しは変わるが、ある方から僕のブログにコメントをいただいた。僕の推察が正しければ、彼は旧インタースコープ社員で、現在はヤフーバリューインサイト社員の方だと思う。

彼はとても頭脳明晰な人間である。

彼の指摘には、なるほどと思わせることがあると共に、彼のコメントを読んで、改めて「自分の考えを持つ」ことの大切さを教わった。ブログを書いているメリットのひとつである。

「自分の考え」さらに言えば「明確な考え」を持つには、どうすればよいか?

それは、「深く考える」ことと「疑って考える」ことのような気がする。では、そのように「考える」ためには、どうすればよいか?

それは、社会の体制に依存せず、自分の力で生きて行こうとすることのように思う。

ところで、僕のブログを読んで下さっている方の中で、「仕事の学校」という試みをご存知の方はいらっしゃるだろうか?

実行委員長は、元楽天の副社長だった本城愼之介さんという方だ。

三木谷さんと共に楽天を創業し、楽天を退職後は、全国で最年少の中学校の校長先生を務められた方である。

僕は一度もお会いしたことはないが、ウェブサイトでお顔を拝見し、いかにも「教育熱心」な方だなと思った(笑)。ネットベンチャーという感じはしなかった。一度、お話してみたい方である。

また、話しは変わるが、一昨日は自宅の掃除を済ませた後、六本木ヒルズで開催されていた慶応義塾大学SFC主催の「ORF(Open Research Forum)」なるイベントに参加した。

インタースコープでインターンをしていた、同大学4年生のある学生の方からのお誘いを受けたことがきっかけだった。

会場はとても賑わっており、やはり、歴史と伝統のある大学故に為せる技であると感じた。

学生の方のみならず、彼らのご両親と思われる方々、一般社会人の方々、学術関係の方々、行政の方々等、様々な方が来場されていた。

僕が聴講したテーマは「地域の活性化」であるが、地方都市の「高校生」を対象とした「ケースメソッド」が盛り込まれており、唯一無二の答えのないテーマについて、自分の頭で考えて発言することの大切さと、ケースメソッドの効用として、社会には「様々な考えや意見を持つ人が存在する」ということを学ぶことができるということを、その研究成果として発表されていた。

どんなことにも「深い考察」に基づく「自分の考え」を持つ。

僕にはまだまだ足りていないそのことの大切さを、宮崎から帰ってきてからの2日間で学ばせいていただいた。

宮崎県の「東国原」知事

昨日から宮崎に来ている。現IVS(旧NILS)に参加するためだ。

お馴染の顔ぶれも新しい人たちもいて、賑わっている。

さて、昨日は、元「そのまんま東」の「東国原」宮崎県知事が、挨拶に見えられた。

本カンファレンスの規約により、カンファレンスでの内容を無許可でブログ等に記載することは禁じられているので、「東国原」知事に対する僕の個人的な印象を伝えたいと思う。

彼は、とても頭の良い人なのだろう。芸能界というまったく異なる世界にいた人にも係わらず、知事というか政治家としての風格というか存在感というか「オーラ」が感じられた。話しも、とても上手だった。

やはり、「OS(Operating System/汎用的基礎能力)」に優れる人は、それを「他の分野」にアプライ(応用・適用)することが上手なのだろう。

素晴らしい才能の持ち主だと思ったと同時に、彼のような「集客力」を持つ方を県知事に迎えられたことは、宮崎県にとって大きなメリットになるだろうと思った。宮崎とは、このカンファレンス以外に縁はないが、僕も応援したいと思う。

ところで、今朝ほど、僕の好きな「宋 文洲」さんのメルマガ第85号が届いた。

今号のテーマは、~「自立」は「孤独」の代名詞~。

ここでいう「自立」は「精神的自立」であり、マスコミや他人や第三者の意見を鵜呑みにせず、常に、自分の考えで判断し、行動する、ということを意味している。

また、リーダーは、どんな判断をしても必ず「反対勢力」が存在するし、どんな施策をとっても必ず「失点」がついてまわる。リーダーには勝利も失敗もなく、あるのは一喜一憂を抑えての前進のみだと主張されている。

そして、そのことはイコール「孤独」を意味する。

しかし、これは、何も「リーダーに限ったことではない」と思う。

振り返ってみると、僕はサラリーマン時代(特に、ODSというコンサルティングファーム時代)も、ある意味で「孤独」を感じていたし、それは「自立」を求められる「職場環境」だったからだと思う。

そう、「環境」の力は大きい。

そして、自分にとっての「環境」は、自分で自分を律する(自律)ことで創り出すものである。

言うは易し、行うは難し。

「東国原」宮崎県知事にも、この宮崎という県をより良い「環境」にするために、是非とも頑張っていただきたいと思う。

Webサイトのリニュアル

今年のお盆過ぎから進めて来たドリームビジョンのWebサイトのリニュアルであるが、ようやくカットオーバーまで漕ぎ着けた。

まだ、工事中の箇所がいくつかあるが、まずは、無事にオープンできたことに達成感を感じている。

係っていただいた方々に、心からお礼を申し上げます。