Made in Japan:僕も「挑戦し続ける」。周囲の人たちの「無言の励まし」に感謝。

昨日は、妻の修士論文の発表、つまり、口頭試問の日だった。

まあ、余程のダメダメな論文&発表でなければ、彼女の大学院生活は、この3月で無事、文字どおり「修了」するだろう。

学部(大学3年生)への編入試験を受けるために予備校に通い出した頃から数えて、丸5年になる。

振り返ると、僕にとっても密度の濃い5年間だった。特に、子供が生まれてからの2年半は・・・。

元グロービスの小林さんの奥さんの君江さんもそうだが、「ママ学生」は本当に大変である。

その苦労はなかなか他人には理解してもらえず、本人にとっては、それがプレッシャーにもなる。

自分の妻ながら、本当によく頑張ったと思う。僕と彼女の両方を知る人には、間違いなく、彼女の方が聡明であり、努力家であることは明白である。

30歳を過ぎての大学3年へ編入の受験勉強の頃は、中目黒の44平米の狭い賃貸マンションのリビングにおいた、僕と僕の弟が学生時代に一緒に住んでいた頃に使っていた正方形のダイニングテーブルで、朝は僕が起きる前から、夜は僕が帰って来る頃まで、毎日「12時間以上」勉強をしていた。そんな生活を10ヶ月ぐらいは続けていただろう。

当時の僕はインタースコープを経営していたが、幸いなことに会社はそこそこ軌道に乗っており、土日は殆ど出社しなくてもよくなっていた。

そんなこともあり、土曜日は、高円寺だったか荻窪だったかにあった彼女が通っていた予備校まで、しばしば、僕の人生で初めて買ったクルマで、送って行った。

大学院の受験の時は、学部受験の時ほどではなかったが、それでも、毎日8~10時間ぐらいの勉強を6ヶ月ぐらいは続けていたと思う。

学部への編入の競争倍率は「約20倍」。大学院入試のそれは「約10倍」。

上げたり下げたり激しいが、僕の妻は、極々普通の女性である。にも関わらず、頑張れば、そういう難関も突破できるということだ。

人間、本当に自分がやりたいことがあり、それに向けて自分にできる最大限の努力をすれば「何とかなる」ということを、僕は彼女から学んだような気がする。

今でも決して得意ではないが、中学生以下の英語力しかなかった彼女が、今では専門書を「原書(英文)」で読み、英語が得意(自己申告/笑)な僕に対して、「平石さんに訊いても無駄だから・・・」というようになった。実際、僕は会話は得意だが、難しい文法の英語を読むのは勘弁である(笑)。

さて、今週月曜日は、当社の「泉谷」も修士論文の「口頭試問」があった。彼曰く、とても緊張したらしい。

それはその筈だろう。何と口頭試問の審査を担当する教授が、彼が途中で受講を止めた授業の教授だったのだから(笑)。笑ってはいけないが、彼にとっては、生きた心地がしなかっただろう。

でも、彼の論文が通らないということはあり得ない。無事に大学院を卒業できるだろう。お祝いをしなければいけない(笑)。

さて、昨夜はパソナの南部さんたちが主宰する「QM義塾社長大学」のセミナーで、アスクルの岩田社長のお話を拝聴させて頂いた。

文具メーカーのPLUS社員だった岩田さんが、社内ベンチャーとしてアスクルを創業し成功に至った物語は至る所で紹介されているので、そのことはご存知の方が多いだろう。

因みに、アスクルのロゴマークは、僕も何度かお仕事をご一緒させて頂いた宮城さんというデザイナーの方によるものだ。そんなこともあり、僕はアスクルの岩田さんの講演をとても楽しみにしていた。

岩田さんのお話で最も印象に残ったのは「社会最適」という言葉だ。

「部分最適」や「全体最適」という言葉はよく見聞きするし、僕も時々使っている。

しかし、「社会最適」という言葉は昨日、初めて伺った。

ダーウィンの進化論のように、環境に適応できた「種」だけが生き残るのであるが、同じことを、マネックスの松本さんも言っていた。そのことを思い出した。

また、岩田さんの講演後、ご挨拶をさせて頂く機会に恵まれたが、僕は「アントレプレナー(創業経営者)」が好きだということを再認識させられた。

またひとり、僕が50代になった時に目指したい人が増えた。

またまた、話しは変わるが、前FRB議長のアラン・グリーンスパン氏の著作「波乱の時代」の下巻の100頁ぐらいまで到達した。本当に勉強になる本である。

そのグリーンスパン氏が、日経新聞の「私の履歴書」に連載されている。

今日の記事で彼の連載は終了であるが、昨日の記事にとても印象的なことが書いてあった。

「イチローの打率は驚異的である」。その一言が書いてあった。

グリーンスパン氏は現在80歳だったと思うが、その年齢の方は、戦前の日本と戦後の日本を知っており、そういう方にとっては、戦後の日本の復興は紛れもない「奇跡」として映っていることと思う。事実、奇跡だと思う。

高度経済成長期の日本に生まれた僕は、今までそんなことは考えもしなかったが、こうして僕らが何不自由ない生活が出来ているのは、紛れもなく「奇跡」であり、先人の並々ならぬ努力の賜物である。

グリーンスパン氏の本や私の履歴書を読んでいて、そのことを考えさせられた。

「Made in Japan」という言葉が流行った時代があったが、イチローは今の日本社会最大の「輸出品(人)」だろう。

毎日毎日、挫けそうになるが、僕も頑張ろう!!!

「医師」の品格。

「品格」シリーズという訳ではないが、たまたま、そのような出来事があった。

数日前、僕らの子供の「右肘」が脱臼した。

詳細は忘れたが、先週か先々週、妻がダダをこねる子供の右腕を引っ張ったところ、脱臼してしまうという事件があった。その時は、近所の病院に連れて行き、ものの数秒で治ったそうだが、その数日後に、今度は保育園で、また、脱臼した。問題は、その時に発生した。

保育園から妻に呼び出しがあり、広尾の日赤医療センターの整形外科に連れて行ったのだが、要領を得ない医師だったらしく、僕らの子供の右腕を持ちながら、随分あれこれと処置をしていたらしいが、結局は「脱臼を直せないまま」、それで直ったはずだと言い、妻と子供を返したらしい。

しかし、家に帰っても、子供は右手を使わず、彼の右手はだらんとしたままで、妻はこれはどう考えてもおかしいと思い、日赤医療センターの整形外科に電話をした。

病状を説明するも、最初は看護士の方の対応で、診断した医師は電話に出てくれなかったそうだが、ようやく電話に出たところ、「僕が診察しても、どうせ泣くだけだと思うから、来なくてもいい」と言われたそうだ。

妻が、子供を連れて日赤の整形外科に連れて行った時は、子供の腕を掴んで、あれこれやっていたことで子供が痛がったわけであり、彼を嫌ったとかということではない。

それにも係らず、「僕が診察しても、どうせ泣くだけだと思うから・・・」という対応に、さすがに妻は幻滅したそうだ。当然のことである。

途方に暮れた妻は、幸いにも、以前に自分も看てもらったことのある中目黒の「吉田整形外科」という開業医を思い出し、急いで子供を連れて行った。因みに、僕も看てもらったことがあるが、とても良い病院である。

すると、すぐに「これは直っていないですよ」となり、すぐに直してくれたそうだ。

そして、「直ったか直っていないかは、脱臼した方の腕が上がるかとか、手を振れるかとかを確認すれば済む問題であり、それもせずに返したというのは信じられないし、痛がっているから、再度、看て欲しいと言うにも係らず、『僕が看ても泣くだけだから・・・』と言って、来院を拒むというのは信じ難い」と言ってたという。

当然である。

僕たち夫婦は、以前から日赤医療センターに通っており、妻は日赤で出産した。

実際、日赤の「産婦人科」や「小児科」には、とても素晴らしい医師の方々がいるし、僕たちはとても良い印象を持っている。

しかし、こういう事件があると、何とも哀しくなってくる。

以前の僕だったら、その医師に電話をかけ、罵声の数々を浴びせていただろうし、弁護士である弟に依頼して、内容証明を送りつけるなり、院長に直接電話をするなりしていただろうが、多少は大人になったのか、今回はそうはしなかった。

しかし、その医師は、自分のそのような言動が、自分だけの問題ではなく、日赤医療センター全体の「評判」に関わる問題だということを理解していないのだろうか?

その医師の名前は調べればすぐに分かることだが、敢えて、今回はそうはしなかった。

でも、こうして僕がブログに書くことにより、日赤医療センターに対して、何らかの影響が及ぶ可能性はあるだろう。

そのことを、その医師は理解しているのだろうか?

曲がりなりも「国家資格」を持つ方の行動として、僕には理解できないし、医師という「職業」を勘違いしているとしか思えない。

「患者」は「顧客」なのであり、自分は「先生(偉い人)」ではなく、患者という「顧客」に奉仕する立場のはずである。

彼には、猛省を求めたい。

「経営者の品格」。会社は何のために経営するのか?

先週の「点滴」事件以来、あまりに身体が辛いので、久しぶりにスポーツマッサージに行った。筋肉の「疲労回復力」がかなり低下しており、疲れやすい(疲れが取れない)のは当然ということだった。

「病は気から」と言うが「健全な肉体に、健全な精神が宿る」とも言うわけで、やはり、肉体的に健康であることが、とても大切である。精神論だけでは限界がある。

続けて3日ほど通ったところ、だいぶ身体が軽くなり、それに連れて、気持ちが「前向き」になってくるのが分かり、久しぶりに「自分らしい自分」を感じた。リンドバーグさんの言うとおりかもしれない(笑)。

さて、今日は「お約束」どおり、ドリームビジョンの女性陣を紹介したいと思う。

当社では現在、3人の女性スタッフが働いている。元々は3人とも、ビー・スタイルという、主婦に特化した派遣事業を行っているベンチャー企業からの派遣スタッフだった。

「だった」というのは、そのうちの2人は、パートタイムであることに変わりはないが、今年から、ドリームビジョンの直接雇用スタッフになったという意味である。

僕のブログを定期的に読んで下さっている方はご存知のとおり、当社は一昨年の秋に人材紹介業を開始、また、昨年秋から投資育成事業を���始した。しかし、経営的には安定軌道からは程遠く、毎日が試行錯誤の連続である。

そのような中、昨年の夏以降、当初の事業計画どおりに売上が上がらないのは何故なのか?その「阻害要因」を徹底的に解明するべく、すべての業務に関する見直し(BPR)を行ってきたところ、「無駄」な仕事や「非効率」的な仕事の仕方があることが解り、業務プロセスを大きく改造した。

その結果、経済合理的にドライに判断するのであれば、派遣スタッフは「3人」は必要ないという結論に達した。

因みに、3人の過去半年の勤務時間から計算した「実質稼働」は「1.61人/月」。BPRにより新しくデザインした業務プロセスで仕事を行えば、「1.0~1.25人/月」が適正な水準という計算になった。

今でも僕はそう信じているが、この問題は単なる「コスト削減」というテーマではなく、僕の「経営思想」に関する問題であり、ここで僕がどういう判断をするかは、イコール、僕がドリームビジョンをどういう会社にするのかを決めることであり、恒久的な問題だったと思っている。

創業期の会社において「人」に関する問題は、何よりも大きな意味を持っていると思う。

そもそも派遣スタッフを採用しようと思った理由は、上述のとおり、まだまだ試行錯誤の連続であり、どのようなスタッフが、どのぐらい必要かも分からず、フルタイムのスタッフを採用することができないためであり、業務プロセスの変更に柔軟に対応できるためだった。

そのような事情により、派遣契約も3ヶ月単位としており、契約を更新するしないは、当社と彼女たちの双方の意思で決める問題であり、どちらかの事情が変われば、それで仕方ないことだった。

それにも係らず、僕はこの件で、おそらく2~3ヶ月は悩んでいたと思う。

僕以外のフルタイムスタッフ(安田・泉谷・松本)とは何度も議論をしたが、それぞれ微妙に意見が異なっており、それがさらに、僕を悩ませた。

僕が出した結論は、3人にその意思があれば、3人とも契約を継続する、ということだった。

しかし、1.61人/月をキープするのは、どう考えても「経営とは言えない」のは明白であり、僕は、3人がそれを承諾するかどうかは別として、各人の出勤日数を、それまでの「75~80%」にしてもらうことにより契約を更新することを彼女たちに話しをし���みると、安田たちに話しをした。

結果は、彼女たちの1人は、とある事情により、フルタイムでの仕事を探したいということになり、他の2人も、それであれば、ドリームビジョンで働き続ける意味がない、ということになった。

話しは横道に逸れるが、ビー・スタイルの方の話しによると、昨今の景況感により、派遣スタッフの需給は逼迫しているらしく、彼女たちが望めば、フルタイム(派遣形態)の仕事を探すことは決して難しいことではないらしい。にも係らず、週2~4日程度の勤務を希望するのは、家庭の事情、その場合の多くは「子育て」の関係上、フルタイムで働くことはできない人たちだという。そして、そのような彼女たちの多くは、出産前はそれなりの仕事をしており、優秀な方が多いそうだ。

さて、当社で働いている3人に話しを戻すと、3人ともかなり遠方から通ってきており、「収入」だけを考えれば、自宅に近い場所で仕事をした方が、往復の時間も仕事ができ、むしろ、割がいいらしい。派遣スタッフの場合、交通費は自己負担である。

それにも係らず、ドリームビジョンで仕事をしているのは、色々な意味で仕事にやり甲斐があり、刺激になるからだそうだが、それでも、今よりも出勤日数が減るとなると、さすがに考えざるを得ない、ということだった。

僕はさらに悩んだ(笑)。

彼女たちとはひとりひとり面談をしたのだが、僕はその席で、こう提案をした。

「ビー・スタイルとの契約は更新せず、ドリームビジョンとの直接契約に変更する。そして、彼女たちが派遣会社から受け取っている金額以上の時給を支払い、尚かつ、交通費も会社負担とする。出勤日数は今までと同じか場合によっては増やしてもらう」。

彼女たちを直接雇用に切り替えるには、派遣会社に「紹介手数料」というものを支払う必要があるが、直接雇用後に彼女たちに払う時給が、派遣会社に払っていた金額よりも安ければ、上記の「紹介手数料」分を相殺した後は、彼女たちは手取りが増え、ドリームビジョンは支出が減る、という構造になり、どちらにとっても得になる。

しかし、3人の中のある女性が「でも、すぐに辞めちゃったら、どうするんですか?」と僕に質問をした。鋭い質問である(笑)。

そう、僕の試算だと、5ヶ月半で「紹介手数料」を相殺することになるので、それ以上、当社で働いてくれるという前提がなければ、この計算は成り立たないのである。まあ、そうなった場合は、僕が外の株主に陳謝するしかない(笑)。

そんな経緯があり、3人中2人は、ドリームビジョン直接雇用のスタッフとなり、もうひとりは、次の仕事(フルタイム)が決まるまでの2~3ヶ月、引き続き、派遣スタッフとして仕事をしてもらうことにした。

さて、話しは変わるが、直接雇用、平たく言えば、パートなりアルバイトとなった女性のひとりのご主人は、過去10年以上に渡り、走り高跳びの「日本記録」保持者だった方である。

記録的には「オリンピック」に出場する権利を持っていたにも係らず、日本オリンピック協会(JOC)の判断により、「走り高跳び」以外の種目が「優先」されてしまい、記録的には間違いなく出場資格があったにも係らず、他の「跳躍系」の種目の選手に、その「枠」を譲らざるを得なかったという。何とも残念な話しである。

以前に「水泳」でも似たようなことがあり波紋を呼んだことがあったそうだが、JOCの「判断基準」が「不透明」であり、要するに、商業的に分のいい、つまり、「人気���がある種目の方がオリンピックに出やすいという構造がある。

確かに、ビッグビジネスとなった現代のオリンピックを考えると仕方ないのかもしれないが、たまたま自分が選んだ競技が人気がなかったからという理由で、アスリートとしては才能に恵まれながらもオリンピックに出場できないというのは、何とも哀しいものがある。

オリンピックに出場したか否かでは、アスリートとしての「評価」が天と地ほどの差があるだろう。アスリートとしてのご主人は、体操の森末さんや塚原さんらに劣らない人物なのにも係らずにである。

このリストの中に、彼女のご主人の名前を発見した時は、自分のことのように嬉しかった。と同時に、悔しい思いにかられた。そう考えると、彼女のご主人と彼女の気持ちは痛いほど理解できる。

ところで、僕は「理念」に拘っているという話しは何回か前のエントリーで書いたとおりである。

ドリームビジョンの企業理念も、常に考え続けている。その結果、今現在のステイトメントもまだ歯切れが悪く、もっとシンプルに、もっとストレートに表現した方がいいと思うに至った。

こういうステイトメントに変更しようと思っている。

「挑戦する人」を創出し、広く社会に「勇気と自信と感動をもたらす事業=新しい社会的価値」を創造する。

起業する人に限らず、自分の妻を含めた子供を持つ働く女性も、将来的には、記録に挑戦するアスリートも、ミュージシャンや俳優、画家、イラストレーター等のアーティストも含めて、何かに「挑戦する人」を応援し、そのことにより「高い収益」をあげられる事業構造の会社にすることが、僕の「挑戦」である。

「子供を持つ女性」の「職業選択」の「現実」。

今週の日曜日、世田谷に住む弟家族の家を訪問し、弟の奥さんがつくる関西風「お好み焼き」を食べた。お好み焼きはどうでもいいのだが、従兄弟同士の交流をさせたいと思い、お互いの子供を遊ばせていた。

さて、お好み焼きを食べながら「子供を持つ女性の職業選択」の「現実」について話しをした。

弟の奥さんは、出産を機に、企画営業職を離れて、総務的な部署に異動した。勤務時間は、朝から16時まで。子供を保育園に預けながら働いている。そうやって働けるということは、ある意味、恵まれているのかもしれない。

ところで、僕の妻は、この3月でめでたく大学院を卒業の予定。先週、何とか無事に「修士論文」を提出した。僕もホッとした。

しかし、問題は「卒業後」の就職である。

彼女は「臨床心理」を勉強しており、卒業後は、出来る事なら「クリニック」で「鬱病」等の患者さんのカウンセリングをしたいらしいが、そのような仕事をするとなると、子供の具合が悪くなったからと言って、患者さんの予約をキャンセルするわけにはいかず、両親が健在且つ近所に住んでいる or 同居している等の条件がなければ、事実上、不可能である。

そうなると、会社を辞めて予備校に通い、まずは、大学3年時に編入し、その後、大学院を受験して・・・という苦労をしてきたにも係らず、本人が望む仕事には就けない。

結婚以来、散々、僕の人生を手伝ってもらってきた身としては、せめてもの恩返しと思って予備校を含む「5年間」を見守ってきたが、何ともやりきれない思いにかられる。

彼女は大学院に入って暫くしてから、指導教授の指導のもと、カウンセリングの実習を行ってきており、その日は、僕がアポイントを入れないようにし、子供の具合が悪くなった場合、僕が会社を休むなり、保育園に迎えに行けるようにしてきたが、さすがに、それを週に3日も4日もすることはできない。

残念で仕方が無い。

病児保育という制度が、もう少しフレキシブルであるとか、お金をかけてベビーシッターを頼むか?まあ、それは経済的に無理なので、現実的な選択肢はない。

話しは変わるが、僕の「産みの母」は、教師をしていて、フルタイムで働いていた。そんなこともあり、僕にとって「子供を持つ女性」が働くことは当たり前のことだ。

僕たち家族にとって幸いだったのは、親父の両親、つまり、僕らにとっては祖父母と一緒に住んでいたことであり、僕たち両親は、心置きなく、仕事に精を出せたということである。

そして、僕は「寂しい」と感じたことは一度もなかった。

さて、ドリームビジョンでは、子供を持つ女性が働いている。

そんなこともあり、僕は、そういう彼女達に出来る限りのことをしてあげたいと思っている。

次回のエントリーでは、彼女達のことを紹介したいと思う。

エン・ジャパン越智社長の話し。

今日は東京の初雪。我が子にとっては、文字どおり、初雪。

朝、保育園に行く前、大騒ぎだった。

ところで、今日は「初雪」がちらつく寒さの中、普段は滅多に行かない新宿西口にあるエン・ジャパン本社で開催された越智社長の講演を聴きに行った。

越智社長とは、僕がインタースコープを経営していた頃、一度だけ、ダイヤモンド経営者倶楽部が主催する会合でご挨拶をさせていただいたことがある。若輩者の僕の言葉に耳を傾けて下さり、インタースコープの事業内容を理解されようとしていた、その紳士な姿勢を今も覚えている。

さて、その越智社長の話しは、とてもシリアスな内容だった。

ここに来て、サブプラム問題が実態経済にも波及したことにより世界同時株安の様相を呈しているが、ここ数年の好景気による企業の人材採用意欲の高まりにより、エン・ジャパンの業績は、7年間に渡り、増収増益を続けているらしい。

エン・ジャパンの売上の「9割」は「求人広告」である。

具体的には、転職サイト、派遣社員サイト、アルバイト求人サイト、新卒向けサイト等の運営による売上だ。

しかし、今日の越智社長の講演のテーマは、同社の売上の「1割」に過ぎない「人材紹介」関連売上に関するものだった。

一言で言えば、越智社長の話しは、「倫理観」を欠いた人材紹介大手企業および某新興ヘッドハンティング会社(越智社長は、同社を「ボトムハンティング」と呼んでいた)の営業手法に関する批判と、そのことが「人材紹介」業界全体に与える悪影響に関する警鐘だった。

ご本人によれば、朝日新聞社の「アエラ」でも同様な批判をしたらしいし、業界大手の経営者にも苦言を呈しているらしいので、このブログで社名を出してもいいのかもしれないが、上場企業であるエン・ジャパンとその経営者である越智さんにご迷惑がかかってはいけないので、それは止めておこう。

ご関心がある方は是非、asahi.comの「あおられ転職? 人材ビジネス盛んだけれど」という記事を読んでみて欲しい。

話しは変わるが、僕はインタースコープを経営している頃、インターネットリサーチ研究会という業界団体のような組織を運営していた。最盛期には、100社近い企業が参加してくれていた。

その頃、シンポジウムやセミナーや取材等で僕がいつも言っていたことは、「リサーチ業界とリサーチャーの社会的ステイタス(評価)を向上させたい」ということだった。

今日の越智社長は「このままでは『人材紹介』という業界の評価が損なわれる。この業界の『社会的評価』を上げていきたい」と再三、訴えていた。

ところで、僕は元来、人の話をすぐに信じるし、疑ってかかるということを知らなかった。

それは何故かというと、僕自身が常に「本音」しか言わない人間なので、世の中の人もそうなのだろうと勝手に思っていたからである。

しかし、40才も超えて初めて僕は、どうやら、そうではないということに気づき、最近は「この人の本音は何なのかな?」と考えるようになった。

僕があまり好きではないというか嫌いなMBAチックな表現を借りれば、「Critical Thinking(疑ってかかる)」ということが、幸か不幸か、そういう能力が多少は身に付いてしまったということなのだろう。

今日の越智社長の話しを聴きながら、彼の「狙い」はどこにあるのだろうか?と考えていた。

でも、僕の結論は、彼は「本心」で言っているのだろうということだ。というか、事の真意はどうでもよく、僕はそう思うことにした。その方が何より僕自身が幸せである。

さてさて、またまた、話しは変わるが、本当は、今日のエントリーは「子供を持つ女性の職業選択」というテーマにしようと思っていた。

それは、明日に持ち越しとしよう。

「日本アジア投資」の新家さんチームとの合同新年会。

今日は、日本アジア投資(JAIC)の新家さんチームと当社メンバーとの「合同新年会」を開催した。

とても楽しい会だった。

新家さんとは、VCの担当者と投資を受けたベンチャー企業の経営者という間柄を超えての人間関係を構築でき、こうして、お互いのチームのメンバーも含めての交流にまで発展したことを、とても嬉しく思う。

新家さんからは投資事業に関するアドバイスを頂き、また、インタースコープ時代を共に振り返り、そこから学んだことを再確認することができた。

先週の「点滴」事件もあり、まだ、体力が回復していない僕は、他のメンバーよりも一足お先に失礼したが、両社のメンバー同士も話しが弾んでいたようで、企画した側としては、とても嬉しく思った。

帰りがけに「最近の(ブログでの)発言は、なんか弱気になっちゃって・・・」と発破?をかけられたが、マジメな話しで体力ギリギリのところで踏ん張っている。

でも、今日のような会合があると、肉体的な面は別として、精神的には大きなエネルギーをもらえる。

皆さんに感謝!!!

類は友を呼ぶ。懲りない友人たち。

今日はシリコンバレーで活躍する古い友人に久しぶりに会った。知り合ってから、14~15年になるだろうか。

彼と最後に会ったのは2000年3月、出張で行ったサンフランシスコだったので、ほぼ8年ぶりだ。とても元気そうだった。

彼は、吉川さんと言う。1995年にデジタルマジックラボという会社を創業し、その後、1999年にシリコンバレーに渡り、現地で資金調達をして、ip infusion というシスコに対抗するシェアウエアのルーター開発のベンチャーを創業した。

ip infusionを昨年、約50MMドル(約50億円)でACCESSに売却して、今日に至っている。また、新しいビジネスを始めるそうだ。

何故か、僕の周りには「懲りない友人たち」が多い。類は友を呼ぶ。

ところで、ふたりとも、15年前は「ただの若造」。頑張れば、それなりのことができるということだ。

人生は短い。でも、まだまだこれから!!!