現地時刻「22(金)00:05」ホーチミン発のフライトに乗り、同日の朝「07:30」に成田に到着した。
とても混んでいる便で、中央5列席のなんと「真ん中」の席だった。トイレが近い僕にとって、6時間のフライトでその席はちょっと辛いものがあったが、時間帯が夜中(機中泊)ということもあってか、結果的には軽食後にトイレに行っただけだった。
ところで、19(火)朝09時過ぎ、成田でチェックインを済ませた数分後、妻から携帯に電話があった。妻方の伯父が亡くなったという知らせだった。告別式は、ベトナムから帰国する日(22)の12:30とのこと。
今までの僕の人生は、波瀾万丈というか起伏に富んだものだったが、どうやら、それは今後も続きそうである。
実は、23(土)のフライトで帰国する予定だったのだが、その日のフライトが取れず、仕方なく、22(金)にしたという経緯がある。
伯父には、妻の父親が介護病院に入院していた時、とてもお世話になり、また、伯父夫妻が父のお見舞いに行っていた時に、父の容態が急変し、最後を看取ってもらったということもあり、23(土)のフライトが取れなかったのは、何かの「縁」だったのかもしれない。伯父の冥福を祈りたい。
さて、初めてのベトナム出張は、とても有意義だ���た。自分自身のためにも、今回の出張で得たことを整理しておこうと思う。
まず、ベトナムという国の基本知識から。
正式な国名は、ベトナム社会主義共和国(Socialist Republic of VietNam)。僕はベトナムが社会主義の国であることを、初めて知った。
というよりも、今回のベトナム訪問まで、ベトナムのみならず、タイ、ラオス、カンボジア、マレーシア、シンガポール等の東南アジアの国々がどのような政治体制の国なのか?そもそも関心が無かったし、中国とロシア、そして、旧東欧の国々以外は、すべて資本主義の国(なのだろう)という観念を持っていた。
お恥ずかしい話しであるが、そのこと知った(関心を持った)ことだけでも大きな収穫だったし、世界、特に、発展途上国に対する「関心」が増したことは、今後の僕の人生において、大きな転換点になるような気がする。
ベトナムの面積は、日本の約90%。人口は「8,312万人(2005年時点)」。今は、もう少し増えているだろう。
人口の増加率もさることながら、注目すべきは、人口の約60%が「30才以下」の人たちで構成されていること。生産人口が激減していく日本と較べると、驚異的な人口ピラミッドである。
首都は「ハノイ」で、人口は約300万人。旧サイゴンの現「ホーチミン・シティ」は、人口約600万人の大都会である。
また、ハノイとホーチミンでは、都市としての性格がまったく異なる。
「ハノイ」はベトナムの北にあり、四季もあって冬は寒いせい。また、中国と陸続きであることから中国の影響を強く受けており、何となく「重たい雰囲気」がする街である。
一方、ホーチミンは、緯度のとおり「南国」であり、この季節でも人々は半袖である。また、フランスの植民地時代があったこともあり、雑然とした街並みにも、どこかエスプリが効いた感じがする。
今回、ベトナムを案内していただいた武田さんと猪瀬ルアンさん(元々はベトナム人で、日本に帰化されている)の説明によると、ホーチミンの人々の方が、社交的であり、開放的だという。
ガイドブックを見ながら、主要なエリアを歩いてみたが、たしかに、ホーチミンの方が、街のエネルギーを感じるというか、ダイナミックな感じがした。
さて、次は、ベトナムの経済について。
通貨は「ドン(Don)」。10,000ドン=約70円
観光客が入るような、そこそこのレストランで食事をしても、ひとり「10~15ドル(1,100~1,650円)」ぐらい。
因みに、現地の人の月収(一般庶民)は、約10,000円ぐらいらしい。
それにも係らず、ベトナムでは普及価格帯でも3~5万円、高機能のものになると10万円ぐらいする「ケイタイ電話」が飛ぶように売れているという。
また、物凄い数のバイク(日本でいうスクーター)が走っている。夕方の帰宅時は、道路全面がバイクで溢れかえり、まるで洪水のようである。バイクも廉価版が4~5万円で、高性能なものは10万円ぐらい。
いったい、どうやって買っているのか?
ガイドブックよるとベトナムの経済規模(GDP)は、日本の「1/100(約5兆円)」。因みに、僕の試算だと「約6兆円(1/83)」。ひとり当たりGDPは「約700ドル(約77,000円)。
但し、ベトナムの「実態経済」に占める「約1/3」は海外からの「送金(出稼ぎ資金)」らしい。
そんなことで、発展途上国によくあるパターンで、表には出て来ない経済が結構あるということだろう。上海と較べると僅かな台数だが、それでも、BMWやメルセデスベンツが走っている姿を時々見かけた。
また、ベトナム経済の発展を象徴するように、ホーチミンにできた株式市場はかなりの盛り上がりを見せているらしいが、今のところ、キャピタルゲイン課税はないとのこと!!! 値上がり著しい「株」や「不動産」で儲けた億万長者が結構いるらしく、日本円にして「2~3億円」もするような高級マンションを「キャッシュ」で買うベトナム人がいるという。
「不動産」に関していうと、韓国や台湾の資本がかなり購入しているらしい。日本企業は何故買わないのか?というと、土地の「使用権(日本でいう定期借地権で50年が一般的らしい)」に関する「登記」がかなりいい加減で、ひとつの土地に、自分が持主だと名乗る人が複数いることも珍しくないことに躊躇しているからだという。
どこかの国の「年金」ではないが、政府の管理がいい加減で、ある期間に「使用権」を与えた人、また別の期間に使用権を与えた人など、オーバーブッキング状態になっているのが原因らしい。
逆に、では何故、そのような状態にも係らず、韓国や台湾の企業は、ベトナムの不動産投資をしているのか?
そのリスクも織り込んだ上で、そ���でもリターンが期待できる歴史的タイミングと判断し、トップダウンで意志決定をしているからだそうだ。
ここにも「リスクを取りたがらない=失敗すると敗者復活がない組織社会」という日本の構造的欠陥が垣間みれる。国際社会で影が薄くなるはずである。負けるべくして、負けている。悔しいのは、僕だけだろうか?
今回のベトナム訪問で僕が学んだことが、概ねこんなところである。
さて、経済やビジネスの話しではないが、もうひとつ、僕がベトナム訪問で感じたことがある。
それは、ベトナムという国は、過去何十年にも渡って、外国からの「侵略」にあってきた国だということである。
ベトナムというと、多くの人が「ベトナム戦争」を連想すると思うが、ベトナムの歴史を遡ると、フランスの植民地支配や中国の支配等、様々な「侵略」を経て今日に至っている。
今ではカップルの憩いの場所になっているらしい、ホーチミンの街を流れるサイゴン川沿いの通りを歩きながら、今から30年前、この街が戦火に塗れていたのかと思うと、何とも言えない気持ちになった。
街中には当然のことながら子供の姿も見受けられ、その子たちの顔を見ながら、彼らにとって幸せな未来が訪れて欲しいと思った。
戦後の時代に生きる僕たちは、幸せである。
ところで、僕もよく知る某ベンチャー企業のCEOが、頻繁にベトナムを訪れているらしい。
彼はリスクを取る人であり、彼なら思い切った先行投資をするだろう。
そういう日本人が、もっともっと出てきて欲しい。
追伸:高級ブティックが立ち並ぶホーチミン・シティであるが、街中で時折り見かける「黄土色の軍服」のような制服を着た警察官の姿を見ると、ベトナムは「社会主義の国」だということを認識させられる。カントリーリスクを感じさせる光景である。