先日のエントリーで、僕が大好きなゴルフに絡めて「科学的アプローチ」ということを書いたが、僕にとっては「科学的アプローチ=山川さん(インタースコープ共同創業者)」である。
インタースコープの経営理念は、「科学的アプローチと徹底した人間主義により、新たな価値を創造する」だった(ある時点までは「社会的価値を創造する」だった)が、この理念は、インタースコープを創業して暫くした頃、山川さんと僕と、後に取締役になった久恒整とで議論をして制定したものだ。
山川さんのTDK時代の上司で、インタースコープの監査役を務めて下さっていた保月さんが、科学=知(山川さん)、人間主義=情(平石)、社会的価値の創造=意志(久恒)と言っていたことを思い出す。
でも、「社会的価値の創造」というフレーズは、僕が初めて創った会社の企業理念で使っていた言葉であり、僕が主張して入れたものである。
また、「知」に働けば角が立ち、「情」に棹させば流される・・・(不本意だが、意志にまつわる話しは思い出せない)という話しもされていたが、まさしく、3人の特徴を捉えていたと思う。
ところで、社会の平均と比較すれば、僕はかなり「科学的」に物事を考える方だと思う(ODSというコンサルティングファームで鍛えられたお陰である)が、山川さんは異常な程に物事を「科学的」に考える人であり(生まれつきのエンジニアなので仕方ない/笑)、その山川さんが、あまりに「科学的アプローチ」を徹底するので、僕はなんだか「科学的アプローチ」を押し付けられているような気がしてきて、インタースコープ時代の後半は、創業者でありながら、経営理念にある「科学的アプローチ」がトラウマのような存在になっていた。
しかし、世の中は皮肉なもので、お互いに別々の会社を経営するようになった今、僕は「科学的アプローチ」を常に意識するようになった。
僕が天の邪鬼なのかどうかは別として、ODS時代は「定量分析」が大嫌いだったが、1991年に起業し、こじんまりとではあるが、コンサルティングもどきの事業をするようになって、それが好きになった。
ここから言えるのは、人間は誰でも、自分で意志決定したことには本気になるが、他人から強制されたことに対しては、本当はそのことを受け入れて(肯定して)いたとしても、どうしても、そのことに対して「反射的(反抗的)」になってしまうのではないかということである。
でも、やはり、僕という個別性が強いようにも思う。
何故なら、僕は中学生の頃、父親に反発して、「僕はお父さんのロボットじゃない!!!」と言って食卓をひっくり返し、家を出て行ったことがある人間であり、世の中の平均以上に「自由」を求める人間なのかもしれないから。
さて、科学的アプローチのインタースコープに話しを戻すと、自画自賛で申し訳ないが、最近、ネット系ベンチャー企業としてのインタースコープの知名度というか、社会的な評価の高さを、改めて感じている。
ドリームビジョンを創業した頃は、意図的にネット系ベンチャー企業に関連する人たちが集まる場所やコミュニティとは距離を置いていたが、最近は、どんな会合やコニュニティであれ、自分にとってプラスになると思うところには積極的に参加するようにしているが、そのような場で会う方と名刺交換をする度に、ほぼ例外なく、「あっ、そうですか。インタースコープの創業者なんですか・・・」という反応が返ってくる。
今更ながらというか、改めてというか、インタースコープという会社が生み出した「社会的価値」は大きいと感じている。
しかし、それは逆に言えば、ドリームビジョンとしては、まだまだ大したことは生み出していないという意味でもあり、僕の人生の「終わっていない宿題」である。
それに関することを、ライブレボリューションの増永さんがご自身のブログで書かれているので、興味のある方は読んで頂ければと思う。
さて、もう一度、僕のトラウマ(笑)の「科学的アプローチ」に話しを戻すと、ソフトブレーン・サービスの小松さんが、おもしろいことを書いている。
ひと言で言えば、「人生は科学的ではない」ということだ。
「運」や「直感」「直観」というものが、とても大切である。
東大名誉教授の片平先生が「合理は語れない。非合理はストーリーになる」と仰っているが、要するに、合理的に考えれば、誰でも似たような結論に辿り着くので、その結果はおもしろくない(ストーリーにならない)ということだ。
自ら創業した会社で、自ら雇い入れたCEOと取締役会に「首にされた」人間が、自ら創業した会社に戻ることを求められ、その彼のお陰で再生したからこそ、アップルは「ストーリー」になるのだと思う。
起業家の端くれとして自信を持って言えることは、「運」や「直感」「直観」が無い人は、起業は出来ないし、出来たとしても「続かない」ということだ。
またまた話しは変わるが、NPO法人ETICを通じて知り合った社会起業家のひとりに山本繁さんという方がいる。
彼には、芸術家的というか、サブカルチャー的な才能を感じる。
僕のブログへのリンクを解析していて、彼のブログを発見し、初めて彼のブログを読んだ。
そのブログで僕のことを書いてくれているのだが、そこで語られている彼自身のことを読んでいて、この人は、僕と近い人であり、尚かつ、僕が45年間の歳月を費やして初めて至った境地に、30年弱の歳月で到達してしまっていることに驚いた。
間違いなく、彼は逸材である。将来が楽しみだ。
さて、彼のブログを読んでいて、僕が何故、投資育成「事業」を立ち上げようとしているか?そのことが整理できた気がしている。
「ちょっとした小さな出会いやキッカケ、自分に適した環境を手に入れるだけで人は大きく変わり、成長する。その根拠は自分の大学時代の経験にあり、いい経験をさせてもらったと思っている。そんないい経験をたくさん生み出したい」(山本さんのブログより引用)。
僕にとっては、学生時代に、H2O(当時)の赤塩さんと知り合ったこと。彼がその後、New Yorkに渡ったこともあり、1986年に初めてNew York に行ったこと。1991年に「商法改正」があったこと。そのお陰で、堀水と最初の会社を創ったこと。現在、ドリームビジョンの株主でもある佐藤裕氏の影響でマッキントッシュに魅了されたこと。前刀さん(ディズニー時代)と知り合ったこと。伊藤忠商事の庄司さんと知り合ったこと。1990年代後半にネットバブルが起きたこと。僕は英語が好きで英語が話せること。そのお陰でシリコンバレーのVCと出会ったこと。その出会いの元は、ウェブクルー創業者の渡辺さんとの出会いであること。山川さんと「ラーメン屋の角」で立ち話をしたこと。それがきっけけとなりインタースコープを創業したこと。そして、億単位の資金を調達でき、その「お金」のお陰で、とても貴重な経験をさせてもらったこと。2005年に、子供が生まれたこと。彼に背中を押されてドリームビジョンを創業する決意を固めたこと。そして、安田、泉谷、松本という素晴らしいメンバーに恵まれていること。
結論は、「科学的アプローチ」による「直観的」意志決定と「出会い」である。
そして、自分を信じる(自信)こと。