たったの15年。

45才になって、今日でちょうど1ヶ月。今年になって4ヶ月が過ぎた。時の経つのは本当に速い。

ところで、35才になった時に、もう一度、20才から35才までの「時間」が過ぎると僕は「50才」になるという事実に気がつき、目の前に「砂時計」が置かれたような気持ちになったが、あれから「10年」が経った。あっという間だった気もするし、随分と色々なことが詰まっていたという実感もある。

少し見方を変えると、20才から35才までの「15年」と、30才(になった時のことは鮮明に覚えている)から45才までの「15年」では、同じ「15年」でも、その密度が大きく異なった気がする。

27才で会社を設立し、28才で起業したとは言うものの、最初の会社(36才まで続けた)とインタースコープ以降の人生(37才以降)とでは、その中身の濃密度が全然違うからだろう。

そうして考えると、45才(現在)から60才までの「15年」は、若さは時間の経過と共に失われていくだろうが、僕の意志次第で、もっともっと濃密で充実した時間にすることができるような気がしている。

最近になって、そう思うようになった。

具体的に言えば、ここ最近の2年半を除くと、30才から45才は僕の人生=「仕事」だったが、今後の15年は、その中身が「多様」になるように思う。仕事も子育てもゴルフも旅も・・・という具合に。

「たったの15年」で、人生は大きく変わる。そう思えるようになった。

人生は、まだまだこれから。

何気ないひと言。

もう随分前のことになるが、ドリームビジョンを始めて暫くした頃、その先のことに自信が持てなくなってしまった時、堀水(ダイアログ・マーチャンダイズ社長兼ドリームビジョン監査役)に相談に行ったことがある。

その時、彼に言われたことは、「(平石が目指すべきは、元イエローキャブの)野田社長だよ。平石は人を魅力的に紹介するのが上手いと思うよ。ブログを読んでいても、○○さんって、どんな人なのかな・・・って、すごく興味を持つしさ・・・。それから、CREED(初めて創った会社)の頃から言っているけど、やっぱり、何かを書くべきだよ」ということ。

拡大解釈すると、要するに、人を育てる仕事(=教育)が向いているということなのだろう。

人間は、説教をされたことは覚えていないことが多いが、何気なく言われたひと言は、妙に覚えていたりする。構えていない分、本質を捉えているからだろう。

僕も時々、「えっ。そんなこと言ったっけ?」という話しをされることがある。

蛙の子は蛙。右利きは右利き。左利きにはなれない。

自分で自分を受け入れることが第一歩。

「会社を替えても、あなたは変わらない」。

先日、あるネット系ベンチャー企業の勉強会で講演をさせて頂く機会を頂戴した。

どのようなことを話せばよいのか?僕は事前にその会社を訪問させていただき、僕に期待されていることを確認した。

結果は、「とても参考になった:49%」「参考になった:37%」「どちらとも言えない:14%」だった。

約半数の方が「とても参考になった」と答えてくれていると見ることもできるが、見方を変えると、約半数の方にとっては「まあまあ」もしくは「あまり参考にならなかった」ということでもある。

僕の立場としては、起業家としての理念の話しをするべきか?戦略あるいはテクニカルな話しをするべきか?はたまた、キャリアデザイン的な話しをするべきか?そのどこに「フォーカス」を当てるべきか?で苦心した。

フリーアンサー(自由記述)を拝見すると、肯定的なコメントは、起業家なり創業者としての「生き方」や「ビジョン」といったことに関するものが多く、物足りないとするコメントは、より具体的なことを話して欲しかったというものだった。

それはまさしく、僕という人間そのものに対する評価でもあったと思う。

今回の講演で僕が学んだことは、「すべての人のニーズに応えることは出来ない」ということ。

ビジョナリーカンパニー(お恥ずかしい話し、僕はまだ読んだことがないが)で言うところの「誰をバスに乗せるか?」ということだろう。

すべての人の支持を得ようとすると、結局、誰の支持も得られなくなる。

山川さんが先日、「CEO(リーダー)は、『信念』を持つことが必要」だと言っていたが、まさしくそういうことだろう。

はたして、僕には「信念」と呼べるものがあるのだろうか?

ところで、オプトの海老根さんが、「会社を替えても、あなたは変わらない」という本を書いたらしい。

まだ、読んではいないが、本質を捉えていると思う。

人間として成長しているという自信はあるが、インタースコープ時代もドリームビジョンを創業してからも、本質的には、僕は僕のままである。

良いところも、悪いところも。長けているところも、不得意なところも。

他人の人生を生きることはできない。

そのことを踏まえて、今後の意志決定をしようと思う。

久しぶりの「報道ステーション」。

臨床心理を学んでいた妻は先月末、何とか無事に大学院を修了し、今月から週に数日、働いている。

仕事が終わった後は、勉強会があったり、学会関連の会合があったりと、時々、帰りが遅くなることがある。

今日は大学院でお世話になっていた教授が主宰している研究会があるとのことで、今現在、まだ、帰宅していない。

そんなことで、今日は僕が子供を保育園に迎えに行った。

宵っ張りな彼は、時として、22時を過ぎても寝ないことがあるが、今日は何とか21時半過ぎには寝てくれた。

彼を寝かしつけながら僕もウトウトしてしまったが、リビングに戻ってきて時計を見たら、ちょうど「報道ステーション」が始まった時間だった。

この時間に自宅に帰ってくることは子供を迎えに行った日ぐらいしかなく、久しく報道ステーションを見ていなかったことを思い出し、久しぶりにチャンネルを合わせてみた。すると、山口県の補欠選挙の模様が報道されていた。

たまには、こういう時間を過ごすことが気分転換になることはもちろん、人々の心理を理解するためにも必要だということを感じた。

ところで、明日からゴールデンウィークが始まる。

充実した時間にしたい。

人生はすべて必然。

今日は、当社の泉谷を連れて、僕にとっての「科学的アプローチ」の師匠でもある山川さんとのブレストで、ALBERTを訪問する。

「知」の山川さん、「情」の僕、「知」の泉谷によるブレストが、はたしてどんな効用を生み出すのか?

想像がつかない(笑)。とても楽しみである。

「科学的アプローチ」と「インタースコープ」。

先日のエントリーで、僕が大好きなゴルフに絡めて「科学的アプローチ」ということを書いたが、僕にとっては「科学的アプローチ=山川さん(インタースコープ共同創業者)」である。

インタースコープの経営理念は、「科学的アプローチと徹底した人間主義により、新たな価値を創造する」だった(ある時点までは「社会的価値を創造する」だった)が、この理念は、インタースコープを創業して暫くした頃、山川さんと僕と、後に取締役になった久恒整とで議論をして制定したものだ。

山川さんのTDK時代の上司で、インタースコープの監査役を務めて下さっていた保月さんが、科学=知(山川さん)、人間主義=情(平石)、社会的価値の創造=意志(久恒)と言っていたことを思い出す。

でも、「社会的価値の創造」というフレーズは、僕が初めて創った会社の企業理念で使っていた言葉であり、僕が主張して入れたものである。

また、「知」に働けば角が立ち、「情」に棹させば流される・・・(不本意だが、意志にまつわる話しは思い出せない)という話しもされていたが、まさしく、3人の特徴を捉えていたと思う。

ところで、社会の平均と比較すれば、僕はかなり「科学的」に物事を考える方だと思う(ODSというコンサルティングファームで鍛えられたお陰である)が、山川さんは異常な程に物事を「科学的」に考える人であり(生まれつきのエンジニアなので仕方ない/笑)、その山川さんが、あまりに「科学的アプローチ」を徹底するので、僕はなんだか「科学的アプローチ」を押し付けられているような気がしてきて、インタースコープ時代の後半は、創業者でありながら、経営理念にある「科学的アプローチ」がトラウマのような存在になっていた。

しかし、世の中は皮肉なもので、お互いに別々の会社を経営するようになった今、僕は「科学的アプローチ」を常に意識するようになった。

僕が天の邪鬼なのかどうかは別として、ODS時代は「定量分析」が大嫌いだったが、1991年に起業し、こじんまりとではあるが、コンサルティングもどきの事業をするようになって、それが好きになった。

ここから言えるのは、人間は誰でも、自分で意志決定したことには本気になるが、他人から強制されたことに対しては、本当はそのことを受け入れて(肯定して)いたとしても、どうしても、そのことに対して「反射的(反抗的)」になってしまうのではないかということである。

でも、やはり、僕という個別性が強いようにも思う。

何故なら、僕は中学生の頃、父親に反発して、「僕はお父さんのロボットじゃない!!!」と言って食卓をひっくり返し、家を出て行ったことがある人間であり、世の中の平均以上に「自由」を求める人間なのかもしれないから。

さて、科学的アプローチのインタースコープに話しを戻すと、自画自賛で申し訳ないが、最近、ネット系ベンチャー企業としてのインタースコープの知名度というか、社会的な評価の高さを、改めて感じている。

ドリームビジョンを創業した頃は、意図的にネット系ベンチャー企業に関連する人たちが集まる場所やコミュニティとは距離を置いていたが、最近は、どんな会合やコニュニティであれ、自分にとってプラスになると思うところには積極的に参加するようにしているが、そのような場で会う方と名刺交換をする度に、ほぼ例外なく、「あっ、そうですか。インタースコープの創業者なんですか・・・」という反応が返ってくる。

今更ながらというか、改めてというか、インタースコープという会社が生み出した「社会的価値」は大きいと感じている。

しかし、それは逆に言えば、ドリームビジョンとしては、まだまだ大したことは生み出していないという意味でもあり、僕の人生の「終わっていない宿題」である。

それに関することを、ライブレボリューションの増永さんがご自身のブログで書かれているので、興味のある方は読んで頂ければと思う。

さて、もう一度、僕のトラウマ(笑)の「科学的アプローチ」に話しを戻すと、ソフトブレーン・サービスの小松さんが、おもしろいことを書いている

ひと言で言えば、「人生は科学的ではない」ということだ。

「運」や「直感」「直観」というものが、とても大切である。

東大名誉教授の片平先生が「合理は語れない。非合理はストーリーになる」と仰っているが、要するに、合理的に考えれば、誰でも似たような結論に辿り着くので、その結果はおもしろくない(ストーリーにならない)ということだ。

自ら創業した会社で、自ら雇い入れたCEOと取締役会に「首にされた」人間が、自ら創業した会社に戻ることを求められ、その彼のお陰で再生したからこそ、アップルは「ストーリー」になるのだと思う。

起業家の端くれとして自信を持って言えることは、「運」や「直感」「直観」が無い人は、起業は出来ないし、出来たとしても「続かない」ということだ。

またまた話しは変わるが、NPO法人ETICを通じて知り合った社会起業家のひとりに山本繁さんという方がいる。

彼には、芸術家的というか、サブカルチャー的な才能を感じる。

僕のブログへのリンクを解析していて、彼のブログを発見し、初めて彼のブログを読んだ。

そのブログで僕のことを書いてくれているのだが、そこで語られている彼自身のことを読んでいて、この人は、僕と近い人であり、尚かつ、僕が45年間の歳月を費やして初めて至った境地に、30年弱の歳月で到達してしまっていることに驚いた。

間違いなく、彼は逸材である。将来が楽しみだ。

さて、彼のブログを読んでいて、僕が何故、投資育成「事業」を立ち上げようとしているか?そのことが整理できた気がしている。

「ちょっとした小さな出会いやキッカケ、自分に適した環境を手に入れるだけで人は大きく変わり、成長する。その根拠は自分の大学時代の経験にあり、いい経験をさせてもらったと思っている。そんないい経験をたくさん生み出したい」(山本さんのブログより引用)。

僕にとっては、学生時代に、H2O(当時)の赤塩さんと知り合ったこと。彼がその後、New Yorkに渡ったこともあり、1986年に初めてNew York に行ったこと。1991年に「商法改正」があったこと。そのお陰で、堀水と最初の会社を創ったこと。現在、ドリームビジョンの株主でもある佐藤裕氏の影響でマッキントッシュに魅了されたこと。前刀さん(ディズニー時代)と知り合ったこと。伊藤忠商事の庄司さんと知り合ったこと。1990年代後半にネットバブルが起きたこと。僕は英語が好きで英語が話せること。そのお陰でシリコンバレーのVCと出会ったこと。その出会いの元は、ウェブクルー創業者の渡辺さんとの出会いであること。山川さんと「ラーメン屋の角」で立ち話をしたこと。それがきっけけとなりインタースコープを創業したこと。そして、億単位の資金を調達でき、その「お金」のお陰で、とても貴重な経験をさせてもらったこと。2005年に、子供が生まれたこと。彼に背中を押されてドリームビジョンを創業する決意を固めたこと。そして、安田、泉谷、松本という素晴らしいメンバーに恵まれていること。

結論は、「科学的アプローチ」による「直観的」意志決定と「出会い」である。

そして、自分を信じる(自信)こと。

亡き父の愛情。

今朝、妻が子供の身支度をしていた時、彼の腕が脱臼した。数ヶ月前にも右腕を脱臼したことがあったが、今日は左腕を脱臼した。

彼女には申し訳ないと思っているが、僕は彼女を強く叱責した。僕は、子供のことについては、どうしても完璧を求めてしまう。

急遽、子供をクルマに乗せて、以前に脱臼した時に看てもらった整形外科に連れて行ったが、妻と子供を降ろした後、亡くなった父親が、僕たち子供のことになると、母親に、かなりうるさく言っていたことを思い出した。

当時は、その意味は分からなかったが、それほど、僕たちに愛情を注いでくれていたのだということが、子供を持った今はよく分かる。

話しは変わるが、整形外科に向かう途中、スーツを着たお母さんと小奇麗な洋服を着せられた子供の姿をたくさん見かけた。

幼稚園の入園式なのだろう。

3年前の僕は、その姿に気づきはしても、心を動かされることはなかったと思う。

人間は、当事者になってみて初めて分かることがある。

でも、そうならずして、相手のことを理解できる人もいる。

簡単なことではないが、僕も、そうなれるよう、努力をしていこうと思う。