元「新聞配達」。シリコンバレーで起業。

僕の古い友人のひとりに、シリコンバレーで「3度目の起業 ~ 1度目は日本。2度目、3度目はシリコンバレーで。~」に挑んでいる吉川欣也さんという方がいる。

彼は1967年生まれで、現在41才。1990年に就職した「バブル世代」である。

しかし、彼は、入学金以外は親の世話にならず、授業料も生活費もすべて自分で稼いで大学を卒業した、いわゆる「苦学生」だった。

大学1年生の時は「新聞配達」をして「生計」を立てていた。

ドリームビジョンが運営するオンラインメディアの「挑戦する生き方」というコーナーで、先週から、彼のインタビュー記事を掲載している。

興味のある方は是非、読んでみて欲しい。

今回の決断について。

実は先日、ドリームビジョンの今後に関する大きな決断をした。

この決断は、僕自身、かなり考え悩んで出した結論であるが、結果的に、スタッフや関係者の方々に大きな迷惑をかけることになった。

経営者としての自分の至らなさを痛感するとともに、迷惑をかけた方々には心から申し訳ないと思っている。

この場でこうした発言をすることが適切かどうかは分からないし、申し訳ないと言ったところで、迷惑をかけた方々にとっては何の解決にもならないと思うが、この場を借りてお詫びを申し上げたい。

また、本来であれば、このブログの読者の皆さんに分かるように説明する責任があると考えている。

しかし、現段階で具体的な内容を書くことは、関係者の方々に更なる迷惑をかけることにもなり兼ねないと考え、今日のところは控えさせていただきたいと思う。

多くの読者の方にとっては、何を言っているのかさっぱり分からないメッセージになってしまったことを、重ねてお詫びしたい。

ベビーカーを押すお母さん達

東京駅の八重洲口で待ち合わせをし、ある方と久しぶりにお会いした。

その帰りの山手線で、ベビーカーを押すお母さん達と同じ車両になった。

山手線や地下鉄など、東京の公共交通機関がいつ頃、どのような思想で設計され、造られたかは僕はよく理解していないが、エレベーターがない駅がまだまだ多く、ベビーカーを押しているお母さん達にとって、電車での移動はかなり大変である。

子供が出来る前は、そんなことは気にしたことがなかった。

当事者の立場になってみなければ、分からないことがある。

そういう意味では、昨日の妊婦の方のご不幸には言葉がない。

そのような事故が繰り返されないことを祈りたい。

就職活動

地下鉄車内で「マイナビ」の広告を見た。2010年4月に就職する学生の方々を対象としたものである。

もし、僕が今、大学3年生だったら、どのような就職活動をするのだろう?

社会の構造が大きく変わろうとしている今、将来の職業を考えるのは難しいと思う。

しかし、今の意思決定と行動が、10年後の自分を創るのは間違いない。

知識があろうとなかろうと、すべては「自己責任」である。

それが、学生であっても・・・。

そういう僕は、極めていい加減な就職活動しかしなかった。
そのツケを社会人になってから払っている。

でも、そのお陰?で得たものもたくさんある。

人生は「すべてを受け入れる」ことで拓けていくと思っている。

祝:東京タワー「開業50周年」。

しばらく前になるが、「東京タワー」開業50周年を記念した特集の取材を受けた。

「東京タワー」に縁のある方を取材しているらしいが、僕のブログを読んで、朝日新聞の記者の方が電話をして来られた。

「東京タワー」には、僕にとって忘れられない想い出がある。

中学の修���旅行で登った「東京タワー」で、僕は初めて「西洋人」に「英語」で話しかけた。

今から思うと顔から火が出そうな内容だったが、あれが、僕にとっては「英語」のデビューだったと思う。

高校の修学旅行で京都に行った際は「気後れせず」、道ばたで指輪やアクセサリーを売っていた外国人に話しかけていた。

人生は、何かの「きっかけ」で大きく変わることがある。

「東京タワー」は、僕に大きな「きっかけ」を与えてくれた恩人?である。

久しぶりの iTunes

今日は法政大学ビジネススクールでの授業。専任教授の田路先生が出張で、僕ひとりでの授業となった。

今日のゲストは、「顔ちぇき!」で有名なジェイマジックの宮田さん。

ジェイマジックの話しはもちろん、シリコンバレーでのビジネスの経験や今後のケイタイマーケットの話など、とても参考になる内容だった。講演後の質疑応答も盛り上がり、受講生の方々にとっても得るものが多い授業だったかと思う。

米国のケイタイマーケットは「iPhone」がホットで、フルブラウザが主流になりつつあるという。

日本は今のところNTTドコモのi-mode の寡占状態だが、iPhone かGoogleのアンドロイドかは分からないが、いずれオープンプラットフォームになれば、ケイタイマーケットの「景色」もガラッと変わるだろう。

ところで、数日前、久しぶりにiTunesで楽曲を購入した。

先日のエントリーで書いた、タクシーの中で久しぶりに聴いた「Every Little Thing」の「Time Goes By」

僕のパソコンは、Macintosh(MacBook Pro)。

iPod、iTunes、iPhone….. 景色は大きく変わった。

数年後、世界はどんな景色になっているのか?

とても楽しみである。

祝「片山晋呉」選手、永久シードを獲得!!

「片山晋呉」選手が、遂に「25勝目」を決めた。それも、日本最高峰の「日本オープン」で!!

彼は、言葉には表現できない「強運」というか、勝負師としての何かを持っていると思う。あまりに劇的な「25勝目」である。

心から祝福を送りたい。

ところで、今日は、今年何度目かの「新宿御苑」に行った。朝方は晴れていた東京だが、昼前から曇り空となり、少々肌寒い日だったにも関わらず、前回よりも大勢の人で賑わっていた。

改めて思ったが、様々な庭園があり、樹齢何十年という、これまた様々な樹木があり、手入れの行き届いた芝生が張り巡らされ、木々の向こうには西新宿の高層ビル群が見える。

すべてにおいて、スケールが大きいのだ。

その存在感とうかパノラマには、言葉には表せないものを感じる。

僕が、東京で一番好きな場所である。

さて、その新宿御苑を出た後は、「中目黒」のスーパーマーケットに向かった。

クルマに乗ると3分と経たない内に子供が眠ってしまい、いつものように、僕と彼が車中に残り、妻が一人で買い物をした。

彼女の帰りを待っている間、カーオーディオでCDを聴きながら「中目黒」駅のホームを見ていた。

「中目黒」は、僕にとっては想い出の多い場所だ。

インタースコープを創業したのも中目黒だし、創業後間もなく、自宅も中目黒に引っ越して、今の家に越すまで、丸5年間住んでいた。

目黒川沿いは、東京でもベスト10に入る桜の名所で、インタースコープのオフィスを池尻大橋に移転した後は、清々しい季節には、目黒川沿いを歩いて通っていた。

ところで、「中目黒駅」には、ある想い出がある。

おそらく、学生の頃だったと思うが、弟とふたりでお酒を飲んだ帰り道、電車の中で眠ってしまい、終着駅で着いたのが「中目黒駅」だった。ひどく、動揺したのを憶えている。

「中目黒駅」のホームは、山手通りの上にあり、ふたりでホームのベンチに座って、池尻大橋方面を見ていたことを、スーパーの駐車場で思い出していた。

「日比谷線」ということを考えると、あれは、たぶん、入谷に住む親戚のオジさんの家を訪ねた帰りだったのだと思う。

人それぞれ、何故か忘れられない記憶があると思うが、東京に住み始めて2~3年目だった僕にとって、お酒を飲んで乗り過ごしたことも、中目黒の駅も初めての経験だったが故、こうして記憶に留まっているのだろう。

「記憶」ということでは、人それぞれ、記憶に残っている人や出来事があると思う。

僕が40才を過ぎて「初めて」クルマを買った時の営業担当者の女性のことも、今でもよく憶えている。笑顔がとてもステキで、勉強熱心な方だった。

他の人はどうなのかは分からないが、僕にとっては、「中目黒」の想い出に限らず、今までの人生の様々な想い出が、僕の心の支えになっている。

酔っぱらって辿り着いた「中目黒駅」が僕の人生にとって何の意味があるのかは疑問だが、それでも、僕にとっては、忘れられない「人生の記憶」の一コマである。

こうして、このエントリーを書きながら改めて思ったが、僕にとって大切な記憶は、何百人を前にしての講演やプレゼンテーションではなく、何気ない日常の記憶である。

人生とは、何気ない日常の連続なのだろう。

スーパーでの買い物も、保育園への送り迎えも、家の掃除も、何気ない日常を大切にしよう。

追伸:片山晋呉選手とは、一度だけ、会ったことがある。背格好は僕と変わらない。人並みはずれた「努力」の為せる技なのだろう。彼の「偉業」に心から祝福を申し上げたい。