「片山晋呉」選手が、遂に「25勝目」を決めた。それも、日本最高峰の「日本オープン」で!!
彼は、言葉には表現できない「強運」というか、勝負師としての何かを持っていると思う。あまりに劇的な「25勝目」である。
心から祝福を送りたい。
ところで、今日は、今年何度目かの「新宿御苑」に行った。朝方は晴れていた東京だが、昼前から曇り空となり、少々肌寒い日だったにも関わらず、前回よりも大勢の人で賑わっていた。
改めて思ったが、様々な庭園があり、樹齢何十年という、これまた様々な樹木があり、手入れの行き届いた芝生が張り巡らされ、木々の向こうには西新宿の高層ビル群が見える。
すべてにおいて、スケールが大きいのだ。
その存在感とうかパノラマには、言葉には表せないものを感じる。
僕が、東京で一番好きな場所である。
さて、その新宿御苑を出た後は、「中目黒」のスーパーマーケットに向かった。
クルマに乗ると3分と経たない内に子供が眠ってしまい、いつものように、僕と彼が車中に残り、妻が一人で買い物をした。
彼女の帰りを待っている間、カーオーディオでCDを聴きながら「中目黒」駅のホームを見ていた。
「中目黒」は、僕にとっては想い出の多い場所だ。
インタースコープを創業したのも中目黒だし、創業後間もなく、自宅も中目黒に引っ越して、今の家に越すまで、丸5年間住んでいた。
目黒川沿いは、東京でもベスト10に入る桜の名所で、インタースコープのオフィスを池尻大橋に移転した後は、清々しい季節には、目黒川沿いを歩いて通っていた。
ところで、「中目黒駅」には、ある想い出がある。
おそらく、学生の頃だったと思うが、弟とふたりでお酒を飲んだ帰り道、電車の中で眠ってしまい、終着駅で着いたのが「中目黒駅」だった。ひどく、動揺したのを憶えている。
「中目黒駅」のホームは、山手通りの上にあり、ふたりでホームのベンチに座って、池尻大橋方面を見ていたことを、スーパーの駐車場で思い出していた。
「日比谷線」ということを考えると、あれは、たぶん、入谷に住む親戚のオジさんの家を訪ねた帰りだったのだと思う。
人それぞれ、何故か忘れられない記憶があると思うが、東京に住み始めて2~3年目だった僕にとって、お酒を飲んで乗り過ごしたことも、中目黒の駅も初めての経験だったが故、こうして記憶に留まっているのだろう。
「記憶」ということでは、人それぞれ、記憶に残っている人や出来事があると思う。
僕が40才を過ぎて「初めて」クルマを買った時の営業担当者の女性のことも、今でもよく憶えている。笑顔がとてもステキで、勉強熱心な方だった。
他の人はどうなのかは分からないが、僕にとっては、「中目黒」の想い出に限らず、今までの人生の様々な想い出が、僕の心の支えになっている。
酔っぱらって辿り着いた「中目黒駅」が僕の人生にとって何の意味があるのかは疑問だが、それでも、僕にとっては、忘れられない「人生の記憶」の一コマである。
こうして、このエントリーを書きながら改めて思ったが、僕にとって大切な記憶は、何百人を前にしての講演やプレゼンテーションではなく、何気ない日常の記憶である。
人生とは、何気ない日常の連続なのだろう。
スーパーでの買い物も、保育園への送り迎えも、家の掃除も、何気ない日常を大切にしよう。
追伸:片山晋呉選手とは、一度だけ、会ったことがある。背格好は僕と変わらない。人並みはずれた「努力」の為せる技なのだろう。彼の「偉業」に心から祝福を申し上げたい。