昨日は、妻方の両親の墓参りに行った。
8月22日は、義理の母の「命日」で、亡くなってから、今年で丸7年になる。
その年の12月22日、「3度目」の「脳梗塞」を患って、介護病院に入院していた義理の父も他界した。
2002年という年は、とても慌しい一年だった。
ところで、僕らに子供が生まれてからは、妻は、それまでは、あまり会うこともなかった自分の兄にも声をかけ、一緒に墓参りに行くようになった。
義理の兄にしてみれば、僕らの子供は「血の繋がった甥」であり、特別な存在なのだろう。
「子供」の持つ力は大きい。つくづくそう思う。
ところで、墓参りの帰りには、いつも、3人で食事に行くことにしている。
昨日は、目黒にある「八芳園」に行った。
東京に住んでいる方はご存知だと思うが、八芳園には、広い庭があり、池には錦鯉が泳いでいる。
その素晴らしい庭園のせいか、婚礼会場として人気がある。
昨日も、若いカップルが、係りの方に案内されて、庭の中を見学していた。
僕は、お仕着せの披露宴が嫌いで、わざわざ苦労をして、当時はまだまだ定着していなかったフリースタイルの披露宴を行ったが、今にして思うと、肩肘張らず、素晴らしい庭園があり、お年寄りにも喜ばれるであろう「八芳園」で行えばよかったなと、ここに来る度に思う。
先日、ドリームゲートの松谷さん、榎本さん、そして、クルミドコーヒー店主の影山さんと僕とで食事をした際に、田坂広志さんが言う、自分の一生を終える際、もう一度、同じ人生を歩みたいと思うか?という問いに、「然り」と答えたいか?という話になり、僕は、きっぱり「NO」と答えた。
あまりにも計画性に欠け、思慮深さが足りず、周囲に迷惑をかけ、しなくてもよい苦労ばかりをしてきている人生をもう一度送るというのでは、あまりにも「進歩」も「成長」もないというものである。
せめて、残りの人生は、今までの人生を顧みると同時に、本当の意味で「反省」をし、今までとは違う人生を送りたいと思っている。
周囲からどう見えるかは別として、自分から見て、進歩し、成長したと言える人生を送れれば幸せである。
さて、話を「八芳園」に戻すと、ところどころに休憩所があり、そこには、心地よい風が吹いている。
そして、庭園のほぼ中央の通路には、樹齢500年という盆栽が置いてある。
江戸時代の遥か前の室町時代から現在に至るまで、日本社会の変遷を見つめてきたことになる。
そういう意味では、都会の喧騒を逃れて、心を落ち着けたり、精神修行?を行うには、良い場所かもしれない。
建物から臨む庭園の景色。奥には、新しいマンションが見える。
池のほとりに建っている小屋。茶室のような佇まいである。
見事な錦鯉。父は錦鯉が好きで、僕が子供の頃、自宅の庭の池で、錦鯉を飼っていた。
これが「盆栽ストリート」。真ん中あたりに、樹齢500年の杉(だったと思う)の盆栽が置いてある。
左にあるのは、樹齢300年の松。
この庭園を眼下に見てのランチは、格別である。一度、行かれることをお勧めしたい。