「批判」は人を強くする。

今日の日経新聞に、僕の好きなカズのコラムが載っている。

誰だって叩かれるのは嫌だが、でも、批判を受けていたかいないかで、逆境の時に乗り越える強さが変わってくると言っている。

選手はミスを指摘され、「もうしない」と改めて意識することで成長する。

批判から学び、悔しさを思い知り、もまれてきた選手は強いと続けている。

「深い言葉」だ。とても考えさせられる。

自分で自分を褒められるか?

今月はウィークデイは毎日欠かさずブログを更新しようと密かに思っていたが、昨日はそれが出来なかった。

実は更新したのだが、ビールで少々酔った頭で書いたエントリーだったため、後で読み返してみて、削除した。

タイトルは忘れてしまったが、エントリーの内容は、マラソンの有森裕子選手が、1996年のアトランタ五輪で2度目のメダル(銅)を取った時に言った「初めて自分で自分を褒めたいと思います」という言葉を引き合いに出したものだった。

ところで、昨日は、日本中退予防研究所のアドバイザリーボードMTGなるものに参加した。

日本中退予防研究所は、その名のとおり、中退を予防するためにはどうすればよいか?その解決策を研究し、開発するための研究機関である。

因みに僕は、「高校中退」経験者である。

僕が何故、その研究所のアドバイザリーボードのメンバーになって欲しいと頼まれたのか?そう書きながら、その理由が分からない(知りたくなった)。

それはさておき、当研究所の運営母体である「NPOコトバノアトリエ」代表理事の山本さんの挨拶文を読んだ。実は、初めて読んだ。

彼の文章を読んでいて、自分の大学生の頃を思い出した。

ある時、僕は、父親に手紙を書いた。僕の人生で、それが最初で最後の父親へ書いた手紙になった。

多忙だった父は、僕が諦めた頃に返事をくれた。

その時の僕は、生きる目的が分からなかった。

仮に、とんでもないおカネを稼げたとしても、死んでまでは持って行けない。

何が絶対的に正しいのか?それすらも確かではない。

人を殺すのは良くないが、戦争とは、公の殺人だ。

そんなことを考えていた僕は、どういう人生を送ったらよいかに自分で答えを出せず、父親に手紙を書いた。

きっと山本さんも、あの時の僕と似たような心境で、湘南台のデニーズにいたのだろう。

SFC(慶応大学湘南藤沢キャンパス)を卒業した山本さんであれば、就職しようと思えば、たくさんの選択肢があっただろうに、彼は、それらの選択肢をすべて捨て去り、苦労が約束されている選択をした。

そこが僕のような中途半端な人間とは、決定的に違うところなのだろう。

ところで、大学、短大、専門学校に入学したものの「中退」してしまう人の多く(約3~5割?)は、他の学校に再入学することもなく、正規雇用の職業に就くこともなく、いわゆる「フリーター」としての人生を歩むらしい。

そこから、正規雇用の道にシフトチェンジすることは、かなり難しいのが現実であり、勿論、本質的には本人が決める(どう思うか)ことだが、客観的には、社会的弱者として固定されることになる。

では、それを未然に防ぐには、どうすればよいか?

ひとつは「水際(入口)」対策であり、もうひとつは「入学後のケア」である。

つまり、前者は「全入時代」の今日においても、大学進学に向かない人には大学進学を進めないことであり、後者は「中退の原因」となっている変数を取り除く(改善する)ことである。

僕は、山本さんからアドバイザリーボードへの就任を要請された時、日本中退予防研究所としては、どちらに重点を置くのか?と質問した。

その時の彼の回答は「後者」だったが、昨日の会議で配布された資料には、「前者」に取り組む必要性にも触れられていた。

起業家に向かない人間が起業を志しても良い結果は得られないだろうし、サラリーマンに向かない人間が組織でのエリートを目指しても上手くいかないだろうし、結局は、社会的価値観で判断するのではなく、自分自身の価値観で判断し、自分の「生き方」を決めるしかない。

つまり、一般常識に囚われず、「自分で自分を褒められる生き方」をすることが、結局は幸せな人生を送ることに繋がるし、周囲をも幸せにするように思う。

彼の挨拶文に「ところで、しばしば、なぜ君はこのような活動を続けるのか?と質問されます。その言葉の裏には、もっとスケールの大きな、もっと稼ぎの良い仕事があるだろう、という意味が隠されているように思います」という一文がある。

そして、昨日の彼のブログに「本日の日替わり、とんかつとまぐろの刺身定食、税込700円」と書いてある。

煩悩の塊である僕には極めて難しいことだが、彼には学ぶべきところがたくさんある。

アドバイザリーボードに任命していただいたことに感謝したい。

Diplomatic Smile(愛想笑い)

もう随分と前のことになるが、友人の奥さん(アメリカ人)から「イクオは結婚してから、ストレートに物事を言わなくなった」という趣旨のことを言われたことがある。

正確には、友人を介して、彼女がそう言っていたことを聞いた。

彼女は「diplomatic(外交の、如才ない、外交辞令の)」という言葉を使って、そのことを表現したらしいが、英語で「diplomatic」という単語を使った場合、「政治家的な感じで、はっきり物事を言わない、言葉を濁す」というネガティブなニュアンスがある。

その時は、その話を聞いても、それほど深くは考えなかったが、今は、彼女が何を言いたかったか、分かるような気がしている。

平たく言うと、相手との「言い争い」を避けるというか、意見をぶつかり合わせることを避けるようになったということだ。

それは、結婚とは直接の関係はないと思うが、自分の主義主張を貫くことによる精神的負担とストレスに対峙していくのに疲れたのだと思う。

そういう話があった時から、かれこれ14~15年になるが、最近は、自分の意見を言うことにより、仮に、その場がギクシャクしたとしても、そのストレスから逃げず、以前のように、自分が正しいと思うことを言うようになった。

でも、以前のようなストレートな表現ではなく、タイミングと言葉を選びながら・・・。

そうなった理由は自分でもよく分からないが、ここ一年の変化と出来事が、大きいと思う。

「信念」を持って相手にぶつかって行かない限り相手との信頼関係は築けないし、それで関係が終わってしまうのであれば、それだけの縁だったということであり、一時的な嫌な思いを避けて、その縁に固執しているよりも、新たな縁を求めた方が建設的である。

でも、そういう「生き方を貫く」には、文字通り、「信念」が必要である。

「政策」の違いを妥協して「数」を確保しても、本当にやりたいことはできないだろう。

でも、それも計算ずくで物事を進めるのであれば、矛盾するようだが、そういう選択肢もあると思う。

「信念」を貫くにしても、「計算ずくで妥協する」にしても、何事にも、メリットとデメリットがあるわけで、その生き方を貫く「覚悟」が必要である。

Made in China.

久しぶりにノートブックPCを購入した。厳密に言えば、「ネットブック」。

今まで使っていたLet’s Noteのキーボードが壊れて部分的に入力が出来なくなってしまい、修理に出すと3万円ほどかかると聞き、であれば、6万円のネットブックを買った方がよいと判断した。

しかし、このネットブック、Let’s Note と重さが変わらない。その点は期待外れだが、コンパクトなのはいい。

ちなみに、僕が購入したネットブックは「ACER」。

PCシェアで世界2位を狙おうとしている(既に、2位になったのかな?)メーカーらしく、なかなかよく出来ている。

ACERにした理由は、キーボードがフルサイズだったこと。僕のタイピングは自己流なので、フルサイズキーボードでないとミスタイプが多い。

ところで、以前の僕ならば、台湾メーカーであるACERの「Made in China」は買わなかったと思うが、ここ1~2年のPC価格の推移を見ていると、20万円も25万円も払って、日本メーカーを買う気にはなれなかった。

その金額差ほどのバリューを、日本製PCに見いだせなかったということだ。

これが、海部美知さんがご自身の著書「パラダイス鎖国」で指摘している米国人の中での「Made in Japan(日本ブランド)」のバリューが薄らいでいるということなのだろう。

そのことを実感した。

民主党は「内需、内需」と騒いでいるが、人口が減りゆく国で、そんなことを言っていてもリアリティがない。

Made in Japan(日本ブランド) に付加価値を感じてくれる東南アジアやBRICsで稼がずして、どうやって稼ぐというのか?

自分自身の消費を「客観視」することで、見えてくることはたくさんある。

パラダイス鎖国 忘れられた大国・日本 (アスキー新書 54)/海部 美知

¥760
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僕が「幼稚園」に通っていたある冬の日。

ここのところ政治問題というかヘビーな話が続いていたので、今日は久しぶりに子育てに関することを書きたいと思う。

僕らの子供も4才になり、最近はだいぶ自己主張が出て来たり、質問内容も高度になってきた。特に、言葉の使い方について頻繁に質問をするようになった。

そんな彼との接し方で、どうするのがいいか?と思うことが多々ある。

話は逸れるが、僕が幼稚園に通っていたある冬の日、園庭一面に雪が積もったことがあった。

それを渡り廊下で見ていた僕は「とてもキレイだな」と思い、その瞬間、内履きの靴のまま、園庭に飛び出し、一周して帰ってきたことがある。その時の「感動」を表現したくなり、何も考えず、瞬間的な行動だった。

ところが、僕が園庭を一周して、実は、僕の後に友人がふたりほどついてきて、つまり、3人で園庭を一周して帰ってくると、そこに担任の先生が立っていて、何の言葉もなく、いきなり「ほっぺた」を叩かれた。

体罰が愛情として理解されていた、大らかな時代だった。

最初は、いったい何のことか分からず、気が動転したが、内履きのまま、園庭を走ってきたことが問題(悪い)だということに気がつき、「そういうことか・・・」と思ったことがある。

僕は、子供ながらに「雪の上を走ったので、靴が土で汚れたわけでもないし、なぜ、キレイだと思ったことを素直に表現してはいけないんだろう?」と思い、悲しくなった。

その先生は、とても良い先生だったが、子供の立場(思考)に立って僕たちと接することができなかったわけだ。

そういうことが、僕と僕の子供の間でも、あるんだと思う。

自分の想いが理解されなかった時、彼は、大粒の涙を流し、精一杯、訴えてくる。

そんな彼を見ると、あの時の自分を思い出す。

子供の「創造性」や「感性」を育むには、大人の常識で子供と接するのではなく、彼らが「なぜ?」そのような行動をとったのか?その「理由」を理解することから始める必要があるのだろう。

でも、こちらも人間。頭では分かっていても、なかなか思うように行かない。

僕の両親が生きていれば、僕が子供の頃のことを聞き、それを参考にして自分の子供と接することができるが、さすがに、記憶のない頃のことは、どうしようもない。

でも、参考情報がない方が、子供と真摯に向き合うことができるのかもしれない。

郵政問題の本質。

日本郵政の西川社長が辞任(事実上の更迭)し、後任社長に「元大蔵省事務次官」の斎藤次郎氏が決まったという人事には、言葉が無かった。

脱「官僚支配」を錦の御旗にして、先日の選挙を闘ったのではなかったか?

人間は、期待値とその結果のバランスで、満足したり、失望したりするわけだが、「308議席」という「高い期待値」を背負った民主党は、はたして、その期待値に応えられるだろうか?

少なくとも僕は、失望しかけている。

郵政民営化の論点は、

1. 巨大な郵便貯金の存在意義:

・郵便貯金は以前、大蔵省資金運用部にすべて預託され、「財政投融資」の資金として活用されていたが、その巨額(300兆円)さ故に、民業圧迫だという点。

・2001年に上記の制度が廃止され、2007年に民営化されるまでの間は、日本郵政公社により、一般の金融市場において運用されていたが、民営化時点で全体の「約8割」が「国債の運用」に充てられており、「赤字国債の財源」にされていた点。

2. 収益構造と人員構成の歪み:

・郵政全体で「24万人」いる従業員の「88%(212,000人)」が「郵便事業」に従事しているが、その売上は2兆1000億円と、連結売上高の20%にも満たない。つまり、郵政事業の利益の大半は「郵貯事業(簡保を含む)」が稼いでいる。

・また、インターネットの出現により、eメールやウェブサービスの使用率が高くなり、また、規制緩和による「メール便」の出現等により、いわゆる「郵便」ニーズは激減してきており、このままでは、いずれ事業として立ちいかなくなる点。

・どう考えても「赤字」にならざるを得ない地域を含めて「全国均一サービス」を維持するために、「信書(僕には、この定義もよくわからない)」に関して独占を認め、その利益で赤字を補てんしてきているらしいが、それも上記の理由により、時間の問題で機能しなくなるだろうと思われる点。

だと、僕は理解している。

しかし、この「構造的問題」を、有権者の何割が正確に理解しているだろうか?

そういう僕も、今回の郵政問題を受けて、ネットで色々と検索して勉強し、上記の理解に至っている。

と考えると、僕らの母親が、この問題を正確に理解しているとは思えない。いや、100%あり得ない。

有権者に、政策の是非を判断する知識がない(不十分)なことが、悩ましい点である。

ところで、僕の記憶では、小泉さんは、いわゆる「郵政選挙」の時に、「公務員の数を減らすためには、24万人もいる郵政事業の民営化が最もインパクトがある」と、街頭演説で話していたが、それは、問題の本質を街角の人々にきちんと伝えることの難しさを理解しており、であれば、「数」を伝えた方がわかりやすいだろうと考えてのことだったのではないかと思う。

そして、小泉さんの持つ稀代のエンターテイナー性が、国民の支持を取り付けたということだ。

いずれにしても、「構造改革=格差社会」という短絡的な主張で物事を片付けようというのは、どう考えても問題である。

尚、郵政問題を詳しく理解したい方は、こちらをご覧いただければと思う。

http://agora-web.jp/archives/769808.html
http://news.livedoor.com/article/detail/4407347/

民主主義の未来。

税収つまり国の収入=企業でいう売上を超える国債を発行するとか、郵政民営化を逆戻りさせ、実質的に国の支配下に戻すとか、公的資金を注ぎ込んで、JALを再生させるとか、どうにも解せない事が進められようとしている。

日本郵政の西川社長が辞任するというが、その理由もよく分らない。

民主党は何をしようとしているのか?

その先のビジョンが見えない。

ところで、マネックスの松本さんが、ご自身のブログでおもしろい試みをされている。

松本さんも、なんとか政界に一石を投じたいということだろう。僕も投票した。

僕がブログで何を書こうが、何も変わらないだろうと思いつつ、こうして、こういうテーマでブログを書いているのは、結局のところ、自分自身が生まれ育った「日本」という国が好きだし、自分たちの子供の世代においても、住みやすく、今日よりも明日は良くなるという希望が持て、それがモチベーションとなって努力をしていける社会であって欲しいと思うからだろう。

自己満足に過ぎないかもしれないが、幾ばくかでも、民意の形成に貢献できればと思っている。