「負け組み」の栄光。

以前にも一度、僕のブログで紹介したことがあるが、ボストンコンサルティンググループ(BCG)からネットイヤーグループに転じた後、独立され、現在は「百年コンサルティング」というコンサルティング会社を経営されている鈴木貴博さんという方がいる。

彼がネットイヤーにいらした頃、1~2度だけ、お会いしたことがある。

その鈴木さんが、とても勉強になる、思慮深く、示唆に富んだコラムを書かれている。

そのコラムのことは、辻さんという方のブログで知った。

さて、「負け組みの栄光」というタイトルは、鈴木さんのコラムの最終回のタイトルである。

彼のコラムを読んでいて、僕は、若者に対する彼の愛情のようなものを感じた。

彼の人となりを理解するほどまでは接点がなかったので、実際のところ、彼がどのような人物なのかは存じ上げないが、僕が彼と会った時に感じた、あの物凄いオーラというか、この人は只者ではないという雰囲気や、東京大学工学部物理工学科卒で元BCGという経歴から想像するものとは異なる、情に厚い人のような気もする。

それはさておき、今の大学生や20代の人たちは、本人達の能力や努力とは異なる要因により、職業人としての「成長の機会」を得ることが難しくなっているのだとしたら、僕もそのことに対する通り一遍の知識は持ち合わせているが、それは由々しき問題である。

今こうしてこのエントリーを書きながら思ったが、僕がなぜ、今の若者の「就業機会=成長の機会」が限られてきていることに問題意識を感じるのかというと、それは、子供を授かったことの影響が大きいようにも思う。

鈴木さんが仰るとおり、僕自身も、自分のこの先の人生のことで精一杯だが、少なくとも、自分達の子供の将来に関しては、親としての責任はもちろんのこと、自分にできることはしてあげたいと思う。

そして、自分達の子供だけでなく、彼らの世代が豊かな人生を送れるよう、はなはだ微力ながら、自分にできることをしていきたいと思っている。

ところで、そのことに絡んだ話として、ソフトブレーン創業者の宋文洲さんの今朝のメルマガに、なるほどと思わされることが書いてあった。

<宋さんのメルマガより抜粋>
以前よりかなり改善してきたと思いますが、それでも日本企業の経営者の平均年齢の高さは格別です。60過ぎてやっと社長の椅子に辿り付いたのですから、社長退任後、当然数年会長をやります。その後は名誉会長、顧問、相談役などを歴任するので80過ぎても取締役会に留まる事例は枚挙にいとまがないのです。(ここまで)

鈴木さんのコラムでいう「チーズ」で言えば、充分に(欧米の経営者と比較すると話は別だが)チーズを食してきて、その後の生活にも困らない財力もあるのであれば、若い人達に「席とチーズ」を譲るという選択肢もあるように思う。

これは、ある方から聞いた話なので、僕が自分で調査して確認したことではないが、上場企業の社長を経験されたような方を顧問として迎えるとなると、一般社員と同じフロアというわけにもいかず、また、電車で通ってくださいというわけにもいかず、また、秘書もつけて欲しいという話にもなり、それらの経費を含めると年間約3,000万円にもなるという。

僕は以前から、日本社会は「リスクとリターン」が見合わない社会だと言ってきているが、そういう意味で言えば、一部上場企業(ここでいう一部上場企業とは、トヨタやホンダ、ソニー、新日鉄、三菱商事等の大企業のこと)の経営者の報酬は、その責任とリスクと比較した場合、安過ぎると思う。仮に、役員報酬が1億円だったとしても、所得税、住民税等を引かれた後の手取りは5,000万円程度だろうし、5,000万円だとすれば、手取り2,500万円ぐらいだろう。

但し、今までの日本社会は、株主から解任されることや株主代表訴訟等のリスクは無いに等しかったことを考えると、今までは妥当だったとも言える。

僕は、官僚の天下りの原因のひとつとして、能力と働きに見合った報酬になっていないということがあるようにも思う。そもそも、公務員とは社会の公僕だと言ってしまえばそれまでだが、人間の心理としては、そうもいかないだろう。

何を言いたいかというと、責任と権限を明確にし、それに見合う充分な報酬を支払うことで、任期を全うしたら、スパッと身を退いていただき、若い世代に「席とチーズ」を提供できるシステムにした方がよいのではないか?ということである。

話を鈴木さんのコラムに戻すと、彼の文章を読んでいて思うのは「教養」が豊かだということである。

毎回のコラムを書くにあたって、多少は色々と調べたりもするだろうが、人類の進化の過程を、コラムのために調べたとは思えない。

つまり、教養というものは、それが直接、何かの役に立つということではないかもしれないが、教養という「引き出し」が多いことにより、物事に対する「見方」が「複眼的・重層的」になり、それが、多くの示唆や知恵を導き出すことに繋がるということだと思う。

さて、論点が散漫なエントリーになったが、読んで下さった方にとって、少しでも参考になったようであれば幸いである。