良いお年を!!

30年ぶりの再会は、感慨深いものがあった。旧友は元気そうだった。

さて、その再会で勢いよく杯を空けた(とは言っても、生ビール2杯と梅酒1杯)のは良かったが、ハードだった12月の疲れが出たのか、大晦日の今日は終日、とんでもない二日酔いだった。

どうにも吐き気が治まらず、昼前に病院に行った。

本当は点滴を打って欲しかったのだが、季節がらインフルエンザの患者が多いらしく、診察室がひとつしかない小さな病院では対応できないとのことで、薬をもらってきた。

実は、その病院、昨夜の居酒屋と同じ通りにあり、尚且つ、高校を卒業する春、僕が人生で初めてバイトをした映画館のすぐ近くだった。

病院を出てタクシーに乗る途中、またしても吐き気が襲ってきて、道の片隅でもどしてしまった。東京よりも4~5度は寒い郡山の路上は、寒さが身に凍みて、何とも情けない想いがした。

実家に戻り、吐き気止めを飲んで夕方まで眠っても、まだ吐き気は治まっていなかったが、紅白歌合戦を見ながら、恐る恐る年越し蕎麦を食べたところ、少しずつ元気になった。

まあ、考え方によっては、色々な意味で大変な一年だった今年を総決算し、悪いことをすべて吐き出すという意味では、良かったのかもしれない。

さて、今年も残すところ、あと2時間半。

政治も経済も不透明感が極まる日本社会ですが、僕のブログを読んで下さっている皆さんにとっても、色々なことがあった2009年だったことと思います。

来る2010年が、皆さんにとって実り多い、充実した一年になることを、心からお祈りし、今年最後のエントリーとしたいと思います。

新年も宜しくお願い申し上げます。

Happy New Year !!

シリアルアントレプレナー  「3度目の起業」と「初めての子育て」
★目の前を通り過ぎたクルマのヘッドライトでよく分からないかもしれないが、郡山駅前のイルミネーション。

シリアルアントレプレナー  「3度目の起業」と「初めての子育て」
★旧友と一緒に行った居酒屋に鎮座する天狗。良い年になりますように。

シリアルアントレプレナー  「3度目の起業」と「初めての子育て」
★風情ある店内。チェーン店にはない良さがある。

I wish you to have a happy new year !!!

30年ぶりの再会。

午前中の新幹線に乗り、昼過ぎに実家に到着。今年は28日が月曜日だったせいか、新幹線は今日も帰省客で混んでいた。

ところで今日はこのあと、中学時代の同級生と30年ぶりに会うことになっている。

彼が僕のことをネット(GREE)上で発見して連絡をくれたのがきっかけである。

彼は不運が重なり、ここ数年は厳しい人生を送っていたらしいが、僕との再会がきっかけで、再スタートを切ることができたという。とても嬉しいことだ。

でも、今年7月(事実上は昨年末で撤退していた)に人材紹介業から撤退し、今後の展開を模索していた僕にとって、彼を励ますことで自分自身が励まされる思いがし、「勇気と自信」をもらったのは、むしろ、僕の方だった。

40代半ばとなった僕たちは、2009年12月30日の今日、いったいどんな会話を交わすのだろう?

今年の締め括りに相応しい、とても楽しみな酒席である。

ふたりにとって良い年が来るよう、威勢よく杯を空けよう。

予期せぬ成功。

社長人事で散々揉めた「日本郵政株式会社」の「郵便事業」は年12ヵ月の内11ヶ月は「赤字」で、「年賀状の季節(12月 or 1月)のみ「黒字」となり、その黒字で通期を何とか黒字に保っている。

でも、ますますネット化が進むのは不可逆的であり、時間の問題で「通期での赤字化」は避けられないだろう。

民営化を死守しない限り、またしても、僕(国民)の血税が費やされる。

いったい何のために税金を払っているのか?

さて、郵便事業の黒字を一身に支えている「年賀状」であるが、ラベル出力を依頼した会社のミスがあり(これがかなり酷い)、かなりの枚数の宛名を手書きで書くことになった。

でも、考え方によっては、そうやって手で書くことによって、その方の顔を思い出すことになり、本来の年賀状の意味があるかもしれない。

ところで、今日は、ある投資会社に転職をした旧友と久しぶりに会い、ランチを食べながら、来年のビジネスチャンスについて議論をした。

事実上、彼とのランチョンMTGが、今年の仕事納めになった。

因みに、彼とは、かれこれ15年以上の付き合いになるが、今まで一緒に仕事をしたことはない。

でも、最近の僕の周囲の出来事を考えると、何となく、来年は、その彼とビジネスで絡みそうな予感がする。

ドラッガーの言う「予期せぬ成功」を期待?したい。

私をスキーに連れてって。

2009年最後の週末、僕たち家族は友人夫妻と一緒に富士山麓を訪れた。素晴らしい晴天に恵まれ、とても穏やかな二日間だった。

26(土)は、ある「ログハウス」に体験宿泊し、翌日は「Fujiten Snow Resort」なるスキー場で、僕たちの子供を「雪車(そり)」で遊ばせた。

Twitter でつぶやいたが、スキー場という場所を最後に訪れたのは、おそらく、20年ぐらい前のことだと思う。

当時の日本社会は、今日のエントリーのタイトルにしたとおり、「原田知世」主演(ホイチョイ・プロダクションズ製作)の「私をスキーに連れてって」という映画が大流行し、ユーミンが人気絶好調で、バブル景気を謳歌していた。

あれから20年も経つにも関わらず、僕にとって80年代は、決して「昔話」ではなく、ついこの間のような気がするのは、「80年代=僕の20代」という関係性からなのかもしれない(かな~り昭和な感覚で、いわゆるアラフォー世代の若かりし日々である)。

90年代は、僕にとっては「起業の時代」でもあり、ある意味、とてもリアルに当時の苦労を憶えているが、学生時代と20代の会社勤めの時代は、自分の足で立っておらず、ふわふわしていたのだろう。

ところで、周囲一面の「雪景色」も「スキー場」も初体験だった我が子は「雪車滑り」が気に入ったらしく、ご満悦で遊んでいた。

同じ年頃の子供と較べると運動神経の発達がやや劣る彼は、最初の「滑降」では期せずして成功したものの、二度目の滑降では途中で横転してしまい泣きべそを掻いていたが、それに懲りることなく、「雪車滑り」を楽しんでくれたことは、「父親」として、とても嬉しいことだった。

一緒に行った友人夫妻と妻が雪車滑りを楽しんでいるのを横目に、僕は我が子の「引率係」で、彼の雪車を追いかけてゲレンデを何度も駆け下りた。

ところで、来年から彼は、新しい保育園に行くことになった。今日は、彼が「6ヶ月」の時から4年に渡り通い続けてきた保育園の最後の日だ。

そして、僕たち夫婦にとってこの1年は、人生の大きな転機となった。ひと言で表すなら、大変な時期だった。

色々な意味で「この10年間(ミレニアムに湧いた最初の10年)」の総決算を行い、新たな気持ちで「2010年」を迎えたい。

シリアルアントレプレナー  「3度目の起業」と「初めての子育て」
★Fujiten Snow Resort のゲレンデ。僕が時々プレーするゴルフ場からクルマで20分ぐらいの距離にある。今まで知らなかったが、20~30年前からあるらしい。とにかく「富士山」が目の前に見えて「絶景」である。都心から約2時間で来れる、とても便利なスキー場だ。また行こうと思う。

シリアルアントレプレナー  「3度目の起業」と「初めての子育て」
★体験宿泊したログハウスから「富士山」を臨む。眼下には「山中湖」の湖面が広がり、とても素晴らしいロケーションである。

シリアルアントレプレナー  「3度目の起業」と「初めての子育て」
★ログハウスに向かう途中で立ち寄った「山中湖」の白鳥。こんな至近距離で白鳥を見たのは初めてだった。思っていたよりも、獰猛(野性的)である。

「高齢者」が政治を動かす。

クリスマスの今日は、都内の某ホテルで開催された民主党のある国会議員の忘年会(囲む会)に参加させていただいた。

このような会にお邪魔させていただいたのは初めてなので以前との比較はできないが、民主党が政権を取った年ということもあってか、会場は賑わっていた。

実は、その方とは、彼が東京の区議会議員だった時に知り合っていたが、ある時、僕が仕事をお願いしているデザイナーの方が「幼馴染み」ですと言って僕のオフィスに連れて来られて再会した。

そのような経緯があり、また、同年代ということもあり、それ以来、ざっくばらんな付き合いをさせていただいている。

ところで、その方は将来を有望視されているらしく(清廉潔白な方である)、小沢幹事長が600人を超える民主党議員を引き連れて中国を訪問した際に、胡 錦濤 国家主席の「日本の将来を担う有望な若手議員は誰か?」との質問に答えて紹介された「5人」の中のひとりらしい。

さて、その方は「今日は忘年会ですし、マスコミも来ておりませんので、個人的な見解を申し上げたいと思います」と前置きした上で、沖縄の普天間米軍基地、高速道路等の諸問題に関し、率直な考えを述べていた。

彼の主張は概ね、賛同できるものだった。

ところで、僕は今日の忘年会に参加させていただき、あることに「失望」した。

それは「政治」の世界では仕方のないことであり、当然のことなのかもしれないが、参加者の多くが「高齢者」と思しき方々(所謂、お歴々の方々)で、46歳の僕でさえ、若い部類に入る感じだった。

ドラッガーの言う「高齢者が政治を動かす」の現場を見た思いがした。

たしかに、彼が政治家として仕事ができている背景には、そのような方々のご指導やご鞭撻があるのは事実だと思うが、僕は、彼のような政治家こそ、こういう席には、20代30代の人達を「リーズナブル」な料金で招いて欲しいと思う。

そして、政治の現場について、彼らからの質問を受け付け討論をする。そんな忘年会にすれば、若者の政治に対する関心は必ず、向上すると思う。

話は変わるが、今日の忘年会にマスコミは来ていなかったとして、はたして、ブログを書いている人は、何%いるだろう?

そういうところにも、この国の政治の「膿み」があるように思う。

僕は、彼にはとても期待しているので、今日の感想を手紙に認めて送ろうと思う。

彼の選挙区の人間ではないが、この国の有権者のひとりとして。

Merry Christmas !!!

昨日は、保育園繋がりのお友達とそのご両親を我が家にお招きし、一足早いクリスマスパーティを開催した。

いらしてくれたのは、大人9人、子供7人の計16人(5家族)。我が家のリビングは、保育園状態になっていた。

大人達は、お互いの夫婦生活や子育て談義に花を咲かせ、子供たちは、部屋中いっぱいにオモチャを出して、時々、けんかをしながら、元気いっぱいに遊んでいた。

ところで、学生時代から20代の頃は、当時がバブル経済だったこともあり、今夜や明日は街中が大変な賑わいを見せており、シティホテルは満室だったことが、なんとも滑稽に思えるのは歳のせいだろうか?

今日の僕は、18時前には帰宅し、親子3人で夕食を食べた。

ところで最近、折りに振れて思うことだが、僕がネットビジネスに邁進している頃だったら、どう考えても、昨日のような一日は送れなかったと思う。

とても、そういう精神的な余裕は無かった・・・。

経済的に安定したサラリーマン生活を送っていれば話は別だが、僕のようなボラティリティの高い人生を送っている人間は、仕事に邁進する時期と、子育てを楽しむ時期を、分けざるを得なかったのかもしれない。

昨日の6時間半は、とても楽しい時間だった。

そのような出会いに感謝したい。

「干し柿」と「こびとのくつ」。

「師走」とは「師=先生」も「走る」という意味で、そのぐらい忙しいということを表現しているらしい。

ところで、先月まで顧問契約をしていた「こびとのくつ」という一風変わったベンチャー企業の「女性」社長から「干し柿」を頂いた。

なんと、彼女のお母様のお手製らしいが、これがかなりイケていて、僕の「ワインのお伴」になっている(子供の頃は、僕の祖父母が作っていた)。

ところで、「こびとのくつ」という会社のビジネスは、「レタッチ」という、写真の「補正・修正」である。

概念としては知っていたが、実際にどのように仕事を進めて行くのか?、その業界がどうなっているのか?、その実態はまったく知らなかったが、顧問として、彼女達の問題意識を理解し、あるプロジェクトを一緒に進めいくプロセスを通じて、様々なことを学ばせていただいた。

I.T.化の進展に伴い、カメラマンが撮った写真をそのまま入稿することは稀で、殆どのケースで何らかの「レタッチ」処理が施されているらしく、広告の種類や媒体にもよるのだろうが、最近では、レタッチを専門とする会社ではなく、印刷会社が「レタッチ処理」を担当しているケースがかなりあるという。

そんな中、「こびとのくつ」は独自のポジションを構築しており、有名企業からの指名の仕事が入って来る。

非常に「玄人肌」の会社で、インタースコープ時代を思い出したりした。

しかし、どんな世の中にも「技術革新」や「構造改革」は付き物であり、また、昨秋のリーマンショックに端を発する世界的な経済の停滞はこの業界にも如実に表れており、彼女達も自らのイノベーションに取り組んでいる。

そんな彼女達との仕事を通じて再認識させられたことは、何事も「継続は力なり」であり「好きこそものの上手なれ」ということだ。

「儲かる」から始めた仕事は、儲からなくなったら「さようなら」だが、「信念」がある仕事は、逆境にこそ「ブレイクスルー」を見出そうとする。

顧問という立場ではなくなったが、これからも彼女達の挑戦を応援していきたい。