「有楽町西武の閉店」と「失われた20年」。

今日は久しぶりに僕が保育園に子供を迎えに行き、ふたりで夕飯を食べ、お風呂に入った。

今もまだ時々泣いたりはするものの、新しい保育園にも慣れてきたようで、今日は僕が保育園に姿を現しても、すぐには帰ろうとはせず、そのまま少し遊んでいた。

帰宅後も、ひさしぶりの父子ふたり水入らずの時間が嬉しかったのか、とても機嫌良くしていた。

ところで、子供を寝かしつけながら自分も寝てしまい(子育て中のお母さん達は、この感覚がよくお分かりかと思います)、先程、起きて来て、溜まりに溜まったTL(Twitter Timeline)に目を通していたところ、「有楽町西武(百貨店)」が「年内に閉店」するというニュースを知った。

「時代の流れを感じます」というTLが多かったが、僕は「百貨店」という「業態」は既にその役割を終えて久しい(流通業の中心には残れない)と思っており、「そう言えば、そういうお店もあったな・・・」というのが率直な感想である。もう何年も足を運んだ記憶がない。

日本社会は、そろそろ「失われた20年」になろうとしているが、経済学者でもない僕が、付け焼き刃の知識(勉強)で、その構造的な解説を試みると・・・。

日本は「輸出」中心の経済構造という観念が持たれているが、それは大きな誤解であり、GDPに占める輸出比率は「約15~16%」であり、OECD諸国ではアメリカに次いで低い(先進国では、たしかドイツが25%程度と高かったように記憶している)。

但し、労働生産性という観点では、製造業が「今ままで」は日本経済を引っ張ってきた(数字は確認していないが、おそらく黒字(利益)という観点でもそうだろう)。

2000年代の日本の「潜在成長率(僕の理解では理論的な経済成長キャパシティ)は約1.2~1.3%だが、その約半分が「純輸出(経常黒字)」で占められていると推定されており、90年代にはGDPの10%程度だった輸出比率が約5~6%増大したことになる。

要するに「内需」だけでは食べていけないところを「外需」で補填してきたわけだが、その「外需」の大半を占めていた「アメリカ経済」がクラッシュしたことにより、日本という国の「売上」が激減したのである。その最たる被害者?が、トヨタということだ。

これの意味することは、日本という国の「顧客ポートフォリオ」を変える必要があり、また、「老朽化した産業構造」を変えない限り、日本のGDPは長期的に「停滞」するということである。

つまり、アメリカという「お客さん」は今までのようには当てにできないので、「他のお客さん(=新規顧客)」を開拓する必要があり、それが「アジア」なり「BRICs」だと言われているわけだ。

尚、民主党政権(鳩山首相?)は、経済的な結びつきだけでなく、政治的同盟(日米安保)の問題までも一緒に考えているようなのが、恐ろしく怖い。

では、「潜在成長率(日本経済の成長キャパシティ)」はどうやったら伸ばせるか?

そのためには日本のGDP(2009年:名目GDP約480兆円)の「構造」を紐解く必要があるが、実は「約70%」が「サービス業」で構成されている。

話を「潜在成長率(日本経済の成長キャパシティ)」に戻すと、その構成要素は「資本投入」「労働投入」と「生産性」に分解できる。

その中でも重要なのは「生産性(=イノベーション)」であり、それは「資本効率(おカネの使い方の効率)」と「労働生産性」で構成されており、ここが由々しき問題なのだが、日本の「労働生産性」はOECD諸国で20位、G7ではなんと「最下位」だそうだ。

ちなみに日本の「労働生産性の上昇率」を80年代、90年代、00年代で見ると、「日本のお家芸?」でもある「製造業」のそれは4%前後で大きな変化はないが、「サービス業」で見ると約3.5%、2%、1%と低下してきており、「労働生産性の低いサービス業」がGDPの「70%」を占めている。

部門別の詳しい実証研究によると、90年代は産業間の「資金・労働力の移動」も低下しており、公共サービス分野では、2000年代の労働生産性の上昇率は「マイナス」になっているという。

つまり、「衰退産業」から「成長産業」への「資本の移動」が滞り、「カネまみれ」の「自民党政権(実は、民主党も同じか?)」による「土建業へのバラマキ政策」により、非効率な「建設業の就労人口」が増えたことが、日本の潜在成長率を大きく低下させたと言える。

因みに、北海道のGDPの「約70%」は「公共工事(事業)」である。

要するに、「(産業構造的な問題により)沈み行く船」にいつまでも乗っている(政治家は「票田」を守りたいが故に、はいつまでも乗せておこうとする。これが諸悪の根源である。)のではなく、自分にとっての「ブルーオーシャン」を見つけて「新しい船」に乗り換える「勇気」が必要だということだ。

また、そのためにも、貴重な「税金(僕の税金も含む)」と「時間」の無駄遣いをして、国際的に見て「生産性の低い日本の金融業」を公的資金と規制で支え続けている(今の金融制度では、必要な産業に資金が回らない)ことも止めて欲しい。

尚、上記の内容を詳しく理解されたい方は、「希望を捨てる勇気(池田信夫)by ダイヤモンド社」を読まれることをお勧めする。

また、上記のような傾向は「I.T.産業」にも顕著であり、NTTという巨大企業を守ることにより、ピュアな民間企業による技術革新を阻害してきたことが、インターネット関連産業の殆どをアメリカに牛耳られる結果となったと見るのは僕だけだろうか?

日本の「ケータイ技術」は世界一であり、「ケータイ」ビジネスは日本が世界をリードするなどと言われた時もあったが、蓋を開けてみれば結局、これもまたしてもアメリカ(Apple, Google)に持って行かれることになった。

さて、だいぶ前置きが長くなったが、僕が言いたいことはとどのつまり、有楽町西武は「もっと早くに閉鎖すべきだった」ということである。

世間を騒がせている「JAL」に関しても、同じことが言える。

貴重な「時間とおカネ」を浪費してきただけである。

尚かつ、歴代の「天下り経営陣(経営していたと言えるかは疑問)」が「風(風邪?)」ならぬ「巨額の報酬」と共に去って行ったことには、絶句である。

話を「時間」に戻すと、時間が経てば経つほど、例外を除き、「沈み行く船からの脱出(=転職)」は不利になる。

海部美知さんの「パラダイス鎖国(アスキー新書)」でも指摘されていることだが、この「転職」なり産業間の「労働力の移動」がスムーズに進まない背景には、社会主義としか思えないほどの「解雇規制(解雇をしない代りに、新卒採用を抑制し、派遣社員を調整弁として雇用する)」がある。

そして、この過剰な「解雇規制」が、城繁幸氏に「若者はなぜ3年で辞めるのか?」という著書を書かせた原因である。

少々長く且つテクニカルになってしまった「深夜の長いつぶやき」は、この辺で終了。

では、また明日。オヤスミナサイ。