先程のエントリーを書いた後、日本テレビの「ZERO」で岡田監督のインタビューを見た。
「右肩上がりでは強くならない。レンガを高く積み上げれば、必ずどこかで崩れる。レンガは、どこかで横に積まなければいけない時がある」。
深い言葉である。
勇気を頂いた。
先程のエントリーを書いた後、日本テレビの「ZERO」で岡田監督のインタビューを見た。
「右肩上がりでは強くならない。レンガを高く積み上げれば、必ずどこかで崩れる。レンガは、どこかで横に積まなければいけない時がある」。
深い言葉である。
勇気を頂いた。
日本代表チーム惜敗の余韻が漂った6月最終日。2010年の半分が終った。
僕にとっては、47歳の第一四半期が終了した。
1~3月は、インタースコープ創業10周年を記念して「一夜限りの再結成(大宴会)」を行ったり、何だかんだと講演が重なったりとイベントが多く、慌ただしい3ヶ月だった。
4月以降は一瞬、スローダウンした時期があったが、法政ビジネススクールでの仕事が始まったり、まだまだ手探りながらも「日本におけるスタートアップコミュニティを創る」ことを目標とした活動をスタートしたりと、日々の仕事の中身と生活のリズムが変わった。
僕の人生でもう一度、勝負を仕掛けるために、50歳までに、その枠組みを創りたいと思っている。
そのために、あと2年9ヶ月(数字にすると「人生は短い」ことを再認識させられる)を「四半期」単位で「目標と計画」を立て、有意義な時間にしたいと思う。
・「ターゲット」は誰か?(誰のどんな課題を解決するのか?)
・「収益」は何から得るのか?(どんなサービスを提供するのか?)
・僕の取り組みの「成果」は何か?(その成果はどんな指標で測るのか?)
・「成果」を上げるために「必要なリソース」は何か?
・「成果」に繋がる「僕の強み」は何か?
・僕にとっての「競合」はどんな組織あるいは人間か?
それらをひとつひとつ、具体的に落とし込んでいこうと思っている。
ところで、話をワールドカップに戻すと、パラグアイとのPK戦の際、駒野選手が蹴る時に、TBSの解説者は、駒野選手が外すんじゃないか?と心配していると受け取れる意味の発言をした。
僕は許せなかった。
そして、そのことをTwitterに書いたら、何人かの人から「同感」「激しく同意」といったコメントを頂いた。
ゴルフはイメージ(トレーニング)が大切であり、メンタルが極めて重要である。
それは、サッカーでも同じだろう。
肝心な時に悪いイメージを持ってはいけないし、仮に持ってしまったとしても、それを「口に出してはいけない」。
「予言は自己実現する」。
今日は、ひさしぶりにゴルフの話。
以前は、自分のゴルフのどこが悪くて、どこが良いのか?を具体的に把握できていなかったが、最近は、その日のスコアの理由が分かるようになった。
ポイントは、どれが「防ぐことができたミスショット」で、どれは「自分の実力どおりのショット」なのか?ということ。
そして、「防ぐことができたミスショット」は殆どの場合、その原因は「精神面」にあるということ。
因みに、直近5ラウンドの平均スコアは、98.4。
良い順に、93, 95, 98, 99, 107。
直近ワーストの107は、Klab主催の「男女混合コンペ」。いいところを見せようとして、「痛い想い」をした(笑)。
何事も「平常心」と「自然体」が大切。
尚、ミスという意味では、ゴルフ以外にも通ずるものがある。
「あのメールは、ちょっと感情的な要素が入ってしまったな・・・」とか、「あの話はしない方がよかったな・・・」とか、してしまった後で、悔やむことがある。
「その原因は何か?」と考えると、僕の場合、「失敗したくない」「どうしても、それを手にしたい」「自分をアピールしたい」等、「何かを失う and/or 得損なう」ことを避けたいという思いか、「自分は正しい」という、ある種の「被害者意識」である。
要するに、自分の「エゴ」を捨てられないから「ミス」をする。
必要なのは、「相田みつを」の言う「無手負け流」である。
「男が仕事をする時には、常に捨て身でなければだめである。捨て身とは、何も欲しがらぬことである。損得、勝ち負けという人間の<物差し>を捨てることである」。
「相田みつを」風に言うと、「分かってはいるけれど、それができない人間のわたし」。
でも、それが分かっただけ、進歩したと思っている(苦笑)。
曇り空の日曜日。
4歳児の我が子は、僕と思う存分「戦いごっこ」をしたり「かけっこ」をしたりできる、地面が「芝生」で覆われている「広い」場所がお気に入りで、今日は「新宿御苑」を指定してきた。
ということで、天気はいまひとつだったが、久しぶりに「新宿御苑」に出掛けた。
曇天の新宿御苑は、さすがに人の姿はまばらだったが、以前に来た時と較べると、芝生が伸びて青々としているのはよく分かった。
ひととおり遊んでお昼を食べて、公園を後にしようと出口に近づくと、売店のある休憩所で、外国人(東洋人)の小学生が騒いでおり、辺りを散らかしている光景に遭遇した。
売店のオバさんが、集団の中のひとりの女の子に注意をしていたが、その側から、他の男の子が水を入れた風船を「バシャッ!」と通路に打ちつけて辺りを水浸しにしたので、日本語は通じないのは承知の上で、僕は声を大きくして注意をした。
さすがに、僕に叱られたことは分かるわけで、下を向いて苦笑いをしていたが、周囲にその子達の親の姿は見えず、自分たちだけで遊びに来たのだろうか?
今日はたまたま外国人の子供たちだったが、これと同じことを異国の地で日本人の子供たちが行えば、同じことである(大人も同じである)。
話は変わるが、昨日のエントリーで、法政イノマネでの「プロジェクト指導担当」のことを書いたが、少し補足しておきたいと思う。
30代の学生の方々であれば、経験の差という意味で、僕が指導できることがあるかもしれないが、40代の方々に対しては、同年代の僕が「指導」するなどというのは、甚だ烏滸がましい。
自分自身の経験も含めて実感しているが、すべての答えは「自分の中にある」。
僕にできることは、彼・彼女たちの中にある「何か」に気づくための「きっかけ」を提供することであり、言ってみれば「ガイド」である。
また、彼らと正面から向き合い話をすることは、自分への「問いかけ」にもなり、僕自身のこれからの人生を考える機会にもなっている。
とてもありがたい機会を頂いていることに感謝をしたい。
ところで、話をまた今日のことに戻すと、新宿御苑の後、僕たち家族は、渋谷区営の「プール」に出掛けた。
今日は「浮き輪」を持ち込んで良い日だったので、「浮き輪」をつけた彼を持ち上げて「バシャッ!」と放り投げて、遊ばせていた。
実は、我が子は決してプール(水)が好きではなく、小学校に入ってからのことを妻が心配して、今から少しずつ、プールに慣らしておこう、というのが狙いである。
但し、親にできることは「水」を向けることであり、最後は「本人の意識」次第である。
そのことを常に忘れずに、可能な限りの「機会」を提供したいと思うし、それが「教育」だと思っている。
ところで、プールから出てくると「青空」が広がっていた。
「梅雨明け」が待ち遠しい。
今日は先週に引き続き、渋谷区の公開授業参観に出掛けた。
今日の小学校(1年生)は、先週の小学校とは打って変わって、国語も算数も、かなり高度な授業をしていた。
国語では、昆虫の「保護色」を説明し、それを児童に読ませて理解を深めた後、児童に「質問文」を作らせて、他の児童に答えさせる、という授業をしていた。
例えば、こんな感じである。「私は誰でしょう。羽の色が茶色です」。
算数は、足し算、引き算の基本的理解が済んでいたようで、最初に先生が説明をした後は、問題用紙を配り、児童に回答させ、出来た順に、児童が先生のところに問題用紙を持っていく、という授業を行っていた。
但し、驚いたのは、1時間目の途中で、先生に断りもせず席を立ち、トイレに行く子供が何人もいたことだ。
聞くところによると、色々な家庭の子供がいて、中には(親の問題だと思うが)朝食を食べてこない子供やトイレを済ませて来ない子供がいるらしく、仕方がないとのこと。
でも、である。僕が小学校1年生の頃、そんなことは無かった。
先週の小学校は「規律」はとてもしっかりしていたが(授業中にトイレに立つ子はもちろん皆無)、授業のレベルはあまりに低次元であり、今週の小学校は「授業のレベル」は素晴らしいと思ったが、規律に関しては、お粗末と言わざるを得ない。
その両方を満足させようと思うと、結局は「私立」ということにならざるを得ないのが現実なのだろう。
当事者になって初めて、そういう現実を理解した。
ところで、今週は「法政ビジネススクール(イノマネ)」での「面談ウィーク」だった。
何度も説明しているが、一般的なMBAの修士論文に相当する「プロジェクト」なる「事業計画書」作成が「イノマネ」のセールスポイントで、その「指導担当」を決めるための面談が今月半ばから続いている。
学生の方々との面談を通じて思うのは、それぞれのプロジェクトの「テーマ」には、その人の「人生観」が表れているということ。
20代30代の方であれば、まだまだ様々な選択肢があるし、方向転換も比較的容易だと思うが、40代になると、さすがに、この先の「人生」を決める必要があるし、例外は別として一般的には、方向転換をするにしても「最後のチャンス」だと思う。
となると当然、その選択には相当の「決断」が求められるだろうし、それを指導する(という表現は偉そうで好きではないが)立場にも、責任がある。
ドラッガーの言う「知識社会」では、産業の新陳代謝が早くなり、組織の寿命よりも、自分の職業人生の時間の方が長くなり、否応無しに、人生のどこかで「新しい仕事」にチャレンジすることが求められる。
以前であれば、それなりの規模の会社に就職すれば、そのまま一生、その会社での仕事を通じて学習し、成長していくことができたかもしれないが、今の時代のように、途中でシフトチェンジを余儀なくされる場合、新たな知識やスキルを身に付けるためには、それが必ずしもビジネススクールかどうかは別として、勤務する会社以外での学習が必要となるのは間違いない。
そして、これもドラッガーの言うとおり、実務を経験してからの方が「より効果的に学べる領域」がたくさんある。
また、小学校だろうが大学だろうがビジネススクールだろうが、その教育の「質」を決めるのは、文科省や教育委員会等の指導要綱やガイドラインはあるにしても、「教える人(教師)」の資質と努力のウエイトが大きいのは間違いない。
学生の方々の「貴重な時間とおカネ」が「最大限の投資効果」を生むよう、僕自身が「新たな知識とスキル」を身に付けるよう努力をする必要がある。
そういう自負を持って仕事をしていこうと思っている。
今日は、法政イノマネでの授業の日だったが、少し早く着いてしまったので、テイクアウトでコーヒーを買おうと思い、とあるコーヒーショップに立ち寄った。
レジで注文をしていると、マナーの悪いオジサン2人組が入ってきた。
店員さんが「こちら(右側)に並んでください」と言っているのに、僕を通り越して、左側に立っている。
メニューを見たいのだろうが、ほんの1分が待てないのだろうか?
彼らに子供がいたら、きっと、その子たちのマナーも悪いだろう。
ところで話はガラッと変わるが、僕のブログを読んで下さっている皆さんは、普段、どんなボールペンを使っているだろうか?
貧乏性の僕は、高価なボールペンは殆ど使ったことがなく、最近使っているのは、ロシアに出張に行った際に泊まったホテルでもらったものである。
ロシアでもらったものはペン先が「太め」で書きやすく、尚かつ、インクが僕の好きな「ブルーブラック」なのが、その理由である。
因みに、ペン先が「太い」方が、ペンが滑りやすく(滑らか)、サインをするのに適しているらしいが、サインをするしないに関わらず、筆圧が高い僕にとっては、ペン先が太い方が書きやすい。
ところで、筆圧とペン先の関係はさておき、僕が「ブルーブラック」のインクが好きな理由は、子供の頃の想い出が関係している。
僕の両親は、ふたりとも「ペン先」の太い「パーカー」の万年筆を使っていたが、父は「ブラック」、母は「ブルーブラック」のインクを使っていた。
僕が小学生の頃、始めて使った万年筆は、母が使っていた万年筆の「お古」だったが、彼女が使っていた「ブルーブラック」のインクが、ブラックのインクよりも「個性」があるし、「オシャレ」だな、と思ったことを今でも憶えている。
子供の「躾(しつけ)」はもちろん、親の考え方や行動は、幼少期の子供に大きな影響を与える。
まさしく「子は親の鏡」である。
今日は、投資先であるイミオの株主総会に出席した。2007年に出資して以来、3回目の株主総会である。
因みに、イミオ創業者の倉林さんとの出会いは、僕が審査員のひとりとしてお招きいただいた、ETICが運営するNEC社会起業塾だった。
実は先程まで、そのETICが、内閣府より委託を受けてスタートした「ソーシャルビジネス」創出プロジェクトのKick-off イベントに参加させていただいていた。
BitValley(ビットバレー)ムーブメントからちょうど10年。あの頃とは異なる熱気が、会場に満ちあふれていた。
そのイベントで締めの挨拶をされた田坂広志さんが、70年安保の話を引き合いに出し、「社会を変える闘いは、30年、40年と続きます」と仰っていたことが、印象に残った。
本日6月23日は、70年安保から、ちょうど40年の節目の日らしい。
永田町から渋谷まで、青山通りを学生が占拠し、大規模なデモが行われたそうだ。
ところで、僕が起業したのは1991年。来年で20年になる。
でも、僕にとっての闘いは、まだまだ続きそうである。
僕の問題意識はこの19年でだいぶ成熟してきたと思っているが、まだ具体的な形にはなっていない。
宿題は終っていない。