僕は「創業者」が好きなんだろうな・・・。

8月も今日で終わり。明日から9月だが、猛暑はまだまだ続きそうだ。

それでも、朝晩は幾分か涼しくなったように思う。

ところで、僕のブログを読んで下さっている方でご存知の方はいないと思うが、日本コンピュータ・ダイナミクス(以下、NCD)という「ベンチャー企業」がある。

ベンチャー企業といっても、今年で「43年」。日本のソフトウエア開発会社の老舗である。

創業者は「下條武男」さんという方で、79歳。

昭和6年生まれで、僕の父と同い年だ。

下條さんはご記憶にないと思うが、2~3度、お会いしたことがある。

1994~1995年頃だったと思う。

その下條さんが自ら書かれたNCDの成長の軌跡に関する本が、2ヶ月ほど前、送られてきた。

編集者は、日本工業新聞社出身の松浦利幸さんという方で、インタースコープ時代、僕も何度か取材していただいたことがある。

さて、数日前から読み始めた下條さんのご著書だが、時代背景が僕が生まれた頃から始まっており、とても興味深く読み進めている。

ベンチャー企業といっても、派手さは一切無く、地道な経営の軌跡が素朴な言葉で綴られているが、その時々の下條さんの心持ちが伝わってくる。

本を読んで初めて知ったことだが、僕が何度かお会いした頃は、バブル崩壊の影響を受けNCDの売上が激減、下條さんと共同創業者の小黒節子さんの役員報酬を「75%」カットし、本社オフィスを賃料が安い武蔵小山に移転した頃だった。

それにも関わらず、下條さんはいつも笑顔が絶えず、にこやかな「いいおっちゃん」という感じだった。

そういう明るい性格が、NCDをここまで成長させたのだろう。

僕の父も、生きていれば、下條さんと同じ79歳。

そんなこともあり、とても興味深く読み進めている。

考えてみると、リクルート創業者の江副さんの本にも、とても心を動かされた。

要するに、僕は「創業者」が好きなんだろうな・・・。

読了したら、改めて感想を書こうと思う。

「黒澤 明」にはなれなかったけれど・・・。

8月最後の土曜日。

Go!Gol(ゴーゴル!)というゴルフ関連ベンチャーの社内コンペにご招待いただいた。

事業内容のとおり?、皆さん大のゴルフ好きで、猛暑の中、1.5ラウンドをご一緒させていただいた!(させられた?)

1.5ラウンド自体が10年ぶりぐらいだったが、こまめに水分補給をし、何とか熱中症にならずに最後までお付き合いをすることができた。

ゴーゴル!の皆さん、ありがとうございました。

ところで、肝心のスコアだが、午前中は「42」!

後半も16番までは、まずまずのスコアで来て、これはひょっとして・・・と思ったところ、17番パー3で「8打」、続く18番パー4で「7打」を叩き「50」。

終わってみれば、92と平凡なスコア。

反省すべきは17番。

190ヤードと距離があり、グリーン右は「バンカー」が2つ、左は「大きな池」という難しいホールで、今にして思うと、安全に手前から転がしていけばよかったものの、ニアピンホールだったこともあり、ユーティリティで狙っていったのがバカだった。

僕はユーティリティで打つとドローがかかるため、左(池)に行かないように打ったところ、見事にバンカーにつかまり、脱出に3打を要し、尚かつ、池ポチャ。

そのショックを引きずっていたのか、18番ではティーショットを大きくスライスし、2打目は出すだけ。

さらに、3rdショットをミスし、アプローチもミスで、7打。

これを教訓に次回は頑張ろう!

ところで、先程、雑誌や書類を片付けていたら、買ったままになっていた「BIG ISSUE 147号(7.15)」が出てきた。

「河毛俊作さん」のインタビュー記事を読み、なるほどな・・・と思わされた。

河毛さんのことは存じ上げなかったが、フジテレビのプロデューサーで、いわゆるトレンディドラマの演出を担当されている方である。

10代の頃から「映画」が大好きだったという河毛さんのインタビュー、最後はこう締めくくられていた。

「今の人はいくつになっても『自分探し』が好きだけど、ちょっと自分を探しすぎ、求めすぎですよね(笑)。

上を目指すことばかりにとらわれ、現在を否定してしまったら、どんどんしんどくなっていく。

与えられたものに満足し、そこでできることをやっていく、そういう生き方も悪くないんじゃないでしょうか。今ある自分をしっかり生きれば、それはきっと明日につながるはず。

僕は、黒澤明にはなれなかったけれど、今の自分に満足している、それだけは確実に言うことができるんですよ」。

民主党は分裂か?

円高、株安の激震を他所に、民主党の代表線、事実上の総理大臣を選ぶ「内輪の選挙」が幕を開けた。

しかし、大多数の国民は白けているだろう。

どういう結末を迎えても、民主党には拭いきれない亀裂が残るだろう。

「政権を取ること」だけが「目的」だった政党の寿命かもしれない。

政策をベースとした政界再編を望みたい。

誕生日。

彼女がいくつになったかはさておき、今日は妻の誕生日。

ショートケーキを買ってきて、お祝いをした。

シリアルアントレプレナー  「3度目の起業」と「初めての子育て」

但し、一番喜んでいたのは、僕らの子供。

彼の好物は、1番ショートケーキ、2番プリン、3番メロン。

ご機嫌の夕べだった。

来月は、彼の誕生日。

また、ショートケーキを買ってこよう。

iPhoneからの投稿

何かを手放さないと、次の何かはやって来ない。

もう一年以上も前のことだが、横浜FC会長の奥寺さんのブログを製作される際に、投資先のイミオのボール(SFIDA)を演出小物として使っていただいたことがある。

三ツ沢の球技場に行き、観客席ではなく、ピッチに立ってみると、何とも言えない雰囲気があった。

その時の製作を担当されていたのは、ファニーズという、文字通り、おもしろい社名の「映像・音楽」製作会社を経営されている中道一将さんという人だった。

中道さんは、ロン毛をポニーテールにした、見た目もおもしろく、とても個性的な人である。

その中道さんから一昨日、「心の垢すりシリーズ」なる、これまたおもしろいタイトルのメルマガが送られてきた。

僕は、彼の経歴や詳しいことは知らないが、中道さんは、とても人間臭く、そして、アイデンティティをしっかりと持ち、自分を肯定的に生きている人だと思う。

「黄色」の名刺には、大きな文字で「圧倒的」クリエイティブ、圧倒的企画力、と書いてある。

ウェブサイトも「黄色」。メルマガ(ブログといった方がいいかもしれない)は、映像や音楽とは関係のない「人生」や「生き方」に関するもの。

でも、こうやって書きながら、そうか・・・と思ったが、ブログのコンテンツには、彼が注目するCMが組み込まれてあったり、トピックスはピクサーのアニメだったりと、映像製作が仕事である人間だからこそ書ける内容である。

そのブログ、今日のコンテンツには、ピクサーの「カールじいさんと空飛ぶ家」という映画を引き合いにして、こんなことが書いてあった。

「仏教の教えの中にも、
 何かを手放さないと次の何かはやって来ない。
 というものがあるそうで、

 血はたえず巡り続けるように、人も世も動き方は同じ。
 血が凝り固まったり、滞ったりすると身体はどうなるか・・・
 つまり、消極的になって停滞することが
 いかに危険で無意味なことか、分かってきます。

 凄く大切な真理ですが、
 僕らはそんなに強い人間ばかりじゃないから
 今持っているものを手放すなんてすごい怖いことですし、
 過去の美談をどんどん忘れることなんて決してカンタンじゃない。

 でも、この映画は、たえず僕らの肩を
 ぽんぽん叩いてくれて、こう言うんです。

 「ええねん!」

 中略

 ひとつは、今のままのお前で『ええねん』ってこと。
 自分を好きになってええねん、もっと自信をもってええねん。
 それこそ、カールじいさんの半生ぐらい素敵やねんで
 と言ってくれてます。

 そしてもうひとつは、手放して『ええねん』
 大切なものを捨ててもええねん。また次来るからええねん。
 それは、この映画のストーリーのようにまた素敵やねんで
 と言ってくれています」。

彼の凄いところは、変に格好付けない、ということだ。

見習うべきことが多い人である。

ところで、先程、「贈ります!」と約束したまま僕の自宅に置いたままになっていた「SFIDA」のボールを箱に詰めた。

彼のメルマガのお陰で、一年越しの約束をはたすことができそうである。

「豆腐」が「500円」になる日。

先日のエントリーで何十年ぶりかで「扇風機」を買ったことを書いたが、今日はそれに関連することを書こうと思う。

日本経済は今、デフレと言われるが、はたしてそうなのだろうか?

たしかに、継続的に物価が下落していっているという意味ではデフレなのだろうが、その原因を考えると、経済のグローバル化とテクノロジーの進歩による当然の帰結のようにも思う。

因に、我が家で購入した扇風機は「YUASA」というメーカーのものだが、マイナスイオンの発生機能も付き、リモコンも付いて、約3,200円。

記憶は定かではないが、僕が大学生の頃は、扇風機は「1万円以上」はしたように思う。

Googleで検索しても、YUASAというメーカーのウェブサイトを見つけることができず、製品のスペック等は確認できていないが、おそらく、中国製だろう。

技術はコモディティ化し、人件費の安い中国で作れば、3,200円で売ることが可能なのだろう。

他の例としては、ユニクロを挙げることができる。

リーバイス等のブランドと同列に語るわけにはいかないが、それでも、あのクオリティで2,000~3,000円である。

景気が悪くて、つまり、需要が供給を下回っているから値段が安くなったのではなく、ビジネスモデルを進化させた結果、値段を安くすることができたのである。

因に、僕が高校生や大学生の頃、リーバイスのGパンは、6,000円~7,000円ぐらいだったと思うが、楽天でチェックすると、5,000~6,000円ぐらいだった。

地球規模でビジネスが行われるようになった結果、pHバランスが中和するように、日本国内の物価水準ではなく、物価も地球水準になるということだ。

ところで、一昨日のNHKの番組で、タイでの日本企業の悪戦苦闘ぶりが「脱日入亜」として、紹介されていた。

タイの企業が、自動車の金型メ���カーとしては世界水準の日本企業を買収し、製造業における立場が逆転していることが印象的だった。

また、今朝の日経新聞では「豆腐が500円になる日」というセンセーショナルな見出しのもと、中国のバイイングパワーの影響力が論じられていた。

中国が大豆やトウモロコシを買い占めるようになると、たちまち、価格が上昇するということだ。

今までの日本の産業構造では立ち行かなくなっているのは、紛れも無い事実である。

「労組」を最大の支持基盤にしている「民主党政権」に、その事実は見えているのだろうか?

菅さんと小沢さんで火花を散らしている場合ではない。

ひとりの教師の存在が、その子の将来に大きな影響を及ぼす。

先週土曜日の午後。

恐らく、これがこの夏、最後のプールになるだろうと思い、目黒区のプールに出かけた。

海の日の3連休に3連続で行った時と較べると、暑さもトーンダウンしていて、混雑も緩和されており、夏の終わりを感じさせた。

ところで、それが悪かったのかどうかは分からないが、土曜の夜中、またしても、妻が激しい目眩と吐き気に襲われた。

日曜日に救急で診てもらおうと思ったのだが、命には別状のない病気のためか、どこの病院にも耳鼻科の医師は出勤しておらず、今朝、本人がひとりで病院に行った。

どうやら、メニエル病のようだ。

そんなこともあり、昨日は、僕が子供を連れて、約束のお店に出掛けた。

「約束のお店」というのは、以前の保育園で一緒だった友達のお父さんがやっている店で、たまたま僕の行きつけだった(何という偶然!)のだが、そこに旧友家族で集まろうということだった。

子供も4歳にもなると人格が形成され、また、保育園ごとに「カルチャー」もあり、個人差もあるのだろうが、後から入った子供と最初からいる子供との交流には限界があるらしく、今の保育園の友達とは、以前の保育園で一緒だった友達とのようには仲良くなれずにいる。

以前の保育園は、保育士の先生達が、意識的に子供達を全員で遊ばせたり、また、男の子と女の子を一緒に遊ばせたりしていたが、今の保育園は、人数が多く、そこまでは手が回らないのかもしれないが、意識的に子供達を交流させようとはしておらず、自然とグループに分かれているようだ。

また、子供達自身もそうだが、親同士が仲良くなるかどうかという点も、大きな要素だと思う。

僕は、自分が中学生になった時のことを思い出した。

僕が卒業した小学校は、僕が小学校3年生の時に「新設」された学校で、学区でいうと、2つか3つの地域(小学校)から集まって始まった、いわば「合衆校」だった。

今にして思うと、とても伸び伸びとした校風で、恵まれた環境で育ったと思う。

その新設小学校を卒業し、中学校に入学した時、僕はとても大きなカルチャーショックを覚えた。

小学校の頃は、授業中に先生が質問をすると、児童たちが我先に「ハイ!」と言って手を挙げて、当てられた子は、喜んで答えていた。

ところがである。中学校に入ると、先生が質問をしても「誰も」手を挙げないのである。

僕は、みんな分からないのだろうか・・・と思ったが、先生が当てると、ちゃんと答えるのである。

資本主義国から共産主義国に来たかというぐらい、あまりの違いに驚いた。

つまり、僕が最初に通った小学校から来た生徒達は、そういうカルチャー(自己主張は良くない)で育ったということだ。

僕は、そのカルチャーが嫌でたまらなかった。

でも、2年生になってクラスが変わり、僕たちクラスは、学年で一番「自由闊達」で有名になった。

「担任の先生」の価値観が大きかった。

さて、話を元に戻すと、久しぶりに会った友達たちとの時間が名残惜しかったのだと思うが、自分はサッカーはしないのに(正確には、一度、チャレンジはしたが、一日でドロップオフしたのに)、お店を出た後、友達たちが通っているサッカー教室を見に行くと言い出した。

サッカー教室は、16時から18時まで。

僕は、妻の容態が気になって、とにかく家に帰りたかったのだが、彼は、なかなか帰ろうとしない。

それを見かけた、あるお母さんが「帰りに送って行きますよ」ということになり、僕だけ先に帰ることにした。

妻は、思ったよりは回復していたが、前の晩、あまり眠れなかったせいで、僕自身も疲れており、子供が帰ってくるまで仮眠をした。

ところで、今の保育園のことで、僕が素晴らしいなと思うことがひとつある。

ある先生(正規の先生ではなく、補助の先生らしい)は、僕が迎えに行くと必ず、「さあ、○○くん、皆さんに挨拶をしましょうね」と言い、我が子が「皆さん、さようなら」と言うと、友達が「○○くん、さようなら」と返してくる。

学校や保育園全体の問題というものもあるが、結局は、先生個々人の問題が大きいようにも思う。

Twitter経由で知り合った海外生活15年の帰国子女のある女性は、ヨーロッパに住んでいた時のことを振り返り、「私の場合は、たまたま担任だった先生が良かったので、窮屈な思いをしなくて済みました。でも、中学(だったと記憶している)に行くと『何じゃこりゃ』って感じでした」と言っていた。

僕が充実した中学生活を送れたのも、遠藤先生という担任の先生のお陰が大きいと思うし、その先生のお陰か?級友も男女ともにおもしろい人間ばかりだった。

ひとりの教師の存在が、大勢の人間の将来(人生)に大きな影響を及ぼす。

なんちゃって・・・の域を出てはいないが、曲がりなりにも学生の方々を指導する立場になった今、自分の経験をもう一度、思い出し、肝に銘じたいと思う。