ディー・ブレイン証券

昨夜23時過ぎに帰宅し、メールをチェックしたところ、ディーブレイン証券の出縄さんからのメールが届いていた。

10月25日をもって、ディー・ブレイン証券の代表取締役社長および全役職を退任されるという。

出縄さんとはお会いしたことはないが、前社長の美澤さんとは何度かお会いしたことがあり、また、個人的に同社に口座を持っていることから、出縄さんの辞任の挨拶は、重たいニュースだった。

ディー・ブレイン証券は1997年、中小企業にエクイティファイナンス(株式を発行しての資金調達)の機会を広げたいとの思いで、グリーンシートと地方の新興市場を活用する株式公開の拡大・普及に全力を傾けてきており、全国の中小企業の10%にあたる20万社に株式発行による資金調達を広げることが、出縄さんの「夢」だったらしい。

詳細は割愛するが、日本の場合、株式市場からの資金調達ではなく、銀行融資による資金調達がメインだったことが奏功し、奇跡とも言える戦後の高度経済成長を実現させた側面があるが、それは主に「大企業」関する話であり、実は、財務体力が脆弱な「中小企業」こそ、株式発行による資金調達が必要だというのは、僕もそのとおりだと思う。

ディー・ブレイン証券は創業以来、150社を超えるグリーンシート企業の株式公開を主幹事としてリードし、グリーンシートから証券取引所に上場した会社は「14社」を数え、ディー・ブレイン証券自身も上場引受主幹事業務に参入し、「夢」は実現できるかに見えたという。

しかし、歴史の悪戯か?、2006年に188社あったIPO(新規株式公開)は、2009年には19社に激減し、ディー・ブレイン証券の業績も急速に悪化した。

徹底的にコストを削減し、厳寒の環境下で奮闘していたそうだが、自力での成長は難しいと判断したらしく、元バンダイ社長の山科氏が運営するファンドに資本参加を仰ぎ、経営者としての「けじめ」をつけるため、全役職を辞任するという。

そういうと潔く聞こえるし、経営者たるもの、そうあるべきと思うかもしれないが、誰しも生活がかかっているわけで、きれい事で済む話ではない。

長いメールから、ディー・ブレイン証券に懸けた出縄さんの想いが伝わってきた。

今日の日本社会の繁栄がそうであるように、何事も「先人の血の滲むような努力」があってのことである。

ネットバブルの恩恵に被り、文字通り、エクイティファイナンス(新株発行による資金調達)により、会社を成長させることができた僕は、出縄さんの想いが実る日が来ることを期待したい。

日本を本気でSEOU会。

本日の日経新聞15面でご紹介いただいたが、前日銀総裁の福井俊彦氏が会長を務められる経済界の交流組織「SEOU会」とプロジェクトニッポン(ドリームゲート運営企業)と共同で、起業家の発掘・育成を目的とした「エンジェルズ・ゲート」という取り組みを始めた。

僕もアドバイザリーボートのメンバーとして参画させていただいている。

閉塞感の漂う日本社会の活性化に、微力ながら尽力したい。

「爆笑」を売る法則。

「爆笑問題」太田光さんの所属プロダクションの社長であり妻でもある、太田光代さんに関する番組を見た。それも、二晩連続で。

たまたまテレビをつけると、二日とも、その番組の放映時間だった。

光代さんは20代の頃、ご自身も芸人をしており、また、女優を目指していたそうだが、ある時、「爆笑問題」を売るにはこのタイミングしかないと思い、また、売れるのは「自分しかいない」と思い、自分の夢を捨てて、芸能事務所を立ち上げたそうだ。

顔立ち、表情、話の内容から伝わってくる考え方。

どれをとっても、経営者として才能豊かな人だということが分かる。

「売り難い人ほど、売れる」。

彼女が言っていた言葉である。

つまり、個性が強いことが固定ファンをつくるし、固定ファン(万人を相手にしてはいけない)をつくるには、強い個性が必要ということだ。

行動に移すのは簡単じゃないけど、人に嫌われたり、不要なものを捨てることができない人は「ブレイクしない」。

ドラッガーは「事業の定義」は必ず「陳腐化する」と言っていたが、「自分の定義」つまり「アイデンティティ」や「ポジショニング」も再考する必要があるということかもしれない。

大谷さんの想い、八戸を変える!!

今回で3度目となった「八戸」出張は、とても楽しい、実り多い時間になった。

大谷さんの魅力に惹き寄せられている人達というバイアスがあるのかもしれないが、昨年も今年も、八戸大学・八戸短期大学 総合研究所が主宰する「起業家養成講座」修了生の皆さんは、とても人間味溢れる人達で、修了式後の懇親会や2次会(なんと3次会まで付き合わされた!)では、初めて会ったとは思えないほど、打ち解けて、楽しい時間になった。

大谷さんが「八戸シリコンバレー計画」を構想し始めたのが、2006年の秋。

「起業家養成講座」がスタートしたのが、その3年後の2009年。

既に「8名」の「起業家(ひとり準備中を含む)」が誕生している!!

ドラッガー風に言えば「既に起こった未来」であり、八戸は少しずつではあるが、確実に、変わりつつあるように思う。

八戸大学・八戸短期大学 総合研究所「客員研究員」として講演をさせていただた僕の方が、八戸の皆さんにインスパイアされた。

僕の好きな「相田みつを」が、

人間を動かし
人間を変えてゆくものは
むずかしい理論や
理屈じゃないんだなあ

感動が
人間を動かし
出逢いが
人間を
変えてゆくんだなあ・・・

と言っていることを実感した「3度目の八戸」だった。

明日は、3度目の「八戸」。

インターネットリサーチ時代の盟友「大谷さん」からの依頼で、明日は「八戸大学」で講演。

大谷さんが所長を務めている「八戸大学・八戸短期大学 総合研究所」が運営する「起業家養成講座 第3期生」の修了式に出席し、起業家としてデビューする皆さんに、ひと言、応援メッセージを頼まれている。

大谷さんから依頼をされた時、何を話すかのイメージはすぐに思い浮かんでいたが、今日の夕方、明日の資料に手を加えていた際、昨年の10月3日に「第1期生」の皆さんに話をさせていただいた時の資料を見つけた。

改めて、その資料を見ると、その半分は、明日の修了式で話をしようと思っていることと同じことが書かれていた。

そして、その資料(メッセージ)は、まるで自分自身に対するもののようだった。

すなわち、昨年の僕は、自分で話をしながら、その本質を理解していなかったとも言える。

物事には、理屈で理解するのではなく、痛い思いをして、尚かつ、ある程度の「消化期間」を経て、初めて理解できることがあるということだ。

閉塞感漂う日本社会にあっても尚、敢えて起業しようとする3期生の皆さんにとって、少しでも役に立つ話をしたいと思う。

女性のキャリアと生き方を考える。

今年4月から兼任講師としてお世話になっている法政大学ビジネススクール・イノベーションマネジメント研究科(通称イノマネ)で、「女性のキャリアと生き方を考える」をテーマとしたオープン講座を開催している。

興味のある方は是非、イノマネのウェブサイトをご覧になっていただければと思うが、仕事だけではなく、結婚も子育てもしながら、自分らしく生きている人をゲストにお招きし、ご自身のこれまでの人生を振り返っていただき、様々な局面で「学んだこと」をお話いただくことにしている。

第2回目の今回(10/8)は、「オンラインPR」というビジネスモデルの最大手(事実上、Only One)であるニューズ・ツー・ユーの創業経営社である神原さんにご登壇いただくことになった。

ご主人も経営者であり、お子さんの教育にとても熱心な神原さんの素顔を伺えたら・・・と思っている。

尚、この講座は「女性限定」です。念のため。

「カナディアン・カヌー」と「温泉旅館」。

さて、ブログの更新が少々滞ってしまいましたが、連休を利用して、日光方面に旅行に行っておりました。現地で感じたことを振り返りながら、久しぶりのエントリーを書いてみようと思います。

9月は、僕たちの子供の誕生月ということもあり、10年来の付き合いの友人夫婦と一緒に、日光・鬼怒川方面に出掛けた。

東京から約200キロ。僕の実家がある福島県郡山市までと同じような距離だ。

実は、日光からちょっと外れたところに、塩谷町というところがあるが、そこは、僕の父親や父方の祖父母が生まれた場所である。

祖父の仕事の関係で何度か転勤をした後、僕が生まれる何年か前に郡山に移り住んだらしい。

そんなこともあり、子供の頃は、祖母の実家にしばしば連れて行ってもらっていた。

その頃、よく耳にした地名に、鬼怒川や今市というものがあったが、今回は、鬼怒川温泉街を通り抜け、那須塩原方面に通じる峠を登ったところにある鬼怒川高原のコテージに泊まった。

鬼怒川や今市あたりより約5~6度ほど気温が低く、この時期でも肌寒いほどだった。

ところで、鬼怒川温泉と山を挟んで、川治温泉というところがある。

そこを流れる川で、カヌーに乗った。

川治温泉の中心街から、ダムとダムの間でほとんど流れがないところを、約2時間をかけて往復した。

川の上には鉄橋が掛かっており、1時間に1~2本しか通らない単線の電車を見上げながら、初めてのカヌーを楽しんだ。

僕たちが乗ったカヌーは、日本で主流のカヤックではなく、カナディアンカヌーと呼ばれるものだったが、思ったよりも簡単で、手軽に自然を楽しめた。

最初はピンと来なかった僕たちの子供も、途中から、とても楽しんでいた。

僕たちが往復した川沿いには、いくつかの滝が流れ込んでおり、その近くに行くと涼しい風が吹いており、マイナスイオンが発生している。天然クーラーのようなものだ。

そんな川面を、動力を一切使わず、腕の力でパドルを漕ぐだけで前へ進んでいると、まるで時間が止まったような感覚さえ覚える。

デジタルデバイスで慌ただしい日常を送っている都会人には是非、お勧めしたいアクティビティである。

さて、そんな日光方面(今回は東照宮や中禅寺湖には行かなかった)、鬼怒川、川治であるが、ひと言で表すなら、寂れていた。

僕が子供の頃、日本の高度経済成長期、1ドル360円や308円の固定相場時代を経て、第一次オイルショックのあたりまでの「海外旅行が憧れ」だった時代には、鬼怒川や川治に限らず、日本国内の観光地や温泉街は大勢の観光客で賑わっていたであろうことを物語る大規模旅館(ホテル)が、まばらな人影と共に、あちらこちらにたっていた。

不勉強な僕は責任をもった発言はできないが、規制緩和を徹底し、割高な国内線(飛行機)を是正したりすれば、もっと客を呼べる観光地もあるように思う。

因みに、今回の旅行で最も繁盛していたのは、「古民家」を改造した「蕎麦屋」だった。

欧米が憧れだった時代は過ぎ去り、日本古来の文化に「新鮮さ」を感じるのが、今の日本とも言える。

すべてにおいて、過去の延長線上ではなく、新しい日本を創っていく必要があるのだろう。僕自身の人生も含めて・・・。

祖父母や父の生まれ故郷で感じたことである。

その場所を選んでくれた友人夫妻に感謝。