新しい「財布」。

東北新幹線が昨日(4/25)、約1ヶ月半ぶりに東京・仙台間の運転を再開した。

3度の停電でダイヤはかなり乱れたらしいが、文字通り、東北地方の幹線が再開したことは、とても明るいニュースだ。

私事だが、実家の福島県郡山市���でも新幹線で帰省できる。

震災当日、出張中の京都で「帰宅難民」となった弟が翌日、東京の我が家に一泊し、どうやって郡山に帰るか?を懸命に調査し、その翌日、浅草から東武鉄道で日光経由で会津田島まで抜け、そこから郡山市までタクシーで帰ったのが昨日のことのように思える。

ところで、法政大学経営大学院(MBA)でお世話になっている小川教授のブログで、教授が13年に渡り乗り続けてきたレジェンド(ホンダ)を遂に買い替えることを知った。

新しいクルマは、CR-V(SUV)。教授の次男の方が帰省した際にスノボに出掛ける際に「四駆」のクルマが必要らしく、車種には拘らない教授は、ご子息の要望を受け入れたらしい。

しかし・・・、震災の影響で「納車は半年待ち」だそうである・・・。

ニュースではなく、身近な方の現実として知ると、たちまちリアリティが出てくる。

ところで、「買い換え」という意味では先日、13~14年!ほど使ってきた「財布」を買い替えた。

最近まで使っていた財布は、妻に渋谷西武で買ってきてもらったものだったが、当時はお世辞にも結婚生活が上手く行っているとは言えない時期だったこともあり、買ってきてもらった時のことは未だに憶えている。

だから今まで買い替えずにいたわけではなく、僕は浪費家のくせに、妙なところで貧乏臭いところがあり、買い替えたくてもなかなか実行に移せずにいた。

たわいのない話で恐縮だが、小川教授のブログに勇気を頂き?、新しい財布に買い替えた話を書いてみた。

ところで、昨日の統一地方選。

渋谷区長と区議会議員の候補者情報をネットで入念に確認し、我々夫婦の票を投じたが、僕たちにとっては残念な結果となった。

ひと言で言うと、数十年前からドラッカーが指摘していた「高齢者が政治を動かす」という現実を、改めて垣間みることとなった。

その心は、またのエントリーで。

マクロミルの「ポップコーン」!

昨夜は都内の某「焼き肉レストラン」で、マクロミルの杉本さんと、夫々が法政のイノマネ(MBA)で教えていた学生と、彼らの修了を祝う打ち上げをした。

考えてみると、杉本さんは焼き肉が好きらしく、まだ競合関係だった頃にも、何度か焼き肉屋で会食したことがある。

ところで、その席で、マクロミルが新規事業として始めた「ポップコーン」なる「iPhoneアプリ」を紹介され、早速、ダウンロードした。

同席されていた社長室の有坂さんが言うには、一時はサーバの処理能力が追いつかないほど、相当な数がダウンロードされ、アプリが使われたらしい。

アプリが訊いてくる質問に答えていくと、自分自身のキャラクターが分析され、似たような人と繋がることができ、アンケートbased SNSってことだ。

話は変わるが、一昨年度、彼が副査として指導していた学生の方に「お前、いい仕事してるよな・・・」としみじみ語る杉本さんを見て、変わったなあ・・・と思った。

マクロミル10周年誌にも紹介されているとおり、「一ヶ月働いて利益が出なかったってことは、寝てた方がマシだったってことだろう!」と檄を飛ばしていた杉本さんからは想像できない光景だった。

成功者になると、人間が丸くなるってことか・・・。

彼を褒めちぎっても、僕には一銭にもならないんだけど・・・(笑)。

「お茶の水」から「原宿」へ。

今週の火曜日。何年ぶりかで「JRお茶の水駅」の「聖橋口」改札に降り立った。

「聖橋(ひじりばし)」を渡り、あるベンチャー企業を訪問する途中、2002年の夏、本郷にあったバリュークリックジャパンのオフィスに、創業者のジョニー(ジョナサン・ヘンドリックセン)を訪ねた時のことを思い出した。

ジョニーとは意気投合し、バリュークリックジャパンとインタースコープは業務提携に至り、僕がドリームビジョンを創業する際には出資もしてくれ、社外取締役にも就任してくれた。

初来日は「シェラトン・グランデ・ベイ東京」のオープニングスタッフだった彼は今、出身地のニュージーランドでリゾートホテルの経営をしている。

幸いにして、先日の地震でも家族は無事だったらしい。

ところで、この日は久しぶりに時間の余裕ができたので、アポの後、入荷の連絡をもらったままになっていた「BEAMS」の「Smile Tシャツ(東北復興チャリティ)」を取りに、原宿に出掛けた。

20年前、初めて起業した時のオフィスも原宿で、僕にとって「原宿」は「起業の原点」のような街でもある。

竹下通りを抜けて「東郷神社」に立ち寄り、「原発」が早く収束(終息)してくれるよう、お祈りをした。

ソメイヨシノは散っていたが、東郷会館の庭園の山桜?が綺麗に咲いていた。

頭の片隅に原発問題が過りつつも、春の東京を満喫した一日だった。

さて、GWは何をして過ごそうか?

シリアルアントレプレナー  「3度目の起業」と「初めての子育て」
★聖橋の上から「ニコライ堂」を望む。

シリアルアントレプレナー  「3度目の起業」と「初めての子育て」
★聖橋の下を流れる「神田川」。正面奥には、後楽園の遊園地が見える。

シリアルアントレプレナー  「3度目の起業」と「初めての子育て」
★聖橋から水道橋方面を望む。下を走るのは「外堀通り」。

シリアルアントレプレナー  「3度目の起業」と「初めての子育て」
★東郷神社の境内にある「東郷会館」。庭園がとても美しい。

3.11。その後・・・。

4.11。偶然というにはタイミングが良過ぎる大きな余震に見舞われた東日本。

ブログを書く気にもなれない日々が続いたが、今日は幸か不幸か、あるアポイントがキャンセルとなり、精神的にも時間的にも余裕ができたので、久しぶりにブログを更新することにした。

今週の日曜日は、ここ数年恒例となっている「砧公園」での「友人夫妻」との「花見」をした。

土曜日が雨だったこと、ここ一ヶ月、ストレスが溜まっていただろうこと、節電で「夜桜」見物は控えざるを得ないこと・・・等々が重なっていたせいだろうが、今までに「見たことのない人人人・・・」!

東京に住む僕たちですらそうなのだから、被災地の人達はどんなにか辛いことだろう。

シリアルアントレプレナー  「3度目の起業」と「初めての子育て」

シリアルアントレプレナー  「3度目の起業」と「初めての子育て」

ところで、菅首相の発言に野党がクレームをつけたらしいが、「原発問題」の長期化が懸念される。

「ビートたけし」の主張(東京湾に原発を造ればいい)のとおり、僕を含めた東京都民は「他人のリスク」で「電力を使ってきた」わけで、福島県出身で東京に住む僕は、何とも複雑な心境だ。

話は変わるが、僕の自宅マンションのベランダ越しの「借景」には、樹齢20年は経っているだろう大きな欅があり、気がつくと、目に眩しいぐらいのキレイな新緑をつけている。

原発問題がなければ、心の底から楽しんでいただろう。

先程、テレビのニュースでもやっていたが、一ヶ月以内に大きな余震と津波が来る可能性があるらしい・・・。

何事も起きないことを祈りたい。

さて、明日は、法政イノマネ新入生の「プロジェクト発表(自分が一年間かけて取り組む事業構想(素案)の発表!)」の日。

重たい気分を吹き飛ばしてくれるプランが多いことを期待しよう!

「国家の品格」は「国民の品格」。

4期目の当選を確実にした石原慎太郎氏がNHKのインタビューに答えていた。

相変わらず、歯に衣着せぬ物言いで、自動販売機とパチンコ店の消費電力を合わせると、東京都の消費電力量の1/3を担っていた福島原発の発電量と丁度同じだとして、強く非難していた。

また、「消費することだけに現を抜かす国」は「凋落を免れない」として、物欲、性欲、もう一つは忘れたが、今のテレビは、その3つしかないとして、激しく非難していた。

石原氏は物議を醸す発言が多いとは思うが、テレビに関しては、僕の価値観では一部の番組を除き、見るに値しない低俗な番組が多いのは事実だと思う。

世界的に有名なデザイナーの「三宅一生」氏が20年前、「消費するだけで、生産を忘れた国は滅亡する」と言っていたことを思い出す。

小泉さんが首相を辞められた後に読み返したという、スマイルズの「自助論」が、これでもか、これでもかと歴史の事実を示し、偉業を成し遂げた人物で恵まれた境遇にあった人はいないと主張している。

「国家の品格」は「国民の品格」である。

その事実を肝に命じたい。

iPhoneからの投稿

新年度を迎えた「激動の日本社会」。

いつもなら今頃は桜が満開か、年によっては散り始めているのが、今年に限って東京でもソメイヨシノはまだまだ3部咲き。

それでも、必ず春はやってくる。恵比寿駅前のロータリーにある大きな欅は、新緑が芽吹いていた。

ところで、私事で恐縮だが、4月4日は、僕たちの父親の命日だ。

父が亡くなってから今日で24年。僕が24歳の時だった。

父は地元の総合病院に務めており、自分の病状を悟っていたようで、ある日、僕たち3兄弟を足元に立たせて、ひとりずつ「最後の説教」をしてくれた。

父が僕に残してくれた言葉。

「俺が生きていたら、お前が結婚する時には新居のマンションの頭金ぐらいは出してやれるし、事業をする時は資本金ぐらいは出してやれる。でも、これからは一切、そういった援助はないと思って生きて行け。それがどういう意味か分かるか?お前の友達が一万円使う時、お前は五千円しか使えないぞ。もし、友達と同じように一万円使いたいのなら、友達の『倍』稼がないと使えないぞ。よく覚えておけ」。

20代後半になると、友人達が結婚するようになった。

親父の言うとおり、多くの友人が、新居は「新築のマンション」だった。

僕は31歳の時に結婚したが、40歳を過ぎるまで、僕達夫婦は安普請の賃貸暮らしだった。

ところで、昨年からお世話になっている法政大学専門職大学院イノベーション・マネジメント研究科をこの3月に修了された金子さん(なんと60代半ばの方だ!)という方のメルマガに、とても考えさせられるエピソードが紹介されていた。

転載は自由ということなので、以下に全文を記載させていただくことにする。

 ★│母│の│愛│は│ご│と|く|に|
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母の愛は「あふれる愛」
【父の戦】
昭和18年4月に父は生まれたばかりの僕と4人の姉、
そして妻を残して出征した。

父が戦死して、
母は5人の子供と共に実家のある石川県小松市に引き上げた。
昭和24年の春だった。

近くに住むWさん夫妻がとても親切にしてくれた。
息子さんが金沢市で内科医をしているという。
そのWさん夫妻が母を朝起き会に誘ってくれた。

朝起き会は、夏季は4時、冬季は5時から始まると言う。
朝起き会の会場までは、歩いて1時間くらいかかる。

母は小学5年生を頭に5人の子供を食べさせるために、
朝早くから夜遅くまで働いて、疲れ果てて
そんなに毎朝は早くには起きられない。

でもWさんには折角のお誘いなので、申し訳なくて断れない。
しかも毎朝Wさん夫妻は
「金子さん・金子さん」と戸を叩いて起こしてくれた。

母は朝起き会に行けないときは、
前夜に玄関に赤い布を付けた棹を立てておく事にした。

でもそうしたら、赤い布を付けた棹を立てて朝起き会を休む事が
段々増えていった。

そんなときに母は、子供達を朝起き会に連れて行くようになった。
朝起き会に行くと大人たちが先生に、
人生や病気や、経済の事を相談しては、いつも怒られていた。
僕が6~7歳くらいの時だった。

こちらは他の子供たちと遊びながら大人たちの話を聞いていた。
「そんなことも分からないのか?」「あの人は馬鹿だなー」と思いつつ。

あとで聞いたら病弱なその人は、高校の先生でした。
余談だが、
長じて僕が高校生になった時にこの先生に教わった事がある。

       ・-*-*-*-*-*-・

【母の口癖】
毎朝毎朝、子供達は強制的に起こされた。
母のスパルタ教育の始まりです。

起こされても起きないときには、
竹の物差しで肩や背中を起きるまでたたかれ、殴られた。

『お母さん!!なんで僕だけこんなに辛い思いをして
早起きしなくてはいけないの?僕の友達は未だ寝ているよ』
『なぜ僕だけ吹雪の中を朝起き会に行かなくてはならないの?』

僕は子供心に不満一杯で母に抗議をした。

母は口癖のように僕や姉たちに言いました。
《お前たちは父親がいないのだから、
人の二倍の努力をしなさい、2倍だよ2倍!》

今も忘れない《人より2倍の努力をしなさい》
母の愛がこぼれるような言葉。そして叱咤。

お陰で今も「朝・4時開店のコンサルタント」です。

<ここまで>

そう、人の「2倍」稼がないと、いけないのである。
この記事も是非、読んでみて欲しい。

「激動の日本」となった今、父の教えをもう一度、頭と心に言い聞かせ、頑張ってやっていこう。