Thanks & Good bye, Jobs !

シリコンバレーから戻って、あっという間に3週間が過ぎた。

帰国後の最初の週は出発前から何件かアボが入っていたり、Jannovation week PR用のレポートを書いたり、反省会があったりと忙しくしており、法政大学MBAの夏期集中講義の準備に取りかかれたのは、その翌週からだったが、何とか準備は間に合い、昨日で3日目を終えた。

ところで、既に周知のとおり、Apple創業者の Steven Jobs が同社のCEOを退任した。

初めて買ったパソコンが Macintosh だった僕にとって、Jobs の退任は、感慨深いものがある。

セールスフォース創業者のマークベニオフが、ひとつの時代が終わったとTwitterに書いていた…。

ところで、僕の夏期集中講義のテーマは「イノベーションと起業家精神」。

僕の人生の「目的(大袈裟に言えば使命)」を明確にし、自分の講義に負けないよう、頑張ろう。

iPhoneからの投稿@代々木公園で子供の自転車の練習中!

Things happen for reasons. 人生はすべて必然。

8/1(月)から始まった「jannovation week」

今日(8/5)の「jannovation jam(ピッチコンテスト)」と「TANABATA Festival of HOPE」で、すべてのプログラムが終了した。

時差ぼけと戦いながら過ごした一週間を振り返り、僕が感じたことを忘れないように書き留めておきたい。

Plug and Play Tech Center の大ホールで開催された「jannovation jam」で、不慣れな英語で一生懸命にプレゼンする日本人起業家の人達、仙台とのライブ中継、そして、在サンフランシスコ日本国総領事館の総領事、猪俣弘司氏のスピーチ(立場を考えれば当然かもしれないが、とても洗練された英語で、素晴らしい内容のスピーチをされていた)等を見聞きし、優等生的発言に思われるかもしれないが、僕は「戦後の焼け野原」から日本を経済大国にまで復興させた「先輩達」の苦労を考えた。

ソニーやホンダ、パナソニック、シャープ、日立、東芝、そして、今や世界最大と言ってもよい自動車メーカーとなったトヨタ等、それらの企業の創業者の方々、そして、幹部社員として米国に乗り込み、顧客を開拓し、ビジネスを創っていった諸先輩のことを思えば、僕たちは、言葉にするのもナンセンスなぐらい、とても恵まれている。

昭和の高度経済成長期に幼少期を過ごした僕たち世代は間違いなく、その恩恵に浴し、高度な教育を受けてきた。そのお陰で、今日の生活をしている。

その事実を僕たちは真摯に受け止め、日本の将来に何を残せるのか?そのことを真剣に考えなければいけない。

たしかに、日本人女性と結婚し、日本が好きなのは当然としても、あくまでもアメリカ人であるアレン・マイナーが、ここまでして、ソニー、ホンダに続くグローバルプレイヤー(起業家と企業)を輩出しようと奮闘している姿を目の当たりにし、僕は、そのことの意味を改めて考えさせられた。

明治生まれの祖父母は勿論、もう24年も前に他界した昭和一桁生まれの僕の父親(母は33年前に他界した)は、自宅でヤギを飼い、彼の弟や妹はヤギの餌の草を刈り、ヤギの乳を飲み(動物性タンパク源だったらしい)、新聞配達だか何だったか忘れたが、子供の頃から家計を助け、毎日毎日を真剣に生きてきた。

そして、母と結婚した後は、僕たち3人兄弟を育ててくれた。

創業に携わった会社がマザーズに上場したり、Yahoo! JAPANに売却したりと言えば、今風で聞こえがいいかもしれないが、祖父母や両親がしてきた苦労や彼らが身を以て残してくれた言葉にできない教えと比較したら、僕が今までしてきたことなんて、ゴミのようなものだ。

こんなことぐらいで、いい気になってはいけない。

話をアレンに戻すと、彼はたしかに、ビジョナリーで発想力がある一方、物事を具体的に落とし込む能力や組織運営など、オペレーショナルな仕事が苦手な人間だが、僕自身も似たような人間であり、インタースコープの頃は社員の人達に負担や迷惑をかけてきた経緯があり、彼のことも、彼のような経営者の元で働く人達の気持ちもよく理解できる。

期せずして、4度目の年男の年に「東北地方」を大災害が襲い、生まれ育った福島県は「原発」の被害に苛まれている。

そして、その4度目の年男の年に、約2年半ぶりにアレンと再会したことは、何かの意味があるのかもしれない。

僕は中学生の頃から、いつかは海外に留学したいと思っていたし、20代の頃は、借金をしてまで毎年2回もNew York に行っていたが、結局は一度も海外で生活したことはなく、自分の力だけでは海外の仕事はできずに4度目の年男を迎えている。

色々な意味で彼の力を借りながら、「挑戦する人を創出し、広く社会に『勇気と自信』と『希望』をもたらす、新しい社会的価値を創造する」という、僕がドリームビジョンの企業理念に定めていることを具現化していけたら、それはお互いにとってハッピーなことかもしれない。

Things happen for reasons. 人生はすべて必然。

追伸:ドリームビジョンのウェブサイトでは「勇気と自信」と「感動」となっているのは、僕が手間と微々たるお金を惜しんで放置しているからです。これを機に修正します。

3年ぶりの San Francisco!(続編)

時差ぼけと戦いながら頑張ってきた「jannovation week」も明日が最後。

午前中の「Wrap-up Session」の後、ランチを挟んで、いよいよメインイベントの「ピッチコンテスト」。その後は、TANABATA Festival of HOPE。

どんなフィナーレを迎えるのか?とても楽しみである。

ところで、今日は朝8時にホテルを出発し、サンフランシスコに向かった。

バスの中で、シリコンバレーに家を借りている法政大学の田路教授から「facebook がMenlo Park に移転する(エンジニアを何千人も採用するらしい)ことの影響を受けて現地の住宅価格が高騰しており、I.T.業界、特に高給取りのエンジニアはいいが、他の業界の人間は住めなくなるだろう」という話を聞いた。

因みに、シリコンバレーでは、優秀なエンジニアになると、100,000ドルは極普通で、中には「200,000ドル(1ドル=80円として1,600万円!100円なら2,000万円!)も珍しくないらしい。

その一方、バイオ業界は干上がっており、博士課程を修了した人間の初任給は、なんと「35,000ドル(1ドル=80円として280万円)」である。

物価の高いシリコンバレーでは住めないだろう。

そんな話を聞きながらサンフランシスコに到着。

最初の訪問先は「RocketSpace」というインキュベーションセンター運営企業。スコットランド出身のCEO(Mr. Duncan Logan)は、とても分かり易く、ゆっくりとした口調で、彼らの戦略を説明してくれた。

次は、サイバーエージェント・アメリカ社長の西條さんの話。

米国に進出したばかりの頃の苦労話や、そもそも、どうして米国進出を決めたのか?また、なぜ、途中から自分自身がサンフランシスコに来たのか?等、とても参考になる話をしていただいた。

続いて、RocketSpaceに入っている「Kicklabs」というデジタルメディアに特化したインキュベーション&投資会社のCEOの講演。デジタルメディアに特化している理由など、ネット業界に対する見方等、参考になる内容だった。

さて、最後は「Engine Yard」という、Ruby を使ったクラウド関連、具体的には「PaaS(Platform as a Service)」に特化したスタートアップを訪問した。

因みに、同社のオフィスがある 500, 3rd Street の周辺には、約250社のスタートアップが集積しているらしい。

そういえば、デジタルガレージの林さん達と2004年12月に訪問したTechnorati というブログ検索エンジン運営企業も、この辺にあった。

話をEngine Yard に戻すと、とても経営体制がしっかりしている、独自の企業文化を形成している、最小限のサービスから始めて、常に自分達がフォーカスすべき領域を定めている等、とても魅力的な会社だ。

CEOのMr. John Dillon はオラクルOBで、セールスフォース・ドットコム初期のメンバーでCEOも務めた経験のある、とても聡明な経営者だった。

彼が言っていた「5つのポイント」は、とても参考になる。

1. Customer Experience 全体に心骨を注ぐ。
2. Minimum & Small でスタートする(顧客にとって分かり易く、必要最低限なサービスで始める)
3. Hire right talent(企業は成長のプロセスで必要な人材が異なってくる)
4. Being ready for Change(変化を善しとする企業文化を創る)
5. Stay focus & solve problem before go to Next Step(常にフォーカスする。問題を見つけ、次に進む前に必ず問題を解決する)

言われてみれば当たり前の話ばかりだが、なかなか実行できるものではない。

僕にとっては、特に2.4.5.が心に響いた。

ところで、今日は夕方に予定されていたサンブリッジ関係者のMTGが無くなったので、ひとり、サンフランシスコに残り、3年ぶりの街中を散策した。

その後は、昨夜、Sunnyvale で夕食をご一緒した、僕が法政大学経営大学院(MBA)で担当させていただいていた亀井さんの自宅を訪ね(高台にあるステキなお宅だった)、アメリカ人のご主人とお嬢さんと僕の4人で食事をした。

手ぶらで行くのは気が引けたので、この9月から高2になるお嬢さんにオレンジ色のTシャツを買っていったところ、「Really ? Thank you.」と言って喜んでくれた。

思春期のお嬢さんは、食事が終わってしばらくすると自分の部屋に戻ってしまったが、その後、亀井さんのご主人と亀井さんと3人で、子供の教育のこと、日米の政治・経済のこと等、色々な話ができたのは、とても楽しかった。

わざわざSunnyvale まで送ってくれて、とても感謝である。

さて、明日の Wrap-up Session は、またしても僕がファシリテイターとなった。

参加者の皆さんの学びがより深くなるよう、一生懸命に対応したい。

シリコンバレーで起業した「3人」。

今日の午前中は、シリコンバレーに来て会社を設立し、頑張っている方々をパネラーとしてお招きして、パネルディスカッションを行った。

今回の jannovation week での僕は添乗員のような立場のはずだったが、急遽、今日のセッションのモデレーターをすることになった。

パネラーは、以下の3名の方々。

ひとりは、Miselu, Inc. Founder の吉川さん。僕にとっては20年来の友人である。

もうひとりは、fluxflex, Inc. CEO, Co-Founder の久保さん。
実は、もうひとりの Co-Founder の深海さんには、僕が主催者のひとりとして運営している「Innovation Weekend」に登壇していただいており、何かの「縁」を感じる。

3人目は、Smash Booth, Inc. Founder の船木さん。数年前に学生ビザでサンフランシスコに来て、そのままこちらに残り、会社を設立された。

僕は、吉川さんから色々な話を聞いているので Big Surprise はなかったが、日本に限らず、シリコンバレーも「コネクション」社会であり、現地のローカル(起業家)コミュニティに入れるどうか?がKeyだという話は、僕がひと頃、関わっていたロシアでも同じである。

また、吉川さん曰く、「絶対に帰らない」という姿勢がないと、こちらの投資家から資金を集めることはできないという話は、僕が社外取締役を務めるラソナ創業者の岡村が、スペインの画家の登竜門で日本人で初めて優勝したにも関わらず、結婚していないという理由でギャラリー(スポンサー)がつかなかったという話を思い出させた。

それ以外の話では、EXIT(出口)に関する議論は、参加者の方にとって参考になったと思う。

Apple, Google, facebook, Twitter といったスマッシュヒットは天文学的確率の世界であり、現実的には、5億、10億、15億、30億といった規模でのEXIT(M&Aで売却)を想定して会社を創り頑張ることは、特に、20代、30代前半の人であれば、まず、最初のトラックレードをつくることにもなるし、経済的にも報われるという意味で、狙っていくべき姿ではないか?というアドバイスは、そのとおりだと思う。

fluxflex の久保さんは、そのような姿勢を「凡人でも成功できるやり方」と称しており、共同創業者の深海さんは「早期のEXITを狙っています」と言っていた。

また、Smash Booth の船木さん(現在28歳)の「経済的成功は求めたいです。今の状況では、家族を持つという選択肢は考えられないし、理想的には、あと2~3年で最初のEXITを達成したいと思っています」という発言を聞き、自分自身が20代の頃のことを思い出した。

キレイごとではなく、大きなリスクを取り、人生を懸けて頑張っている「起業家」にとって、「経済的な成功」を求めることは当然のことである。

僕(達)がインタースコープをYahoo! JAPANに売却した際、ベンチャー仲間からは「おめでとう!」というメールや電話があったが、大企業に勤務する、ある知人からは真逆の反応があったりもした(一方、大企業に勤める知人でも、お祝いの宴席を用意してくれた方もいた)。

いずれにしても、インタースコープは業界有数の会社になり、売上も「成長」していたし、尚かつ「黒字」だったわけで、たしかに、IPOは断念したが、僕たちにとっては「成功」以外の何物でもなかった。

ドラッカーも言っているとおり、起業は「経済的行為」であり、自分の人生(時間)という最大の資産を懸けるという意味で、最大の「投資行為」とも言える。

但し、大きな経済的リターンは、社会を変えたり、社会に大きな価値をもたらすことで初めて実現される。

つまり、「自分のリターンが先ではない」ということだ。

今回のツアーに参加している方々の中から、ひとりでも多くの方が「EXIT」を実現し、そして、また、次のチャレンジに向けて頑張っていく人が現れることを期待したい。

そして、次のチャレンジは、再度の起業でもいいし、NPOを創るでも、学校で教えるでも、エンジェル投資家として次世代を育てるでも、はたまた、世界一周の旅に出るのでもいい。

何をするにしても「自分にとっての成功」を定義し、それを追求することが大切である。

他でもない「自分の人生」を生きているわけで・・・。

人生はすべて必然!(10年ぶりの偶然?の再会)

大学4年生の時、六本木のダーツバーで知り合ったアメリカ人の友人がいる。

ひとりは、Frank Ryan といい、出身はNew York だが、現在はSan Diegoに住んでいる。
もうひとりは、Robert Trojanで、彼はNew Jersey に住んでいる。

ふたりとも2001年に会って以来なので、最後に会ってから10年になる。

さすがに東海岸はリアリティがないかと思い、Bob(Robert のニックネーム)には連絡をしなかったが、ホテルからfacebookで Frankに連絡をしたところ、なんとサンフランシスコに来ているという!

何という「偶然(必然?)」だろう。

実は、いつものように時差ぼけが酷く、今夜のMeetupパーティを諦めて、スタンフォード大学からFrankに電話をしたところ、サンフランシスコから僕の滞在先のホテルまで来てくれることになった。

「縁」があるとしか言いようがない。

神様に感謝である。

さて、彼が来るまで、一眠りすることにしよう。

追伸:喉が渇いたのでホテルの近くの「大衆バー(そういうところしかない!)」に行き、ハイネケンを一杯飲んで帰る際に、入口付近にいた男性に「Excuse me, sir.」と言ったところ、「Don’t call me sir. No kidding !」という言葉が返ってきた。たしかに、sir. という感じの男性ではないが、「No, I’m not kidding you. It’s my habit !」と言ったら、笑っていた。僕は、こういう何気ない会話が好きだ。

人間はボスを持つべきではない。by Paul Graham

jannovation week 2日目の今日は、スタンフォードでのレクチャー、続いて、最終日のピッチコンテストのトレーニングセッション。

そして、ランチを挟んで、今は「Y-Combinator」出身の Mr. Ray Grieslhuber という起業家のセッション。

彼は流暢な日本語を話し、彼が創業した会社名は「Ginzamarkets Inc.」。

奥さんは日本人。最初に起業したのも日本だという。

その彼から聞いた話だが、Y-Combinater 創業者の Paul Graham は、「人間はボスを持つべきではない」と言っているらしい。

一方、羊に率いられた100匹のオオカミは、勇敢なオオカミに率​いられた100匹の羊に負ける、という言葉を聞いたことがある。

ボスとリーダーの定義の違いということか・・・。

Dr. Richard Dasher の講義(@スタンフォード大学)

Dr. Richard Dasher の講義。

シリコンバレーのスタートアップの場合、シード(エンジェル)ラウンドで、約25%を放出する。
上場時の創業者達のシェアは、10%程度。
日本の様に、創業者達が過半数を持っているケースは稀である。

EXITは、99社が大手企業への売却。1社がIPO。
因みに、Google は、過去10年で85社を買収している。

EXIT は「極めて重要」。
起業家は「親」のような存在であり、子供(企業)は大きくなったら親元(起業家)から出て行く。

起業家は、リソースがないところからビジネスを興すが、大企業の経営者に向く人は、リソースを管理しながら、新しいことを立ち上げて行く。

未公開の時代には「自分の会社」という認識でもいいかもしれないが、公開企業となった後は、他人の財産を預かり管理・運用し、その価値を向上させていく立場(仕事)だという認識に変える必要がある。

教授の話は、既存の知識ではあったが、経験者の僕にとって、「EXIT」は極めて重要という話は、自分がやってきたことの意味を改めて認識することができ、また、それが正しい選択だったと確信させてくれた。

僕は、大きな組織を経営することには向かないし、そういう能力はない。

田部さん(インフォプラントと合併した後、Yahoo! Value Insight 時代)、そして、杉本さん(マクロミル)に受け継いでもらえたことは、色々な意味で良かったと思う。