祝:大谷さん、八戸大学の学長就任!

僕の人生は、常に慌ただしいようだ。

今年は新会社の設立、2人目の子供の誕生、法政MBAで主査として初めての修士論文指導、新オフィス稼働、長男のインフルエンザ、また、今日は主査として担当した藤田さんが最優秀プロジェクト賞を懸けての最終発表会(結果は3位入賞!)、そして、日付が変わって29(水)00:05@羽田発のフライトでサンフランシスコ&シリコンバレーへ出張。

流石に身体が悲鳴をあげたのか、先程まで激しい頭痛と吐き気に襲われ、本当に飛行機に乗れるのか?という状態だったが、診療時間が終了しているところを無理を聞いてもらい、近所の掛かりつけの医者でもらってきた薬が効いてきたのか、何とか自宅を出発し、先程、羽田国際線ターミナルに到着した。

成田と較べて、格段に近い!

ところで、長男のインフルエンザ騒ぎで八戸行きはキャンセルさせていただいたが、先週の金曜日、盟友の大谷さん(インフォプラント創業者)が八戸大学の学長に就任することが発表された!

素晴らしいことである。

「インターネットリサーチ御三家」と言われたインフォプラント、マクロミル、インタースコープだが、それぞれの事業がそうだったように、その創業者のその後の生き方も三者三様である。

ひとつだけ共通することは、3人とも自分の理念(ポリシー)に忠実に生きているということだ。

「生き方」という意味では、次男が生まれたことで、親としての責任をより一層、感じるようになった。

彼が社会に出て活躍する姿を見れるまで、元気でいたいと思う。

若くして亡くなった両親の無念さが、分かってきたような気がしている。

追伸:子供が生まれたことで、実家から今の母が手伝いに来てくれている。

僕は子供の頃、両親と父方の祖父母、そして、父の妹2人と一緒に暮らしており、いわゆる大家族だった。

母と妻と長男と僕とで食卓を囲んでいると、あの頃のことを思い出す。

文明の発達と引き換えに、無くしたものがあるようにも思う。

それ故に、僕たちはこうして、facebook や Twitter やブログを通じて、自分と価値観や生き方を共有できる「コミュニティ」を欲しているのかもしれない。

iPhoneからの投稿

「次男の誕生」と「修士論文」。

2月5日。新しい家族が誕生した。元気な男の子が生まれた。

僕のブログを継続して読んで下さっている方の中には、妻が入院していたのをご存知の方もいらっしゃると思うが、実は、定期健診に行ったところ、子宮口がかなり開いており、経産婦の場合、すぐにでも生まれる可能性があるということで入院したのだが、年齢のせいもあってか、なかなか生まれず、最後は陣痛促進剤を点滴しての出産となった。

担当医の話では、子宮も筋肉なので、その筋肉が胎児を外に押し出そうとする力(収縮力)が必要で、僕の理解では、年齢と共に、子宮の筋力が衰えるのだと思う。

そういう意味でも、高齢出産にはリスクが伴うのだろう。

因みに、これこそ個人情報且つプライバシーの問題なので実名は伏せるが、何と同じ病院で、インタースコープを経営していた頃、親しくさせていただいていた公認会計士の方と、あるネットベンチャーの創業メンバーの方と遭遇した。

ふたりとも、奥さんの出産で、その病院に来ていたのだが、ふたりから、「平石さん」と声をかけられた時はビックリした。

さて、そんなことで我家は急に慌ただしくなり、家の中はとんでもない状態になっているのだが、実は、2/5の週は、僕が客員教授を仰せつかっている法政大学経営大学院(MBA)の「修士論文の提出締切」でもあり、担当させていただいている3人の学生の方々に、病院まで来てもらったり、近所のカフェまで来てもらいながら、最後の指導をさせていただいた。

サンブリッジのメンバーは元より、僕の個人的事情を理解していただき協力をしてくれた3人の学生の方にも、この場を借りて心からお礼を申し上げたい。

その修士論文だが、以前にも書いているとおり、僕がお世話になっている法政のMBAは、ビジネス領域(例:価格政策や流通構造)に関して研究し、それを論文にするのではなく、自分が「興したい事業」のビジネスプラン(モデル、戦略、財務的計画等)を作成し、それを論文に仕立てるという、非常にチャレンジングなカリキュラムとなっている。

その最終発表会が昨日から始まっており、僕の担当学生3人の発表は、今日の朝一番目からとなっている。

因みに、約50人の発表者の中から選ばれた10人には、法政大学ボアゾナードタワーと呼ばれる高層ビルの27F(だったと思う)で、外部審査員や聴衆で構成される約300人の前でプレゼンできる権利が与えられる。

尚且つ、そこで最優秀プロジェクト(ビジネスプランのこと)に選ばれれば、賞金50万円が贈呈される。

昨年は、僕にとっては初年度であり、また、初年度ということで僕は「副査」の立場だったが、今年は「主査(指導責任者)」として指導をしてきた3人の中から、ボアゾナードタワーへ行ける人間が出てくることを切に祈っている。

ところで、今年1月5日にスタートした「株式会社サンブリッジ グローバルベンチャーズ」も、徐々にその輪郭が出来てきた(ゴメンなさい!ウェブサイトは3月中にはオープンします!)。

マイクロソフトがグローバルに展開するクラウドサービス(Azure)のノミネーター(推薦人)として認定していただき、また、来週からはサイバーエージェント・ベンチャーズと一緒に運営する国内最大規模のインキュベーション施設がオープンする。

そして、3月には、サンブリッジ グローバルベンチャーズ 創業記念のレセプションを開催する。

「世界に挑戦する人」を創出し、広く社会に「勇気と自信」と「希望」をもたらす、グローバル イノベーションを創造する。

この企業理念を実現すべく、一歩ずつ、着実に頑張って行こうと思っている。

ところで、来月で僕は49歳になる。

40代ラストランを悔いのないように頑張りたい。

そのためにも、健康には充分に留意しないとね!

代表者からの挨拶 ~ jannovation spring に懸ける想い ~。

2011年8月。私はシリコンバレーにあるPlug and Play Tech Center 大ホールの片隅で、350人の聴衆を前に、慣れない英語で懸命にプレゼンをする20名を超える日本人の若い起業家の姿を見ながら、昭和の高度経済成長を実現した先輩方の苦労に思いを馳せていました。

私の両親はふたりとも昭和一桁生まれで、貧しい日本に育ち、戦争を経験し、そして、戦後の高度経済成長を担ってきました。父は幼少の頃、自宅で飼っていたヤギの乳を絞り、動物性タンパク質を摂っていたそうです。その後、昭和の高度経済成長の恩恵を存分に享受した私達の世代は、何不自由ない生活を送ることができるようになりました。

しかし、1991年の金融・不動産バブルの崩壊以降、日本経済は「失われた20年」とまで言われるようになり、それに追い打ちをかけるように「3.11」が起こり、日本は一瞬にして、「激動の時代」に突入しました。

10年ほど前に、作家の村上龍氏は、「希望の国のエクソダス」という本の中で、こんなことを書いています。

「この国にはなんでもある。本当にいろいろなものがあります。だが、『希望』だけがない」。

少子高齢化とGDPの2倍以上の政府債務に苦しんでいながら、その一方で、各種規制や既得権益に群がる人達は改革を阻み、その結果、若者の雇用が犠牲にされ、これからの日本を担うはずの世代が、将来に対する「希望」を持てなくなっています。

それでも、今年の「新成人」を対象とした調査結果1 では、「自分たちの世代が『日本を変えていきたい』」とする声が「約8割」と、戦後最大の国難と言われる現状をきちんと直視ししています。失われた20年といわれる時代に育った、失うもののない「若い世代」こそ、この国の「当事者」としての意識が高いこともまた事実です。

社会を「変革」し、人々に「勇気と自信」と「感動」をもたらし、将来に対する「希望」を持てるような試みができるのは、政府ではなく、我々一人一人の国民です。そして、このような時代にこそ求められるのが、変化を「当然」且つ「健全」なこととして受け入れ、そこに「イノベーションの機会」を見出し、リスクをとって果敢に挑戦する「起業家」です。

起業家の聖地であり、グローバルイノベーションを次々と輩出するシリコンバレーの空気に触れ、様々な人達と出会い、議論をすること、それも学生時代にそのような「機会」を得ることは、自分自身がそうであったように、その後の人生にとって大きな影響をもたらすと確信しています。

一人でも多くの学生の方がこのプログラムに参加し、刺激を受け、ご自身の将来を切り拓いていくきっかけとなることを心より願っています。

2012年2月1日

株式会社サンブリッジ グローバルベンチャーズ
代表取締役社長 平石郁生

(※1:全国の新成人男女500名を対象に『2012年新成人に関する調査』を実施。2011年12月6日~8日、マクロミル社による)

「一生、チャレンジャー(挑戦者)でいたい」。

2月3日。今日は「節分」。文字通り、季節を分けると書く。今日を境に少しずつ暖かくなっていくことを期待したい。

ところで、とあることで一昨日から妻が入院し、ここ2日間、子供とふたりで過ごす夜が続いている。

無くしてみて初めて、その存在の大きさや有難みに気づくというが、まさしく、そう思う。

ところで、激動に揺れた2011年が終わり、2012年を迎えて一ヶ月が経った。

昨年後半からあまり書かなくなったブログも最後の更新から一ヶ月、そして、サンブリッジ グローバルベンチャーズを設立してからもちょうど一ヶ月ということで、久しぶりにブログを書くことにした。

さて、書きたいことは色々あるが、嬉しい出来事があった。

先程、起きてきてfacebook をチェックしていたら、Message の Others のところに「1」とあり、何かな・・・と思ってクリックしてみると、今から12~13年前、僕が原宿のマンションの一室で、ベンチャーとは言えない零細なベンチャーを細々と経営していた頃に訪ねてきてくれた、当時、とある証券会社に勤めていたという方からの「起業します!」という挨拶だった。

その彼には大変申し訳ないが、彼のことは覚えていないし、その時の僕が、彼にどんな話をしたのかも当然、覚えていない。

でも、「『起業したい!』と思ったのも平石様から大きな影響を受けた所が非常に大きいと思っております」という一文を読み、とても嬉しく思ったと同時に、自分自身の生き方に責任を持たなければいけないと、改めて思わされた。

実は、以前にも何度か今回のようなことがあり、その都度に同様な思いをしてきたが、僕にとっては「7度目の創業」にあたるサンブリッジ グローバルベンチャーズを設立して一ヶ月目の「節分」に、そのようなメッセージを頂戴したことは、何かの「意味」があると思っている。

事実として、彼に返事を書きながら、今からちょうど12年前(干支でいう一周。あの時も年男の翌年だった)、現ALBERT代表取締役会長の山川さん達と一緒にインタースコープを創業した頃、自社のウェブサイトのスタッフ紹介でのメッセージに、「一生、チャレンジャー(挑戦者)でいたいと思います。僕にとっての挑戦とは、一生、自分らしく生きていくことです」と書いていたことを思い出した。

メッセージをくれた彼に感謝し、彼の決断に恥じないよう、僕自身も頑張っていかなければと思う。

二つ目のトピック。サンブリッジ グローバルベンチャーズでは「2/27~3/2」の5日間、大学生と大学院生を対象とした「jannovation spring」という、シリコンバレーでの「缶詰プログラム」を開催する。

実はこのプログラムのきっかけは、サンブリッジ創業者のアレンが関西出張に行った際、とある教授の方との話で盛り上がり、彼の一存で決めてきたことであり、突如として発生した台風のようなプロジェクトに、現場のスタッフは大騒ぎとなった。

まあ、いつものパターンで、慣れていると言えばそれまでだが、僕のように何度か起業し、会社経営をしてきて、尚且つ、アレンと歳も近い人間は別として、若いスタッフは、アレンから言われたら、そりゃ、ノーとは言えない。

こうして書きながら、インタースコープ時代やドリームビジョンとしてスタッフを抱えていた頃の自分を思い出し、アレンを反面教師(失礼!)としなければと思う次第である。

但し、サンブリッジの仕事とは言え、僕の責任で開催を決定した「Innovation Weekend Grand Finale 2011」に、アレン(サンブリッジ)がスポンサーしてくれたお陰で何とか開催できたことを考えると、僕が「jannovation spring」開催に責任を持つのは、ある種、イーブン(フェア)な話である。

ところで、その「jannovation spring」だが、準備の時期が「Innovation Weekend Grand Finale 2011」と重なり、昨年の間は、僕は殆ど手伝うことができなかったのだが、何とかスポンサー企業の目処もたち、無事に開催できそうなところまで漕ぎ着けた。

ここまで来れたのは、例によって超優秀なインターンの面々のお陰だが、それに加えて、シリコンバレー側のスタッフのコミットが大きい。僕のブログ上で恐縮だが、心からお礼を申し上げたい(まだ、終了していないので、お礼を言うのは早いけどw)。

そして、今年からGVH(Global Venture Habitat)大阪の責任者となった牧野というスタッフの頑張りなくしては、ここまでさえ、来れていないと思う。

その牧野のリクエストで、「代表者からの挨拶 ~ jannovation spring に懸ける想い ~」という原稿を書いた。

今日明日には「jannovation spring」のウェブサイトがカットオーバーされると思うが、節分と立春(明日)に因んで、僕のブログにも掲載させていただくことにする。

実は、この原稿、少々恥じらいながら書いたことが文脈に表れていたらしく、シリコンバレーオフィス責任者でサンブリッジ グローバルベンチャーズの取締役でもある川鍋が「思いが直球で伝わるように原稿を変えてみました」というメッセージと共に、少々リライトしてくれた。

以前にも書いたとおり、アレンとは個人的に12年の知り合いだが、サンブリッジという会社としては「外様」である僕にとって、こうして、理念とビジョンを共有できるスタッフと仕事ができることは、とても幸せなことだ。

実は、アレンからは昨年の夏前から、(サンブリッジに)フルコミットしてもらえないか?と言われていたのだが、当時の僕は、また大きな責任を背負い込むことと、ドリームビジョンの株主に対する責任から、良い返事を避けてきたのだが、前者はともかく、後者に関しては、サンブリッジの仕事を通じて(実際に、ドリームビジョンから SunBridge Startups LLPに出資をしている)、彼らへの責任を果たしていこうと決断をした。

三つ目のトピック。今年に入って2冊目となる「日本人がグローバル資本主義を生き抜くための経済学入門」という本を読んだ。

「もう代案はありません」という副題がつけられたその本の著者は、藤沢数希という、アゴラ言論プラットフォームでのブログで有名な外資の投資銀行に勤務する人だが、計算科学や理論物理学の分野で「博士号」を持つ彼の著作は、極めて複雑な経済や高度な理論が、とても平易な言葉で分り易く解説されており、僕のように経済学部を出たわけでもない人間が読むにはうってつけの本である。

是非、一読されることをお勧めする。

そして、ドリームビジョンとして手掛けていた人材紹介業から撤退し、エンジェル投資と投資先の社外取締役や顧問等の仕事を除き、一切の仕事を止め、毎朝、妻を仕事に送り出した後、カフェをハシゴしながら、唯ひたすら「読書」をすることが日課だった2009年に読んだ「自助論(スマイルズ)」を、今こそ、全国民に読んで欲しいと思う。

また、福沢諭吉が書いた「学問のすすめ」は、人口が「3,500万人」しかいなかった当時の日本で、なんと「350万分」が売れたそうだが、それはつまり、赤ちゃんから高齢者まで含めた10人に1人が読んだことになり、当時の日本国民には、そういう「危機感」とスマイルズの「自助の精神」があったということである。

10年ほど前、作家の村上龍氏は「希望の国のエクソダス」という本の中で、「この国にはなんでもある。本当にいろいろなものがあります。だが、『希望』だけがない」と書いたが、3.11で不幸にも被災した方々や一部の尊敬すべき人達を除き、今の日本には「自助の精神」が足りないと思う。

話は変わるが、田中康夫氏が国会答弁で述べたように、「遺伝子組み換え」の食料が輸入されてくることは断固として阻止しなければいけないが、そのこととTPP参加の是非は別の議論である。

上述の藤沢数希氏の著作によると、1970年以降、政府の「コメの減反政策」に関する「補助金」に「年間2,000億円」という国費(税金)が投入され、その額は現在までに「累計7兆円」にもなるという。また、OECDによると、日本の農業への直接的な補助金と、関税800%というコメのように極めて割高な農産物を買わざるを得ない間接的な日本国民の負担の合計は、毎年「5兆円」を超えているらしい(L.A.に住む叔母は日本に来る度に、野菜が高い高いと言って文句を言っている)。

僕は、藤沢数希氏の著作を読み、読書が日課だった日々に読んだミルトン・フリードマンの「資本主義と自由」を思い出した。

「jannovation spring に懸ける想い」の中に、既得権益に群がる人達ということを書いたが、僕には「族議員」や「自助努力を忘れて、政府に助成金の陳情をする人達」や「赤字国債を発行し続ける政治家」が理解できない。

しかし、一国の政治のレベルはその国の国民のレベルを表すわけであり、環境や周囲を批判する暇があったら、自分にできる努力をコツコツと積み上げ、足元から変えていく以外に方法はない。

僕にもう一度、大きな責任とチャンスをくれたアレンと僕の決断を支持してくれたドリームビジョンの株主の期待に応えるためにも、若くして亡くなった両親の愛情に応えるためにも、そして、僕が生まれ育った日本の復興の一助となれるよう、一生、挑戦者でいられるよう、頑張っていこうと思う。