最後にブログを更新してから丸々1ヵ月。
「成果を上げる人間は『時間(の確保)』から入る」というドラッカーの言葉を痛感する。
ところで、先週は「夏休み」を取り、弟家族と一緒に、伊豆の貸別荘に行った。
僕たちが滞在した貸別荘は人里離れた山奥にあり、ケイタイの電波も無線LANも飛んでおらず、久しぶりに facebook のない生活を送った。
溜まった仕事が気にはなったが、たまには都会の喧騒を離れて日常を忘れるのも悪くない。
むしろ、雑念を振り払い、本来の自分を取り戻すためにも必要である。
ドラッカーは時間の大切さと共に「捨てる(廃棄する)」ことの重要性を指摘している。
「イノベーションを魅力的なものにするための第一の段階は、すでに活力を失ったもの、陳腐化したものを、生産的でなくなったものの廃棄を制度化することである」。
「廃棄とは、あらゆる種類の組織が自らの健康を維持するために行なっていることである。いかなる有機体といえども、老廃物を排泄しないものはない。さもなければ、自家中毒を起こす」。
「イノベーションには人間のエネルギーが必要である。『有能な人間』という最も希少な資源による厳しい働きが必要である。しかるに、『死体が臭わないようにすることほど涙ぐましく、しかも不毛な仕事はない』とは昔からの諺である。
私の知っている組織の殆どにおいて、有能な人間がこの不毛な仕事を担当させられている。しかも、彼らに期待できることは、膨大なコストをかけて避け難いことを若干、先延ばしにするだけである。
しかし、死体がすぐに埋葬されることが知れ渡っていれば、イノベーションにも速やかに取り組めるようになる」。
「イノベーションを行うには、イノベーションに挑戦できる最高の人材を自由にしておかなければならない。同時に、資金を投入できるようにしておかなければならない。いずれも、過去の成功や失敗、特に惜しくも失敗したものや、上手くいったはずのものを廃棄しない限り不可能である。
それらのものの廃棄が原則となっていれば、誰もが進んで新しいものを求め、起業家精神をかきたてられ、自ら起業家となる必要性を受け入れるようになる。
これが第一段階である。いわば組織の衛生学である」。
ドラッカーの教えに則れば、日本社会の構造、つまり「政治と行政」の仕組みは「賞味期限切れ」であり、「廃棄」の対象である。
日本は「自家中毒」を起こしている。
ところで、昨日から、僕が客員教授を仰せつかっている法政大学経営大学院(MBA)での「夏期集中講義」が始まった。
この講義は、今年で2年目ということもあり、昨年と較べれば勘所は掴めていると思うが、それでも、相手(受講生)が異なるし、時代は1年間、進んでいるわけで、僕もこの一年で学んだことをもとに、講義の中身をブラッシュアップしている。
そして、夏期集中講義が終われば、僕の49年目のシーズンは半分が終わったことになる。
そして、サンブリッジ グローバルベンチャーズの仕事は、いよいよ佳境に入る。
これからの数カ月が、会社の命運を分けると言ってよい。
僕の時間は限られている。
未練は捨てて、「賞味期限切れ」のものは、思い切って「廃棄」しなければならない。
ドリームビジョンでの「大失敗」のお陰で生まれた「時間」で、「晴耕雨読」ならぬ「晴『読』雨読」で読んだドラッカー、ミンツバーグ、ジャック・アタリ、クリステンセンなどの著作から学んだことを、いよいよ生かす時が来たと感じている。
ここで生かさなければ、ただの勉強で終わってしまう。
「イノベーションとは『行動』である」。実現して初めて意味がある。