サンフランシスコの夏は寒い・・・。

初めてこの街に来たのは、たしか1987年。大学を卒業した翌年の夏だった。もう29年も前のことか

蒸し暑い New York から移動してきたこともあり、驚いたことを憶えている。真夏でも夕方になるとダウンジャケットを着ている人がいる。

今回のSF出張は、昨年からJ-POP SUMMIT のコンテンツのひとつとして開催することになった、Innovation Weekend San Francisco を開催するためだ。

本当はその前に、今月初旬に Berlin で開催したIWのことを書くつもりだったが、このところの超多忙なスケジュールと時差ボケで身体が限界に達していたようで、SF出発前の数日間に、2度も救急病院に行く羽目になり、その時間が取れずにいた。

ところで、初めてのミュンヘンは、きれいな街だった。ビジネスや観光で訪れる人には、とても過ごし易い街だろう。街にはゴミが落ちてなく、”アーティスティックな落書き”もない。治安もとても良さそうだ。街行く人たちも上品な感じがして、街として成熟していることが伝わって来る。BMW等、ドイツを代表するグローバルカンパニーの本社もたくさんあり、経済的な余裕が感じられる。

一方、ベルリンは大雑把というかラフな街であり、色々なものが混在している。外国人が多く、海外から来たスタートアップもたくさんいる。多様性に富み、色々なものを受け入れる懐の深さが感じられる。街中の至るところにgraffiti (アーティスティックな落書き) があり、New York East Village のような雰囲気だ。

ベルリンに住んでいる人たちが言うには、ミュンヘンは地元の人たちのコミュニティが強く、他所から来た人が溶け込むのは難しいところがあるという。確かに、表面的には温和な街も、実際に住んでみないと分からない側面があるのだろう。

初めてのミュンヘン訪問は昨年9月、メルケル首相直轄のデリゲーションが東京に来た際に、日本のスタートアップシーンに関して講演したことがキッカケだった。また、その講演を依頼されたキッカケは、その数週間前の六本木ヒルズでの外国人のコミュニティで、イノベーションをテーマとしたパネルディスカッションにパネリストとして招かれたことだった。

そのパネルディスカッションで知り合ったFranz というドイツ人が、子供に対する教育方針を題材にして、如何にして日本人の起業家精神やイノベーションに対する考え方を促進するか?に関する僕の話に興味を持ってくれたことが、ドイツ政府のデリゲーションで講演を依頼されるという名誉な話に繋がった。

子育てよりも仕事が大事、ということではない、ということだ。

ミュンヘンでのシンポジウムは、Tokyo-Munich FinTech Symposium というタイトルのとおり、FinTech をフィーチャーした講演者にした。主に僕がコーディネートしたのだが、これを縁として紹介して頂いた方々もいて、良い出会いがあった。

紹介するのは少々気恥ずかしいが、Co-Organizer Hermann が編集してくれた僕のKeynote スピーチがYOUTUBEにアップロードされている。興味がある方はご覧になってみて頂きたい。約20分である。敢えて、リンクは貼らないでおく。

ベルリンでは、僕らが2011年から行っており、ベルリンでは2度目となるInnovation Weekend を開催した。たまたま、Innovation Weekend Berlin Euro Cup 準決勝の日が重なり、ピッチ登壇スタートアップのドタキャン(ほぼ全員、投資家との急なMTGとか言っていたが、投資家もドイツとフランスの準決勝を見たいだろうw)や参加者の申し込みの伸びが鈍かったりとハラハラさせられたが、結果的には、100名を超える参加者登録と10社のクールなスタートアップに登壇して頂き、盛況にて開催することができた。同じ週にミュンヘンとベルリンでイベントを開催するのはチャレンジだったが、何とかやり切った!

スポンサーの皆さん、スタッフのみんなのお陰である。この場を借りてお礼を申し上げたい。

ところで、113ヶ月住んだ恵比寿のマンションから閑静な住宅街に引っ越してから、そろそろ1ヶ月になる。その間、ドイツ出張や今回のSF出張があり、僕が新居で生活したのはその半分程度だが、少しずつ、新しい生活を実感し始めている。

駅前の果物屋は安くてハズレがない。いつも美味しい桃やメロンを売っている。サンブリッジのオフィスまでは、door to door 20分少々。本を読む時間ができた。駅前には殆どのメガバンクがあり、日頃のおカネの管理は問題ない。都会の狭小地ではあるが、屋上は友人知人を招いてパーティーが出来るだけの広さがあり、周囲は恵比寿よりも落ち着いている。難点を挙げれば、今まではワンフロアで生活のすべてが済んだのが、今度は3フロアあり、屋上を入れれば4フロアを行き来する必要があることだ。しかし、老後の前に良いエクササイズと理解した。

そんなことで、50歳を過ぎて新しい生活を始めたのだが、最近、いつも思うのは、あと10歳、若かったらということだ。もし10年経っても今の年齢なら、まだあと2勝負できる。

しかし、40代だったら、この幸運と恵まれた境遇に、今ほどは感謝しなかっただろう

若くして実の父母を亡くし、それを糧に生きてきたが、地方都市出身で尚且つ三流大学しか出ていない自分が、東京に、それも都心からほんの3駅で尚且つ閑静な住宅街に、狭いながらも一戸建てを建てるなど、考えもしなかった。

42歳でスタートし、45歳でクローズして、大きなおカネを失ったドリームビジョンという会社での失敗が、浅はかだった僕を多少は利口にしてくれたと思う。

神様は準備が整った時にチャンスをくれるらしい。僕の人生で最大チャレンジの仕事でも準備が整っていることを期待したい。