僕も47歳で「ライフ・シフト」を始めた・・・。

今にして思うと、僕にとっての「ライフ・シフト」は、2010年4月(当時47歳)から、法政大学経営大学院(MBA)で非常勤講師として仕事を始めたり、2011年3月、サンブリッジの仕事を始めた頃だった。

ところで、首都圏にお住まいで、小学6年生のお子さんをお持ちの方々にとって、本日(2/1)は、極めて特別な日だ。東京と神奈川の私立中学の「受験解禁日」なので・・・。

我々の長男もご多分に漏れず、4年生の後半から塾に通いだした。最初に通ったのは、首都圏では有名なエリート進学塾だったが、彼の成績では、そこに通い続ける意味はなく、少人数で個別指導も行き届いている塾に転校ならぬ「転塾」した。

その判断が良かったのか? それから暫くして、彼の成績はかなり向上し、それに連れて本人もやる気が出て、むしろ、勉強する時間が取れないことがストレスになるようにさえなった。

彼の場合、できる科目とできない科目の差が激しく、総合点で争う受験はハンディがあるのは変わらないが、旗から見ていても、ベストは尽くしたと思うので、あとは良い結果が出ることを祈りたいと思う。

ところで、東洋経済オンラインで「大江千里」氏のインタビュー記事を読んだ。とても共感したし、勇気づけられる内容だった。

僕は彼の名前は知っていたし、一時期、日本のポップミュージック・シーンを席巻していたことも知ってはいたが、彼のヒット曲は? と訊かれても知らない程度にしか彼のことは知らない。でも、その記事に書いてあった彼の「生き方」には、とても共感を覚えたし、次にNew York に行った時は、ジャズ・ミュージシャンに「生まれ変わった」彼の演奏を聴いてみたいと思った。

1990年、大江千里さんは「APOLLO」というアルバムを出して、オリコンで「1位」になったそうだが、「前回のツアーでいた人が、1列分ぐらいいないんです。(中略)ヒットして最大公約数のファンを得ることは、本当に好きな人を減らすんだな。これは覚悟しなきゃいけないときが来るんじゃないかな、って直感しました」と、インタビューに答えている。

また、あるプロデューサーが、オリコン1位の彼に「人気がなくなり始めてるって、わかってますよね。これからはプロデューサーとして、別の立場で音楽にかかわっていくことって、考えていますか」と言ったらしい・・・。

それには「はらわたが煮えくり返る」思いがしたらしいが、でも「その言葉は突き刺さりましたね。これはきっとものすごい意味がある、聞き逃しちゃいけない」とも思ったそうだ。

それから10数年後、40代半ばになった彼は、「僕はいつまでやるんだろう。やるんだったら覚悟を決めなきゃいけないことがあるんじゃないか」と思い、2008年、ジャズ・ピアニストを目指し、New York にある「THE NEW SCHOOL FOR JAZZ AND CONTEMPORARY MUSIC」に入学した・・・。

話が長くなるので、興味を持っていただいた方は東洋経済オンラインの記事を読んでいただければと思うが、スタンダード・ジャズを弾くには、数多いる上手なピアニストに勝たなければならず、New York でオーディションを受けても、彼は選ばれない。

となると、「オリジナル曲」を書くしかない。しかし、彼のオリジナル曲を出してくれる「レコード会社」は無い。結論は、インディーズレーベルというとカッコイイが、個人で会社を立ち上げ、オンラインでアルバムを売っているそうだ。

プライドとかそういうこととかではなく、純粋に「音楽が好き」ということだ。

おそらく、僕と同年代の方はご理解されるかと思うが、彼はこう言っている。

「もし僕が二十歳だったら、迷いはあったと思います。だって『あれもできる、これもできる』って残酷なくらい選択肢があるから。でも僕はもう二十歳じゃない。ピアノを練習しすぎるとアスリートと一緒で弾けなくなるから、冷やして、温めて、電気を通してと、いろんな治療をして指を大切にしながら、自分が少しでも美しいと思うものを作る」。

話は変わるが、先日、6年ぶりに八戸に行った。インターネットリサーチ「御三家」として、切磋琢磨し、凌ぎを削った、僕にとっては盟友とさえ言える、インフォプラント創業者で、現在は「八戸学院大学の学長!」を務めている大谷さんからお招きいただき、彼が立ち上げた「起業家養成講座」の「10周年記念イベント」でのパネル・ディスカッションに登壇した。ところが、実は、開催を発表した後で、なんと、9周年だったことが判明したというw!実に大谷さんらしい!!

その「10周年」記念イベントに、爆風スランプで一世を風靡した「サンプラザ中野くん」が応援演説にいらしていた!わざわざ、たかだか10-15分のためにだ!!!大谷さんの巻き込み力、ハンパない!!!

長男の受験の関係で「日帰り」だった僕は、幸運にも、イベント会場から八戸駅までのクルマで、サンプラザ中野くんさん(彼の芸名は「サンプラザ中野くん」という)と一緒になり、駅のドトールでコーヒーをご一緒した。

中野さんの話は、とても示唆に富んでいた。ロックバンド(ロックでなくても)は、ベンチャー企業(スタートアップ)と似ている。

仲間がいないとバンドはできない。でも、どうやって仲間を集めるか? 音楽の方向性は一致するのか? 音楽の方向性が一致してもヒット曲(売上)を出せるのか? ヒット曲が出なければ、バンド活動は継続できない。自分たちの信念を曲げてでも、ヒットする(マーケットにウケる)曲を書くべきなのか? ヒット曲が出ても、次から次へとヒット曲を出し続けられるのか?(売上を向上させ続けられるのか?) そうこうしているうちに、仲間が抜けていく・・・などなど。

ロックミュージシャンに限らず、俳優でも女優でも、次から次へとニュースターが登場する! 常にヒットチャートのTOPで居続けることは不可能に近い。

それでも、音楽が好きなら、自分が生きていく道を自分で探し、自分の生き方は自分で決めなければならない。

「昨年は米国中西部をライブで回って、いろんな意識が変わりました。今年もきっと、越えていくことがいっぱいある。そうやって1年1年重ねていける57歳って悪くない。だから神さま、あともうちょっと生きさせて! 僕、もうちょっと音楽やりたいんですから! そんな感じの大みそかでした」。

来月で55歳!(こうして書くのも嫌だよ!)になるわけで、ビットバレーの熱狂の最中、ネットビジネスを立ち上げた頃の自分とは違う。あれから、そろそろ20年だよ・・・。随分と歳を取ったけど、もうちょっと、プレーを続けたい。

体力は無くなったし、知識・スキル的にも、今を時めく20代30代の起業家たちのようなことはできないけど、今の自分が持っている選択肢を活かして、ドリームビジョンというインディーズレーベルで出来る限りのことをやっていこう。

大江千里さんの生き方から「勇気と自信と希望」を頂いた。ありがとうございます!!!

追伸:長男の中学受験が上手く行きますように!!!