この家に越して来たのは2016年6月25日だったので、今週末でちょうど2年になる。でも、感覚的には一年ぐらいにしか感じない。一方、恵比寿の街は、遠い昔のような気がする。時間の感覚は不思議だ・・・。
今月末で、前職サンブリッジ グローバルベンチャーズの社長を退任してから、ちょうど一年になる。再始動させたドリームビジョンとして、まだ何も具体的なアウトプットは出せていないが、充実した時間だった・・・と思う。
この一年間、シリコンバレー x1回、ロンドン x1回、ベルリン x4回、ミュンヘン x 1回、ハノーファー x1回、ディープホールツ(独)x 1回、香港+深セン x1回、コペンハーゲン x1回、エストニア 1回、パリ x1回、台湾 x1回と、初訪問を含めて、色々なところへ出掛け、色々な人と会った。そして、その数字が示すとおり、僕にとってベルリンは身近な都市になった。
ところで、2018年6月19日、メルカリが東証マザーズに上場した。色々な人が書かれているので、ここで長々と綴ることは遠慮するが、Before メルカリ v.s. After メルカリでは、数年後に振り返った時、その日を境に、日本のスタートアップ・シーンが大きく変わっていった、と思うようになるだろう。そして、そうしなければいけない。
メルカリ創業者の山田さんは、メルカリの上場に際し、「創業者からの手紙」と称して、自社のウェブサイトだけでなく、新聞にも広告を出し、以下のようなメッセージを発信している。
「インターネットオークション市場だけを見ても、海外市場は国内市場の10倍以上の規模があります。少しでも便利な社会を実現するために、できるだけ多くの人の役に立ちたい。その思いを突き詰めていくと、日本だけでなく、世界が舞台となります。特に、多様な人種、文化をもつ人々がいるアメリカで成功することは、プロダクトがユニバーサル化されたことを意味すると考えています」。
あの広告はスタートアップ関係者だけでなく、大企業の経営層の方々も含めて、多くの人が目にしただろう。
その受け止め方は人それぞれだと思うが、個人的には、日本という国は「マイナーな国」だということを、改めて認識した。
人口は、約1億2,700万人。GDPは世界第3位。
その数字だけを見ると、何故、マイナーなんだ? と思うかもしれないが、乳幼児を含めたとしても、日本語を話す人口は日本の人口とほぼ同義。少子高齢化で、中長期的に人口が減るのは、ほぼ間違いない。対して、中国の人口は、約13.5億人。インドは、12億人。アメリカは、3.1億人である。
GDPに関しては、第1位のアメリカが約2,200兆円(ドル=110円換算。以下同様)、中国は約1,400兆円、日本は約560兆円である。「序列」では「第3位」ではあるが、順位は「等間隔ではない」。
別の尺度で見ると、英語人口:約17億人、中国語人口:約14億人。言うまでもなく、日本国内市場に留まらず、英語圏にも打って出れるかどうかで、文字通り、雲泥の差となる(中国にも進出できるに越したことはない)。
また、様々な統計があるが、GDPに占める輸出比率は、16-17%程度。内需経済の国である。つまり、人口が減り、このまま産業構造が変わらなければ、経済の縮小は避けられない。
でも、僕を含めて殆どの日本人は、日本は先進国で、アジア唯一の「G7」国であり、メジャーな国という感覚を持っていないだろうか?
毎年6月にドイツのハノーファーで開催されているCEBITという欧州最大のIT見本市がある。欧州版CESという感じだろうか。かれこれ20-30年、続いているらしい。光栄にも僕は今年のCEBITで、JETROベルリン事務所が主催したセッションで「日本のスタートアップ事情」に関する講演の機会を頂戴した。
初めてハノーファーの駅に降り立って驚いたのは、駅のサインに「日本語での挨拶」が書いてあったことだ。CEBITからの帰りに目にする案内には、ドイツ語、英語、フランス語等に混じって「楽しいご旅行を。またお会いしましょう」と書いてあった。
SONY、パナソニック(松下電器)、シャープ、日立、東芝といった総合家電メーカーが栄華を誇った時代の遺産である。
しかし、僕が初めて参加したCEBITには、残念ながら、そのような日本企業の存在感は感じられなかった。日本に対する関心も、お世辞にも高いとは言えない。今の延長線上に甘んじるのであれば、10年後の日本は、今以上に「マイナーな国」になっているだろう。
我々日本人も、北欧やシンガポールのような「人口500-600万人」の国民と同じような意識を持つ必要があると思う。
ところで、話をメルカリに戻すと、創業者の山田さんは、日本人の野球選手がメジャーリーグで活躍する道筋を拓いた「野茂英雄」選手の大ファンだそうだ。
その野茂英雄選手が常に心がけていたのは、「いいボールを投げる」という極めてシンプルなことだったらしい。
投手にとっての「目的」は、打者を抑えること。つまり、点を取られないことだ。そのためには、より速いボール、より切れ味鋭い変化球、絶妙のコントロールが求められる。
「いいボールを投げる」のは、点を取られないようにするための「手段」と言える。
では、僕にとっての「いいボール」とは、何だろう? 言い換えれば、僕の「人生における目的」は何か? ということだ。目的を明確に定義できなければ、そのための有効な手段は考案できない。
ドリームビジョンの企業理念を含めて、僕なりの考えは勿論あるが、その理念や目的を実現するために必要な「いいボール」とは何か? を明確に答えられるレベルには「言語化」できていない。
再始動させたドリームビジョンの2年目に入るにあたり、より深く、自分と向き合ってみようと思う。