ピアノのリサイタルだった。ボディガード代わりについて来て欲しい。そう頼まれた僕は、母と一緒に出掛けた。季節は憶えていないが、薄手のワンピースを着ていたことを思うと寒い季節ではなかった気がする。
PET(Positron Emission Tomography)検査で撮る画像は、CTと較べると解像度が粗く、診断の精度は落ちるらしい。その代わり、CT画像からは読み取れない情報を医師に与えてくれる。PET検査は、ガン細胞が正常な細胞の3~8倍のブドウ糖を取り込むという性質を利用し、ブドウ糖に近い成分を点滴で体内に注入する。ガン細胞が注入した成分に反応すると「発色」する仕組みになっているが、小さな「炎症」にも色が付くことがあるらしい。肺は外気に晒されているので、色々なことで炎症を起こすことがあるそうだ。3ヶ月前に受けたPET検査の画像には、白い影が写っていたが、先日、撮影したCTでは、その影は小さく、そして、殆ど消えていた。正直、ホッとした。
母との人生はたった15年と11ヶ月だったけど、もし、今、もう一度、会えたとしたら、僕は何と言って声を掛けるだろう? 決して美人ではなかったが、知的で気品がある人だった。
母は45歳の時、肺がんで亡くなった。僕は中学浪人生。次男は中2。三男は、たしか、まだ小学校3年生だった。
中学生の時、僕は福島県では有名な進学校の安積高校を受験した。結果は見事に不合格。定員割れの二次募集で受かった高校に通うも3ヶ月で中退。中学浪人になった。
僕が中退して、来年もう一度、安積高校を受験したいと言い出した時、高校の担任の先生も中学時代の担任の先生も父親も、みんな反対した。母だけが僕を支持してくれた。結果は問わない。但し、一年間、途中で諦めず、最後まで予備校に通うこと。条件はそれだけだった。母が何と言って、あの頑固な父親を説得したのか、今も分からない。でも、母がどれだけ僕のことを愛してくれていたか。あれから40年以上も経った今、よく分かる。その母は翌年、僕が安積高校の再受験にリベンジし、合格したことを知る前にこの世を去った。
この3ヶ月間、事あるごとに、もしものことを考えた。中3の長男は、僕の仕事が何かもある程度は理解しているし、僕の今までの生き方から、僕が彼に何を伝えたいか、何となくは理解しているだろう。でも、小3の次男には、まだ、何も残せていない。CT検査の前日は緊張してあまり眠れなかった。
新型コロナウイルスは、多くの犠牲を生む。大切な人を失う人。仕事を失う人。それと較べたら、僕たち家族はあまりにも恵まれている。晴れた日は屋上でBBQをし、次男と自転車で公園に出掛け、Youtubeを聴きながらのジョギングが日課になった。長男が通う中学はオンライン授業。妻は自宅でリモートワーク。
ところで、僕はストレスが溜まった時、何故か洗面台の掃除をすると気分がスッとする。でも、片付けたい仕事がたくさんあり、でもその仕事を片付けられないと、掃除をする時間を取ろうとすることがストレスになる。欲張りなんだね、僕は。
掃除をしながら、スガシカオが歌う「夜空ノムコウ」を歌っていると、宿題に追われている長男の「気が散るから、ちょっと歌うのやめて…」という声が聞こえてきた。こういう日常が幸せということなんだろうね、きっと。
昔はもっと上手に歌えたハズだけと、声量が哀しいほど落ちている。ニヒルという言葉を今も使うのかは知らないけど、斜に構えず、もっとカラオケに行っていれば良かった。ホントはきらいじゃない。コロナが明けたら行ってみよう。
妻には笑われるけど、若い頃はミュージシャンになりたいと思っていた。実は、ライブも何度かやったりした。
マーケティングジャンクションの吉澤さんが「落とし前マーケティング」と言っていたけど、ある年齢になると、押し入れに仕舞い込んでいた「終わっていない宿題」をやりたくなるんだろうね。例えそれが自己満足だったとしても。今さら通知表は無いし。
人生、日常に感謝して生きていけたら幸せだね。