反逆児。

※写真は、fashionsnap.com (2018年)より。

先程、2ヶ月と一週間ぶりにブログを更新したのは、今日から始まった世界的なファッションデザイナー「山本耀司」氏の「私の履歴書」に心を動かされたからだ。

「反逆児」と題された第一回目には、「父の戦死 怒りの原動力」という見出しと共に、お父さんを戦争で亡くされたことが書いてあった。彼の父親は、生後10ヶ月だった一人息子の耀司さんを抱き上げた後、奥さんに最後の別れを告げたそうだ。

戦死後、黄色い紙切れが一枚届いただけ。遺骨も遺品も無かったそうだ。

「なぜ父が招集されて命を落とすことになったのか? 後に従軍記などを読みあさり、生還者の体験談を聴くうちに、当時の悲惨な状況がおぼろげながら分かってきた。(中略)人の命が紙切れほどの重さしかなかった時代。『一億総玉砕』という軍や政府の無策に付き合わされたバカバカしさに無性に腹が立ってくる。大黒柱を失った家族がその後、どれほど苦労して生きなければならなかったのか」。

戦後の高度経済成長期に生まれ、何不自由なく、放蕩息子として学生時代を送っていた僕には、山本耀司氏の「履歴書」に共感したり、世の中の理不尽さに憤る資格は無いかもしれないし、僕が感じてきたことなど、彼の人生で経験してきたこととは次元が違うだろう。

でも、僕の原動力も、世の中の理不尽さや矛盾に対する怒りや反発だったことを思い出した。

小学生の時、そして中学時代の担任の教師。高校時代の「古文」の教師。最初の起業をしてからの数年間。僕にとっては様々な憤りが原動力だった。

戦争で親を亡くすことと較べたら、はるかにましなことだが、産みの両親を早くに亡くしたことは(母は僕が15歳の時、父は24歳の時に亡くなった)、僕たち3人兄弟の人生に、大きな影響をもたらした。

これから一ヶ月、山本耀司氏の「私の履歴書」を楽しみにしたい。

19歳の頃。僕は下北沢に住んでいた。

※注釈:カバー写真は、Jonny, Louis & Char のアルバム「OiRA」。

下北沢駅前の金子葬儀店には、ジョニー吉長金子マリ夫妻、そして彼らの長男が住んでいた。

中学時代にチャーの存在を知り、その圧倒的なギターテクニックと日本人離れした感性に魅了された僕は、街のレコード屋に、彼のデビューアルバムを買いに行った。あの頃は、歌謡曲全盛期で、周囲はキャンディーズの解散コンサートに行くだの行かないのだのと騒いでおり、ロックの話題に付き合ってくれる友人は少なかった。

大学進学と同時に上京した僕は、Jonny, Louis & Char、その後、ピンククラウドとバンド名を変えた後も、日比谷の野音やインクスティック芝浦等に足繁く通っては、チャーのギターサウンドに酔い痴れていた。

ジョニーもマリさんも、とても気さくで、下北沢の街で会う度に、気軽に会話に応じてくれた。チャーにも偶然、遭遇したことがある。フレンドリーにサインをしてくれて、そこには「またね!」と書いてあった。そのサインはもちろん今でも大切に取ってある。

シーナ&ロケッツ夫妻とお子さんたち(2人とも女の子)も下北沢に住んでいた。鮎川さんはハーフで背が高く目立ったが、シーナは、それ以上に圧倒的な存在感があり、赤いワンピースがとても似合っていた。讃岐うどんの店でしばしば一緒になり、鮎川さんは博多弁で、僕との会話に付き合ってくれた。

YouTube のお陰で、何十年ぶりかで、Jonny Louis & Char やピンククラウド時代の楽曲を聴く機会があった。OiRAやKUTCLOUDなど、明らかにデビュー当時の音楽性とは異なり、チャーがジョニーやマーちゃんの影響を受けていたことが分かる。当時は、そんなことには気づかなかった…。

あの頃の曲を聴いて、下北沢で過ごした学生時代を思い出した。もう40年近くも時間が過ぎてしまったかと思うと何とも哀しくなるが、今でも、あの頃の自分の姿や下北沢の街並みが頭の中に残っている。時間というのは不思議だ…。今どこで何をしているかすら分からなくなってしまったが、大学生の頃、付き合っていた、聡明で芯が強く、とてもキレイだった彼女に、もう一度、会ってみたい。

大前研一氏は、人生を変えるには、方法は3つしかないと言っている。

ひとつは、住む場所を変える。2つ目は時間の使い方を変える。3つ目は、付き合う人を変える。

音楽であれば、誰とバンドを組むか?誰とセッションをするか?起業なら、誰と仕事をするか?どんな投資家を入れるか?顧客はどんな人たちか?で、自分自身のあり方も大きく変わってくる。

Infarm の仕事は、とても変数が多い。作っているのは野菜だが、ハードウエア、A.I.、インターネット、LED、Hydroponics(水耕栽培)、品種改良等、様々なテクノロジーやノウハウが求められる。顧客はスーパーマケットやDEAN & DELUCA等の小売店。今までの人生では縁の無かった皆さんだ。尚且つ、JR東日本と組んで「駅ナカ」に「新業態」を開発するなら、店舗運営や外食産業のノウハウ等、過去20年間、インターネットの中だけで仕事をしてきた僕にとっては、すべてが初めてのことだらけ・・・。僕自身が変わっていく必要がある。

58歳にもなって、まったく新しいことに挑戦できるなんて、それは、とても幸せなことだ。

でも、欲を言うなら、せめて、あと10歳、若かったら・・・と思う。更にいえば、できることなら、あの頃の下北沢に戻ってみたい・・・。

時間は待ってくれない。やりたいことはすべてやる。やりたくないことはやらない。何かを得るには何かを捨てないとね。

人生は短い。

※実はこのエントリーは、今年6月21日に書いて、「下書き」のままおいておいたものだ。精神的にも体力的にもブログを更新する余裕が無かった・・・。

※注釈:カバー写真は、Jonny, Louis & Char のアルバム「OiRA」。