流浪の月。

窓の外から日本語が聞こえた気がして、カーテンを開けてみた。

すると、バックパックを背負った若い日本人女性が友人と話しながら歩いていた。パリの方がベルリンよりも日本人が多いんだろう。住んでいる人も訪問者も。統計を見れば明らかだが、実際、通りを歩いていても、パリの街では日本人を見掛ける。

当たり前だが、異国の地にいれば、僕は異邦人だ。どことなく、心許ない気持ちになる。僕の場合、出張で尚且つ一人で来ることが多いこともあり、余計にそういう心境になるのかもしれない。

ところで、久しぶりに飛行機の中で映画を見た。コロナ前は2ヶ月に一回は海外出張をしており、映画は殆ど飛行機の中で観ていたが、ここ2年半はどこにも行けずにいた。

今年6月、Infarm の幹部会議でアムステルダムに行き、8月は武蔵野大学アントレプレナーシップ学部の学生29人を連れて3年ぶりにシリコンバレーに行った。訪問前、人生が変わるよ!という僕の言葉に半信半疑だった彼らは、初日から、僕の言葉の意味を理解した。

今回のヨーロッパ出張はアムステルダムでのInfarm幹部会議、ベルリンではAsiaBerlin Summit 25周年記念イベントでの講演、そして、西村経済産業大臣のInfarm Growing Center 視察のアテンドと、盛りだくさんだった。

オマケに、フランス管制官のストライキにより、パリ経由の帰国便が欠航になり、予定外の一泊二日のパリ滞在を楽しんだ。

帰りの機中で見た映画は「流浪の月」という日本映画。普段は英語の勉強を兼ねて、洋画一辺倒なのだが、観たい映画がなく、消去法だった。

その「消去法」で観た「流浪の月」という映画に、今までに感じたことのない、形容できない感情を覚えた。

ネタバレで申し訳ないが、父親は病で早逝し、母親は恋人と新しい生活を始め、少女は叔母の家に引き取られる。そこでは、中2の従兄弟に性的虐待に合う。雨の公園でベンチに座ったまま本を開いて帰ろうとしない少女に傘を差し出した大学生に、少女は「家に帰りたくない」という。

世間では「誘拐事件」として報道され、2ヶ月間に及ぶ共同生活の後、通行人に警察に通報され、彼はロリコンの誘拐犯、少女は被害者となる。

人間は常識という名の偏見のもと、社会のマジョリティに適合できない人たちを差別してしまう。男か女か、白人か黒人か黄色人種か、既存の分かりやすい基準で人々をラベリングする。たしかに、その方が楽だろう。

そういう僕の中にも差別の念がある。国家間のイデオロギーに根付くものや歴史的経緯、また、価値観の相違によるものもある。その根底にあるのは、自己防衛本能だろう。何故なら、誰しも、社会の例外として孤立したくないから。

でも、この「流浪の月」という映画は、そのような「安全地帯」に住んでいる自分に対して、大きな疑問を投げ掛け、それまでに感じたことのない感情をもたらした。

話は変わるが「止まらぬ円安。縮む日本」。今朝の日経新聞の一面には、とても落胆した。そんなことは、10年前から分かっていた。遅いんだよ、警鐘を鳴らすのが!

競争力を失った産業を温存。新陳代謝を忌避し、リスクは先送り。

「賞味期限切れ」になった産業に終身雇用という美辞麗句で従業員を縛り付け(縛り付けられた人たちも、そのマヤカシを幸せと勘違いしていたんだろうけど)、新しいスキルを身につける機会を奪い、挙句の果てには「希望退職」という形で放り出す。当然、今の、そして、これからの世の中で必要とされる筈がない。

何が優しくて、何が厳しいのか? 表面だけを見ては、判断を間違える。

リフレ派政策で量的緩和を行い、円安誘導し、輸出型の製造業は「為替」による利益を上げ、株高や不動産価格は上昇したものの、ファンダメンタルズ(産業構造)は何も変わっていない。

欧米諸国は量的緩和の出口を探り、金利を上げ、安全資産と言われた「円」との金利差が生まれた。そこに偶然にもウクライナ危機が発生し、原油価格を始めとする様々な資源高が追い打ちを掛け、あっという間に、1ドル=140台後半に突入した。

資源が無い日本にとって、購買力が強い「円高」の方がいい。議論の余地はない。

1980年代、1990年代は、海外のホテルに泊まると部屋にあるテレビは日本製だったが、2000年以降、サムソン、LGといった韓国製に取って代わられた。

日本は「安い国」「二流国」に成り下がった。

facebookで、日本は「何かあったらどうする」病と揶揄する人を見掛けたが、言い得て妙である。ゴルフで言えば、バーディを取りに行くのではなく、ボギーを叩かないようにプレーする。

一方、シリコンバレーでは、失敗をしていないことはイコール、新しいことに挑戦していないと見なされる。

映画の話と日経の記事は脈絡の無い話に思われるかもしれないが、既存の枠組みに拘泥してはいけない、ということだ。大昔は地球は回っていないことになっていた。

学生たちと一緒に行った3年ぶりのシリコンバレー、そして、今回のヨーロッパ出張を通じて、これからの人生を考えた。

そして、伊藤羊一さんを見習って、年齢は忘れることにした。