さようならGGC。やっぱりDreamVision!(後編) 〜Connecting the dots. 終わっていない宿題。〜

シリコンバレーでの一週間は、改めて自分自身に向き合う時間になった。特にKeith Teareとの対話は、何が自分を衝き動かしているのか? 僕にそのことを考えさせた。

ひとつは、職業的問題意識に根ざすもの。もう一つは個人的情熱というか憧れのようなものだった。
ただ、その両者が、自分のアイデンティティの源泉であり――自分が何者なのか?――をより深く理解することになった。

中学2年生の時だったと思う。

どこだったかは忘れたが、担任の先生が、アメリカのある州との交換留学制度を紹介した。僕は迷わず手を挙げた

だが先生は「中学生には危険だ。高校や大学に行ってからにした方がいい」と言った。
だったら、なぜ紹介したのか? 矛盾も甚だしい。

そのとき以来、僕は「(将来は)海外に住んでみたい」と思い続けてきた。そして「コスモポリタンな人間」になりたいと・・・。

職業的問題意識は、「なぜ、日本から次のソニーやホンダが生まれないのか?」ということだ。

Keithは僕に言った。
日本は大きな潜在力を持っているにも関わらず、それが発揮されていない。だからIkuoは『Next Sony, Next Hondaが生まれて然るべきだ(生み出せないはずはない)』と思っているんだよ」。

確かにその通りである。GoGlobal Catalystとして実施した「日本人と外国人の共同創業者マッチング」は目的ではなく、手段である。高度にグローバル化した世界では、「単一民族国家」という構造は大きなハンディキャップだと思うからだ。

シリコンバレーには、大胆に挑戦を続ける若い日本人起業家たちがいる。
僕は時々、彼らからエンジェル投資をして欲しいと相談されることがある。でも、今の僕は十分な資金がない。

僕は長年、起業家であり、エンジェル投資家としても活動してきた。シリコンバレーのスタートアップに投資し、小さなファンドも運営してきた。そして、周囲には大きな資産を作った起業家仲間がいる。

自分では投資ができないので、そういう彼らを紹介している。

でも、それではおもしろくない。人生は短い。もうひと勝負するなら、今しかない。
「自らが次のソニーやホンダを創ることに挑戦するのか? それとも、誰かを支援することで実現するのか?」。

インタースコープをM&AでYahoo! Japanに売却、WebCrewのIPO、DreamVisionでの挫折、SunBridge Global Venturesでのアクセラレーターの運営。Infarmへの投資し、Infarm Japanの設立。本体はユニコーンになるも破綻。成功も失敗も、すべてが僕のアイデンティティの源になっている。

Connecting the dots.

そろそろ、終わっていない宿題に取り組むとするか!

乞うご期待!

さようならGGC。やっぱりDreamVision!(前編) 〜 10年の思索と1週間の決断 〜

振り返れば、このアイデアは10年前から考えていた。具体的には、Entreprenerur First の二人との出会いがきっかけになっている。では、なぜ10年間も、温めたままにしておいたのか?

それは「日本では機能しないだろう」と思っていたからだ。実際に実施してみると、やはり機能しなかった。

それでも、やってみたこと自体には意味があった。ある意味、自らの仮説が証明されたので(苦笑)。むしろ、今は気持ちが晴れやかである。

僕のブログを読んでくれている人は覚えているかもしれないが、僕が10年間にも渡り、温めてきた構想を具現化させた「触媒(Catalyst)」は、Dan Brassington だった。彼との出会いが無かったら、僕は10年間抱え続けてきたアイデアに着手しないままだったかもしれない。

2024年7月12日(金)、代官山でいつものように彼と会った。その場は「10年間温め続けたアイデアを実行に移す」という決意を告げるためのMTGだった。

ここからGoGlobal Catalyst(GGC)の「実験」が始まった。
2025年7月、GGCとして初めての「Co-founder Matching Program」を実施し、7月22日にはDemoDayを開催した。

実績ゼロの挑戦であったにもかかわらず、30名の応募があり、11名の起業家に参加していただいた。

しかし、僕が懸念していたとおり、日本人の応募者はわずか「3名」。僕が採択し、実際に参加してくれたのは「1名」に過ぎなかった。その1名も僕の10年来の知り合いである。

すなわち「日本人と外国人をつなぐ共同創業者マッチング」という構想は、その名のとおりには機能しなかった。

日本には優れた起業家が数多く存在する。だが、英語でビジネスができるという条件が加わった途端、母集団は極端に小さくなる。

それは、僕が「Co-founder Matching」を考えた理由でもあり、10年もの間、このアイデアを先延ばしにしてきた理由でもある。
その惰性を断ち切ったのが、Danだった。彼の後押しがなければ、僕は一歩を踏み出せなかっただろう。

プログラム終了後、僕たちは都内のカフェで再び顔を合わせた。

Danはシンガポール、バンコク、シドニー、ロンドン、東京に拠点を持つ、「AI」に特化したコンサルティング会社「INCITE Advisory Group」経営している。「AI」という時流に乗り、彼の事業は飛躍的に成長し、彼自身は益々多忙を極めるようになっていた。

そのような事情もあり、彼は「取締役を辞し、持株をGGCに貢献できる他の者に譲りたい」と言って来た。また、彼は多忙さに加えて、日本語が話せず、GGCを支える余力がないと・・・。

僕は彼の申し出を受け入れた。

その一週間後、僕はシリコンバレーに行った。武蔵野大学アントレプレナーシップ学部(EMC = Entrepreneurship Musashino Campus)の学生を対象としたプログラムを実施するためである。

「シリコンバレーでの一週間、GGCをどの方向へ持って行くか?考えなよ」。Danはそう言った。

EMCプログラムでは毎年、僕の起業家仲間や投資先の創業者たちに、学生たちに向けて、起業家としての生き方やシリコンバレーという地域の「磁力や魅力」、そこで生きていくための条件等、メディアの記事では読むことができない、リアルな話をしてもらっている。その一つひとつが示唆に富み、学生だけでなく、僕自身にとっても深い示唆を与えてくれる。

最終日、学生たちはPlug and Playで英語によるプレゼンを行う。帰国子女等、英語が堪能な学生は殆どおらず、皆んな緊張マックスでプレゼンをする。最後は、僕から彼らにメッセージを送るのが恒例である。

僕は毎年、日本の財政状況が如何にクリティカルな状況にあるかや、周回遅れになっている現実を語り、危機感を植え付けてきた。

でも今年は、僕がシリコンバレー滞在中に下した決断――すなわち、GGCを解散するという意思決定とその理由について話をした。

実は、僕の話の前、投資先の一社、ModuleQというスタートアップの創業者、David Brunner が、その週の月曜日、大変遺憾ながら会社を畳むことになったという話を全社員向けに話をした、という話をしてくれた。

学生たちは「2連発」で、とてもシリアスな話を聞くことになった。そんなことで、学生たちは全員、とても神妙な表情で、僕の話を聴いていた。

続きは「後編」にて。