「創業記念パーティ」と「企業理念」。

今日は、僕にとって何度目かの「創業記念パーティ」。

たった2年半前の2009年8月。僕はその先の人生が描けず、失意のどん底にいた。

でも、法政大学経営大学院(MBA)教授の小川先生に拾っていただき、MBAで教えるようになり、だいぶ元気になった頃、今度は2年半ぶりに再会したサンブリッジ創業者のアレン・マイナーから手伝って欲しいと頼まれ、その一年後の今日、このような素晴らしい機会に恵まれた。

僕の人生は起伏に富んでおり、飽きることはない。その代わり、すこしばかりタフなハートが要求される。

ジェットコースターのような人生を歩んでいるうちに、少しずつ、イマチュアなハートが鍛えられてきた。

昨年の今頃も同じようなことを書いたが(色々なことがあり過ぎて、随分昔のことのように感じる)、僕の人生は、ほぼ例外なく、大きな変化は「3月」に起こる。

最初の会社を設立したのは、1991年3月27日。
現株式会社ALBERT代表取締役会長の山川さん達とインタースコープを設立したのは、2000年3月9日。
ドリームビジョンを設立したのは、2006年3月4日。

そして、サンブリッジ Global Venture Habitat 東京オフィサーに就任したのは、2011年3月1日。

サンブリッジ グローバルベンチャーズの設立は2012年1月5日だが、創業記念パーティは3月23日。

因みに、僕の誕生日は、1963年3月30日。

今日の創業記念パーティで僕が話したいと思っていることは、僕にとって7社目の創業にあたる新会社の「企業理念」。

サンブリッジ創業者のアレンから「平石さんの好きなようにやって下さい」と言われて、僕が最初に決めたことは「企業理念」だった。

考えてみると、僕の原動力は、最初の会社を創った時から終始一貫して変わっていない。

僕がやりたいことは「社会の変化を発見し、そこにイノベーションの機会を見出し、それを実現すること」だ。

最初の会社(CREED EXECUTE INC.)の企業理念は「私たちは法人・個人という枠を超え、社会的資源の有効活用による新しい価値の創造とそのビジネスとしての仕組みを創ることをすべての活動の指針(CREED)としています」だったし、インタースコープの時は「科学的アプローチと徹底した人間主義により、新たな社会的価値を創造する」だった。

新会社の企業理念は「『世界に挑戦する人』を創出し、広く社会に『勇気と自信』と『希望』をもたらす、『グローバルイノベーション』を創造する」。

僕の起業家としての21年間の人生を凝縮させ、そこにサンブリッジのフレイバーをブレンドさせて策定したものだ。

イチローが言うように、人間ひとりの力では大きなことはできない。

でも、世の中の流れを感じ取り、そこにチャンスを見出し、仲間を募り、理念とビジョンを共有し、自らが定めた理念とビジョンの実現を心底信じ、そのことにコミットし続ければ、僕は必ず、想いは実現すると思っている。

失われた20年に追い打ちをかけるように3.11が起こり、僕の郷里の「福島県」は「フクシマ」となり、政治は機能せず、既得権益にしがみつく人達が改革を阻む今日、世の中に「勇気と自信」と「希望」をもたらすような大きなことを成し遂げたい。

そのことを創業記念パーティにご来場下さった皆さんに約束してしまおう!

追伸:予報では生憎の空模様。一人でも多くの方がいらしてくれますように!

DCM伊佐山さんとの3年ぶりの再会。

今回は公私ともに慌ただしくしており、シリコンバレーに来ることを事前に連絡していなかったのだが、facebook のお陰で色々な方からご連絡を頂き、貴重な再会をすることができた。

僕たちのようにネットビジネスの世界に生きている人間にとって、facebook は完全に社会インフラになっていることを改めて実感した。

さしずめ「オンライン掲示板」という感じである。

そんなことで昨日は、DCMというシリコンバレーでも有名なベンチャーキャピタルの伊佐山さんと約3年ぶりに再会した。

伊佐山さんとは、元ソニーCEOの出井さん(現クオンタムリープCEO)が主催されている会合で知り合い、サンドヒルにあるDCMのオフィスを訪ねたことがある。

当時の僕は、思うように行かなかったドリームビジョンの仕事を大きく変え、人材紹介業を閉じる決断をし、今から考えると、どう考えても上手く行くはずのないオンラインメディアを立ち上げた直後だったのだが、その取材でシリコンバレーに来ていた。

僕が立ち上げたメディアは「挑戦する生き方」がテーマで、人生を懸けて何かに挑戦している人の姿を紹介することで、人生を生きる「意味」や困難に立ち向かう「勇気と自信」を持つ「きっかけ」を提供することが目的だった。

伊佐山さんは、僕が取材をさせていただいた後、約3年ぐらい、日本に本拠地を移し、DCMが運営するファンドに日本の投資家から投資してもらうための営業活動をしていたそうだが、「外資」のファンドに出資してもらうことは決して容易いことではなく、とても苦労をされたという。

そんな中で、僕が書いた記事が「自己紹介」ツールとして「とても役にたった」という、嬉しいお話を伺った。

僕は、ドラッカーのいう「イノベーションの7つ機会」と、彼がその中で最も成功確率が高いという「予期せぬ成功」という概念にとても納得しているが、伊佐山さんの話で、ドラッカーの原理を改めて実感した。

元SONY米国法人の本間さんという方からも同じようなことを言っていただいたことがあり、経済的には、少なくとも直接的には、何の成果をもたらさなかったが、それを補って余りある成果があったののかもしれない。

ひとつだけ、自信を持って真実だと言えるのは、どんなことでも「一生懸命」に「取り組む」ことが重要で、今回の再会も、僕が一生懸命に彼のインタビュー記事を書かなかったら、実現していないだろう。

時間はかかるかもしれないし、苦労はすると思うけど、必ず、努力は報われる。

もし、そうでないとしても、努力すらしなければ、絶対にチャンスはやって来ない。

@EVERNOTEの会議室

iPhoneからの投稿

祝:大谷さん、八戸大学の学長就任!

僕の人生は、常に慌ただしいようだ。

今年は新会社の設立、2人目の子供の誕生、法政MBAで主査として初めての修士論文指導、新オフィス稼働、長男のインフルエンザ、また、今日は主査として担当した藤田さんが最優秀プロジェクト賞を懸けての最終発表会(結果は3位入賞!)、そして、日付が変わって29(水)00:05@羽田発のフライトでサンフランシスコ&シリコンバレーへ出張。

流石に身体が悲鳴をあげたのか、先程まで激しい頭痛と吐き気に襲われ、本当に飛行機に乗れるのか?という状態だったが、診療時間が終了しているところを無理を聞いてもらい、近所の掛かりつけの医者でもらってきた薬が効いてきたのか、何とか自宅を出発し、先程、羽田国際線ターミナルに到着した。

成田と較べて、格段に近い!

ところで、長男のインフルエンザ騒ぎで八戸行きはキャンセルさせていただいたが、先週の金曜日、盟友の大谷さん(インフォプラント創業者)が八戸大学の学長に就任することが発表された!

素晴らしいことである。

「インターネットリサーチ御三家」と言われたインフォプラント、マクロミル、インタースコープだが、それぞれの事業がそうだったように、その創業者のその後の生き方も三者三様である。

ひとつだけ共通することは、3人とも自分の理念(ポリシー)に忠実に生きているということだ。

「生き方」という意味では、次男が生まれたことで、親としての責任をより一層、感じるようになった。

彼が社会に出て活躍する姿を見れるまで、元気でいたいと思う。

若くして亡くなった両親の無念さが、分かってきたような気がしている。

追伸:子供が生まれたことで、実家から今の母が手伝いに来てくれている。

僕は子供の頃、両親と父方の祖父母、そして、父の妹2人と一緒に暮らしており、いわゆる大家族だった。

母と妻と長男と僕とで食卓を囲んでいると、あの頃のことを思い出す。

文明の発達と引き換えに、無くしたものがあるようにも思う。

それ故に、僕たちはこうして、facebook や Twitter やブログを通じて、自分と価値観や生き方を共有できる「コミュニティ」を欲しているのかもしれない。

iPhoneからの投稿

「一生、チャレンジャー(挑戦者)でいたい」。

2月3日。今日は「節分」。文字通り、季節を分けると書く。今日を境に少しずつ暖かくなっていくことを期待したい。

ところで、とあることで一昨日から妻が入院し、ここ2日間、子供とふたりで過ごす夜が続いている。

無くしてみて初めて、その存在の大きさや有難みに気づくというが、まさしく、そう思う。

ところで、激動に揺れた2011年が終わり、2012年を迎えて一ヶ月が経った。

昨年後半からあまり書かなくなったブログも最後の更新から一ヶ月、そして、サンブリッジ グローバルベンチャーズを設立してからもちょうど一ヶ月ということで、久しぶりにブログを書くことにした。

さて、書きたいことは色々あるが、嬉しい出来事があった。

先程、起きてきてfacebook をチェックしていたら、Message の Others のところに「1」とあり、何かな・・・と思ってクリックしてみると、今から12~13年前、僕が原宿のマンションの一室で、ベンチャーとは言えない零細なベンチャーを細々と経営していた頃に訪ねてきてくれた、当時、とある証券会社に勤めていたという方からの「起業します!」という挨拶だった。

その彼には大変申し訳ないが、彼のことは覚えていないし、その時の僕が、彼にどんな話をしたのかも当然、覚えていない。

でも、「『起業したい!』と思ったのも平石様から大きな影響を受けた所が非常に大きいと思っております」という一文を読み、とても嬉しく思ったと同時に、自分自身の生き方に責任を持たなければいけないと、改めて思わされた。

実は、以前にも何度か今回のようなことがあり、その都度に同様な思いをしてきたが、僕にとっては「7度目の創業」にあたるサンブリッジ グローバルベンチャーズを設立して一ヶ月目の「節分」に、そのようなメッセージを頂戴したことは、何かの「意味」があると思っている。

事実として、彼に返事を書きながら、今からちょうど12年前(干支でいう一周。あの時も年男の翌年だった)、現ALBERT代表取締役会長の山川さん達と一緒にインタースコープを創業した頃、自社のウェブサイトのスタッフ紹介でのメッセージに、「一生、チャレンジャー(挑戦者)でいたいと思います。僕にとっての挑戦とは、一生、自分らしく生きていくことです」と書いていたことを思い出した。

メッセージをくれた彼に感謝し、彼の決断に恥じないよう、僕自身も頑張っていかなければと思う。

二つ目のトピック。サンブリッジ グローバルベンチャーズでは「2/27~3/2」の5日間、大学生と大学院生を対象とした「jannovation spring」という、シリコンバレーでの「缶詰プログラム」を開催する。

実はこのプログラムのきっかけは、サンブリッジ創業者のアレンが関西出張に行った際、とある教授の方との話で盛り上がり、彼の一存で決めてきたことであり、突如として発生した台風のようなプロジェクトに、現場のスタッフは大騒ぎとなった。

まあ、いつものパターンで、慣れていると言えばそれまでだが、僕のように何度か起業し、会社経営をしてきて、尚且つ、アレンと歳も近い人間は別として、若いスタッフは、アレンから言われたら、そりゃ、ノーとは言えない。

こうして書きながら、インタースコープ時代やドリームビジョンとしてスタッフを抱えていた頃の自分を思い出し、アレンを反面教師(失礼!)としなければと思う次第である。

但し、サンブリッジの仕事とは言え、僕の責任で開催を決定した「Innovation Weekend Grand Finale 2011」に、アレン(サンブリッジ)がスポンサーしてくれたお陰で何とか開催できたことを考えると、僕が「jannovation spring」開催に責任を持つのは、ある種、イーブン(フェア)な話である。

ところで、その「jannovation spring」だが、準備の時期が「Innovation Weekend Grand Finale 2011」と重なり、昨年の間は、僕は殆ど手伝うことができなかったのだが、何とかスポンサー企業の目処もたち、無事に開催できそうなところまで漕ぎ着けた。

ここまで来れたのは、例によって超優秀なインターンの面々のお陰だが、それに加えて、シリコンバレー側のスタッフのコミットが大きい。僕のブログ上で恐縮だが、心からお礼を申し上げたい(まだ、終了していないので、お礼を言うのは早いけどw)。

そして、今年からGVH(Global Venture Habitat)大阪の責任者となった牧野というスタッフの頑張りなくしては、ここまでさえ、来れていないと思う。

その牧野のリクエストで、「代表者からの挨拶 ~ jannovation spring に懸ける想い ~」という原稿を書いた。

今日明日には「jannovation spring」のウェブサイトがカットオーバーされると思うが、節分と立春(明日)に因んで、僕のブログにも掲載させていただくことにする。

実は、この原稿、少々恥じらいながら書いたことが文脈に表れていたらしく、シリコンバレーオフィス責任者でサンブリッジ グローバルベンチャーズの取締役でもある川鍋が「思いが直球で伝わるように原稿を変えてみました」というメッセージと共に、少々リライトしてくれた。

以前にも書いたとおり、アレンとは個人的に12年の知り合いだが、サンブリッジという会社としては「外様」である僕にとって、こうして、理念とビジョンを共有できるスタッフと仕事ができることは、とても幸せなことだ。

実は、アレンからは昨年の夏前から、(サンブリッジに)フルコミットしてもらえないか?と言われていたのだが、当時の僕は、また大きな責任を背負い込むことと、ドリームビジョンの株主に対する責任から、良い返事を避けてきたのだが、前者はともかく、後者に関しては、サンブリッジの仕事を通じて(実際に、ドリームビジョンから SunBridge Startups LLPに出資をしている)、彼らへの責任を果たしていこうと決断をした。

三つ目のトピック。今年に入って2冊目となる「日本人がグローバル資本主義を生き抜くための経済学入門」という本を読んだ。

「もう代案はありません」という副題がつけられたその本の著者は、藤沢数希という、アゴラ言論プラットフォームでのブログで有名な外資の投資銀行に勤務する人だが、計算科学や理論物理学の分野で「博士号」を持つ彼の著作は、極めて複雑な経済や高度な理論が、とても平易な言葉で分り易く解説されており、僕のように経済学部を出たわけでもない人間が読むにはうってつけの本である。

是非、一読されることをお勧めする。

そして、ドリームビジョンとして手掛けていた人材紹介業から撤退し、エンジェル投資と投資先の社外取締役や顧問等の仕事を除き、一切の仕事を止め、毎朝、妻を仕事に送り出した後、カフェをハシゴしながら、唯ひたすら「読書」をすることが日課だった2009年に読んだ「自助論(スマイルズ)」を、今こそ、全国民に読んで欲しいと思う。

また、福沢諭吉が書いた「学問のすすめ」は、人口が「3,500万人」しかいなかった当時の日本で、なんと「350万分」が売れたそうだが、それはつまり、赤ちゃんから高齢者まで含めた10人に1人が読んだことになり、当時の日本国民には、そういう「危機感」とスマイルズの「自助の精神」があったということである。

10年ほど前、作家の村上龍氏は「希望の国のエクソダス」という本の中で、「この国にはなんでもある。本当にいろいろなものがあります。だが、『希望』だけがない」と書いたが、3.11で不幸にも被災した方々や一部の尊敬すべき人達を除き、今の日本には「自助の精神」が足りないと思う。

話は変わるが、田中康夫氏が国会答弁で述べたように、「遺伝子組み換え」の食料が輸入されてくることは断固として阻止しなければいけないが、そのこととTPP参加の是非は別の議論である。

上述の藤沢数希氏の著作によると、1970年以降、政府の「コメの減反政策」に関する「補助金」に「年間2,000億円」という国費(税金)が投入され、その額は現在までに「累計7兆円」にもなるという。また、OECDによると、日本の農業への直接的な補助金と、関税800%というコメのように極めて割高な農産物を買わざるを得ない間接的な日本国民の負担の合計は、毎年「5兆円」を超えているらしい(L.A.に住む叔母は日本に来る度に、野菜が高い高いと言って文句を言っている)。

僕は、藤沢数希氏の著作を読み、読書が日課だった日々に読んだミルトン・フリードマンの「資本主義と自由」を思い出した。

「jannovation spring に懸ける想い」の中に、既得権益に群がる人達ということを書いたが、僕には「族議員」や「自助努力を忘れて、政府に助成金の陳情をする人達」や「赤字国債を発行し続ける政治家」が理解できない。

しかし、一国の政治のレベルはその国の国民のレベルを表すわけであり、環境や周囲を批判する暇があったら、自分にできる努力をコツコツと積み上げ、足元から変えていく以外に方法はない。

僕にもう一度、大きな責任とチャンスをくれたアレンと僕の決断を支持してくれたドリームビジョンの株主の期待に応えるためにも、若くして亡くなった両親の愛情に応えるためにも、そして、僕が生まれ育った日本の復興の一助となれるよう、一生、挑戦者でいられるよう、頑張っていこうと思う。

「人生はすべて必然」。新年への抱負に代えて。

今年も残すところ、あと2週間となりました。皆さんは、いかがお過ごしでしょうか?

さて、僕がアメブロでブログを書き始めた2006年4月以来、これだけブログの更新ができなかったのは初めてでした。

最後に更新したのは11月5日なので、なんと一ヶ月以上も更新できずにおりました。

最近はfacebook での投稿がメインになってしまっているということもありますが、とにかく、仕事が忙しく、僕なりのスタイルのエントリーを書く時間が取れなかったのが一番の理由です。

今日は、僕のブログに読者登録をして下さっていたり、いつも読んで下さっている方々へのお詫びを兼ねて、近況報告のエントリーとしたいと思います。

まず最初のご報告として、12/15(木)13:30~@六本木ヒルズ49F(アカデミーヒルズ)にて、Innovation Weekend Grand Finale 2011(IWGF2011)と題したイベントを開催しました。

お陰様で、約300人の方々にご来場いただき、盛況にて開催することができました。

このイベントは今年5月20日に、ネットエイジを再始動された西川さん、1990年代の後半から日本のネット系ベンチャーシーンを取材・報道し続けているベンチャーナウの竹内さんと一緒に立ち上げた「Innovation Weekend」という活動の今年の集大成として行ったものです。

サンフランシスコで注目のシードアクセラレーター、RocketSpace Inc. Founder & CEO, Mr. Duncan R. LoganCyberAgent America, Inc. President & CEO, 西條さん、そして、シリコンバレーで Angel Investor として活躍中の Mr. Richard Chen(元Google Inc.で現在は「はてな」の非常勤取締役としても有名)を招聘し、「Go Global !」をテーマに、それぞれの立場から、とても示唆に富んだ話をしていただきました。

また、僕の20年来の友人で、現在はシリコンバレーで「2度目(日本を入れると3度目)」の起業に挑戦中の吉川さんに、シリコンバレーのご自宅からSkypeで参加していただき(これがテクニカルトラブルで大変でした!)、シリコンバレー在住12年の苦労話をしてもらったり、今年8月に米国で会社を登記しサンフランシスコで活動を始め、ビザの関係で一時帰国中の若手起業家のホープ、Wondershake 鈴木さんに、この数ヶ月の苦労話と収穫について話をしてもらったり、SunBridge Partners の川鍋からはサンブリッジのシリコンバレーでの取り組みを紹介してもらったりと、盛りだくさんの内容でした。

そして、Innovation Weekend のメインコンテンツは、新進気鋭の若手起業家による「ピッチコンテスト」です。

IWGF2011では、歴代のInnovation Weekend 優勝者と準優勝者(第1回から第5回。なんとほぼ毎月、開催してきました!)に、一般公募と主催者推薦の中から13社を選出し、さらに、ウェブ上の投票により選出した6社を加えた「計17社」による熱いバトルが繰り広げられました!

そして、見事、優勝された「グラモ後藤さん」には、来年3月にシリコンバレーの Plug and Play Tech Center で開催される国際的な起業家イベントである「i-EXPO」への出場権を贈呈いたしました!

そんなことで、とにかく、忙しくしており、ブログの更新が滞ってしまった次第です。何卒ご了承下さい。

尚、このイベント(IWGF2011)は、昼夜を問わずに必至に働いてくれたサンブリッジのインターンの皆さんと当日のボランティアの皆さんの存在無しには、実現できませんでした。

>インターン&ボランティアの皆さん、本当にありがとうございました!打ち上げをやりましょう!

ところで、もうひとつ、大切なご報告があります。

今年1月に、創業者のアレンマイナー氏と2年半ぶりに再会したことがきっかけとなり、Global Venture Habitat(GVH)東京オフィサーとして、3月から関わり始めたサンブリッジですが、投資機能を含むGVH事業を会社分割によりスピンオフさせ、株式会社サンブリッジ グローバルベンチャーズを設立し、代表取締役社長に就任することになりました。

とても責任重大な職務であり、大きなプレッシャーを感じていますが、1991年に初めての起業をしてから20年という節目の年に、このような機会を与えてくれた関係者の皆様方に心から感謝をしています。

そして、本気で「世界一のGlobal Seed-Accelerator(グローバル・シードアクセラレーター)」を目指し、チーム一丸となって挑戦をして参ります!

皆様のご支援ご指導を宜しくお願い申し上げます。

最後にもうひとつ、ご報告させていただきたいことがあります。

2009年の夏、失意のどん底で、毎朝、妻を仕事に送り出した後、ただひたすら、ドラッカー、ミンツバーグ、クリステンセン、スマイルズ等の経営に関する書籍をカフェを梯子しながら読んでいた頃、突然(久しぶり)に電話をかけていらした法政大学経営大学院イノベーション・マネジメント研究科小川孔輔教授のお導きにより、2010年4月より、同大学院(MBA)の兼任講師としての仕事を始めたわけですが、今年4月より、客員教授を仰せつかり、現在、3人の学生の方々の指導担当をさせていただいており、とても名誉なことと思っていると同時に、大きな責任を感じています。

それまで働いていた会社を退職し、人生のReDesignをするために大学院に入学し、必至に勉学に励んでいる方々に、僕の今までの経験、特にドリームビジョンで大失敗をした経験をもとに、少しでもお役に立てていればと思っています。

これまた幸いなことに、アレンおよび関係者のご理解により、法政大学経営大学院の仕事も続けていけることになり、本当にありがたいことと感じています。

そして、僕を信じて、株主として僕に懸けてくれたドリームビジョンの株主の皆さんには、何ひとつ、結果を残せていないにも関わらず、僕の新しい挑戦を温かく見守っていただいていることに、心から感謝をしています。

以上、ここ最近の近況報告をさせていただきましたが、今年は本当に色々なことがありましたね。

「福島県」出身の僕にとっては、忘れられない年になりました。

先達の血の滲むような努力により、Japan Miracle とまで言われた「昭和の高度経済成長期」に生まれ育ち、その恩恵を存分に享受してきた世代のひとりとして、この国難を打開するための一助となれるよう、甚だ微力ではありますが、自分自身が持って生まれたものを存分に発揮し、頑張っていこうと思います。

「4度目の年男」の終わりに、近況報告と「新年に向けての抱負」を兼ねて。

皆様、良いお年をお迎え下さい!

合理は語れない。非合理は「ストーリー」になる。

Steve Jobs が亡くなったことに対する僕たちの子供の反応について書いたエントリーに、かれこれ14年の付き合になる友人からメールがあった。

ここのところ、公私ともに忙しくしており、返事も書けないままだったので、そのお詫びを兼ねて、このエントリーを書くことにした。

因みに彼は、僕がアメブロでブログを書き始めてから、ひとつのエントリーの例外もなく、皆勤賞で僕のブログを読んでくれているという。

ありがたい話である。

ところで彼は、やはり、Steve Jobs について書かれた大学時代の研究室仲間の方のブログに対して、ソフトバンクの孫さんが言うように、「100年後の人々は、Steve Jobs とレオナルド・ダ・ヴィンチ並び称するだろう」とコメントを残している。

また、Macは使ったことがなく、Windows 派の彼は、ビル・ゲイツは、ダ・ヴィンチではなく、ロックフェラーやカーネギーと並び称されるだろうともコメントしていた。

たしかに、芸術家と事業家という違いが、その生き方からも感じられるように思う。

ところで、ブランド論で有名な片平先生が、ある講演で言っていたことが頭に残っている。

それは、「合理的に突き詰めていけば、同じような結論に至る」ということ。

そして、「合理は語れない。非合理は『ストーリー』になる」と仰っていた。

自ら創業した会社を追われ、一度は失意のどん底に落ちた Steve Jobs に頼らざるを得なかったアップルは、彼の復帰と共にパソコン(Macintosh)依存を打破し、時価総額世界一の企業になった。

何が合理的(理に適う)かは、その人の価値観によって異なるわけで、世の中一般的には非合理でも、自分にとって合理的ならそれでいい。

たとえカッコ悪くても、Stay Yourself!

iPhoneからの投稿

訃報

サンブリッジのオフィスでMTGをしていたら、iPhone に弟から電話があった。

何かと思って電話に出ると、上野で小さな町工場を営んでいた親戚のおじさんの訃報だった。

彼は、亡くなった父親の従兄弟にあたり、僕たちの父親と、とても親しくしていたことから、僕が大学生の頃、よくバイトをさせてもらっていた。

あれは大学2年の時だったが、とても暑い夏で、おじさんの会社で重たい荷物を担ぎながら、今日は暑いな・・・と思い、帰宅してニュースを見たら、その日の最高気温が37.4度だったことを今でも憶えている。

小さな町工場とはいえ、まがりなりにも経営者だったおじさんは、社交的な性格も相まって、とても顔が広く、高校生の頃、後楽園球場や神宮球場で行われたオールスターゲームのチケットを取ってもらい、何度か観に行ったりした。

若気の至りで起業し、会社の経営を始めた僕に、色々とアドバイスをくれたのも、おじさんだった。

早くに(僕が24歳の時)父親を亡くした僕にとって、第二の父親のような存在だった。

とにかく、とても面倒見の良い人だった。

最後に会ったのは、いつだっただろう?

いつも、ウィットに富んだ冗談を言っていたおじさんは、もうこの世の人ではないことが、にわかには信じられない。

今年は、3.11を皮切りに、衝撃的な出来事が続く。

間違いなく、世の中全体が大きな転換点にある。

亡くなった人には二度と会えないが、こうして、おじさんのことをブログに書くことで、少しでもおじさんの供養になればと思う。

人生はいつなんどき、どうなるか誰にも分からない。

Steve Jobs が言ったように、毎朝、鏡の中の自分に向かって、今日が人生の最後だったとして、今日の予定は本当に自分がやりたいことだろうか?と自問し、毎日毎日を一生懸命に生きるしかない。

今この瞬間に決められないことは、おそらく、一生かかっても実現しない。

明日は、最後のお別れに、おじさんに会いに行こう。