言葉は「誤解」を生む。

「沈黙は金なり」という言葉で検索してみた。すると、とても意味深いコラムが出て来た。

「言葉は短くなることで記憶に残るが、短くし過ぎると本来の意味が薄れてしまうことがある」という。

そして、「言葉を短くすると意味が発散して分からなくなります。そこには思いこみだけが生まれ、正しい理解は遠ざかります。コミュニケーションも同じです。必要な言葉で済ますのではなくて、十分な言葉を添えなければなりません」と書いてある。

たしかにそう思う。そのことを、身をもって経験したことがある。

僕が昨年、あるところで講演した際のことだ。

「お金があると、実は『お金では買えないもの』を守ることができる」という僕の発言に対して、ある方のブログで痛烈に批判をされていた。

このブログでも何度か書いたとおり、僕は物凄い貧乏な生活もしてきたが、その方は、僕がそんな人生を歩んできたことは知る由もなく、ステージで講演している僕のことしか知らないわけで、拝金主義の鼻持ちならぬ輩だと思われたのだろう。

「人に何かを伝えるというのは、とても難しい」いうことを、改めて考えさせられた。

さらに難しいのは、誤解を恐れて当たり障りのない、あるいは、万人に受け入れられるような話しや表現をしていては「相手の印象には残りにくい」ということである。

そもそも僕は、リスクを取って生きることを選択しているわけで、周囲の批判を恐れていては思い切ったことはできないと思う。

しかし、それも、僕の「表現力の無さ」かもしれないし、あるいは、その時の僕の中に「奢り」や「慢心」があり、それが言葉に出ていたのかもしれない。

ところで、このエントリーを書いていて、亡くなった母が僕に言っていた言葉を思い出した。

「あなたは味方も1,000人つくるけど、敵も1,000人つくる人だから、そのことは覚えておきなさい」と母は言っていた。

実際、同じ講演に対して、「とても素晴らしかった」とコメントをくれた方もいる。

すべては「自業自得」。批判も含めて、すべてを受け入れていこうと思う。