先日の日経新聞にスピードスケートの清水宏保選手の記事が載っていた。
長野五輪で金メダルを取り、ソルトレークシティでは銀メダルを取ったスピードスケートの頂点に立っていた彼が、トリノ五輪では「18位」に沈んだ。金・銀・18位という順位が示すように、彼の存在感も薄れていったのは事実だと思う。
特に、長野五輪での「デビュー」が鮮烈だったが故に、その残像を背負うことになった彼は、周囲の期待に応えるために、凡人には想像さえできないような苦悩と努力があったのだと思う。
その清水選手が、トリノ五輪では「ただこなしていた」と語っている。情熱もモチベーションも上がらず、勝ち負け以前の「限界」を見たという。
最近、最初に起業した頃のこと、鳴かず飛ばずだった頃、インタースコープを創業した頃、VCから1億以上のお金を調達したものの、本当に結果を出せるのだろうか?と思い、日々、不安で仕方が無かった頃、インタースコープがようやく軌道にのったものの、自分の役割について悩んでいた頃のことを思い出しており、清水選手の胸の内に想いを馳せた。
清水選手は、進退を思い悩んだ結果、今年3月に「現役続行」を宣言したが、その後も「迷いというか、いろいろな不安がある中、このままスケートを続けていいのかと思っていた」らしい。
吹っ切れない気持ちを抱える中で、清水選手が気づいたことがあるという。それは、「様々な経験をしているから、余分な情報が入って邪魔をする」ということだそうだ。
頭の中をリセットするには約半年かかったとも書いてある。実績抜群のベテランゆえのこだわりをぬぐうと、再び視界が開けてきた、とも。
また、8才年下の杉森選手に職人を紹介され、「靴を作ってもらいたいと思う人と出会えた」という。
そして、「今は、あそこで辞めなくてよかったという感覚がある」と語っている。
孤高の人が好き(憧れ)で単純な僕は、新聞や雑誌の記事を読むだけで、とても励まされ、勇気づけられる。
清水選手の「生き方」には、とても深いものを感じる。