「若さ」を差し出す代わりに知識や経験を得る。

僕のブログを読んで下さっている方の中には、板倉雄一郎さんをご存知の方も多いかと思う。

インターネットが世の中を席巻する以前、日本のベンチャーシーンを席巻した人である。
30億円以上の負債を抱えて会社を倒産させて、自己破産をした人でもある。

「社長失格」という著作でも有名な人である。

彼は今、板倉雄一郎事務所という名称で「投資」や「ファイアンンス」に関する仕事をしているが、先日、アライドアーキテクツ中村さんと話しをしていた時、彼が「板倉さんって、物凄く頭がいい人ですよね」と言っていた。

「僕はお会いしたことがないので分からないけど、そうなんでしょうね」と返事をしたところ、「僕も会ったことはないけど、ブログを読んでいると(とても頭がいいということは)分かりますよ」とのことだった。

それで早速、板倉さんのブログを読んでみた。

板倉さんは理系の人で、彼が初めて創った会社はゲーム開発会社だったと思うが、たしかに論旨の展開が非常にロジカルであり、彼のブログには僕の苦手な「数式」がしばしば登場する。

中村さんが何を言いたいのか、分かるような気がした。

実は板倉さんと僕とは同い年(1963年生まれ)であるが、その板倉さんが書いていたことで「なるほど」と思ったことがある。

「若き起業家に会うたびに、「若さって、それだけで価値だよな」と思います。
(いや、そう思う歳に、僕自身が成ったということでしょうか)

言うまでも無く、若さには価値があります。
しかし、若さに価値があるということは、一方で、
時間経過と共に「若さの価値」は減少して行くということでもあります」。

そう、若さの価値は減少していくのである。

また、板倉さんは、こうも続けている。

「つまり、
時間経過によって「若さの価値」は減少するが、
一方で、時間経過の中で、経験や知識を習得し、
社会からの信頼が増大(=リスク認識が減少)すれば、
トータルとしての人の価値が「時間経過と共に増大」することになります。
ちなみに、
PV=FCF(1)/(WACC-g) に無理やりあてはめれば、
人の現在価値=
(「若さの価値」+「知識経験の価値」)/(「社会からの信頼の逆数」-「成長率」)
ということになるでしょう。
(生み出すキャッシュフローが、人の価値のすべてだ、
 と言っているわけではありません。
 あくまで、ファイナンス理論にあてはめれば、という意味です。)

刻一刻、我々すべての人間は、間違いなく「若さの価値」を失います。
失った「若さの価値」以上に、素晴らしい経験と知識を身につけることによって、
時間経過による「若さの価値の減少」以上に、
他の価値を手に入れることができます。
逆に言えば、
素晴らしい経験のチャンスや、知識習得のチャンスを逃していれば、
ただただ、時間経過による「若さの価値の損失」だけで終わってしまいます。

私たち人間のすべては本来、
「若さを差し出す代わりに知識や経験を得る」という「投資家」なのです。
投資家として成功するためには、
「差し出す時間以上の価値を手に入れる」を死ぬまで繰り返すことでしょう。
もちろん、
得られた知識や経験を社会に還元して初めて、
「社会にとっての価値」となり得、当人のキャッシュフローと成り得るわけです。

つまり、「One for All and All for One」ってことです」。

43才になった僕は、決して若いとは言えないが、50才になってからでは出来ない(したくない)ことを、今、やっているのであるが、43才という自分の時間を差し出す以上の価値とは何か?そのことを自問自答してみようと思う。