自分自身であることの孤独。

インタースコープを経営している頃、自社のウェブサイトにある自己紹介ページに、「僕にとってのチャレンジとは、一生、自分らしく生きていくことです」と書いていた。

では、僕にとっての「自分らしさ」とは何か?

それは、いくつかの要素があるが、

・常に何かに挑戦をしている。
・イノベイティブなことに挑戦する。
・社会的に有意義なことを行う。
・人間関係を大切にする。
・一生懸命に頑張っている人を応援する。
・経済合理性を求めつつも、人の感情の機微を大切にする。
・長いものに巻かれない。

こんなことである。

文字にしてみると、特別難しそうなことではないと思われるかもしれないが、自分を貫くことが辛くなる時がある。

自分自身のことを書きたいところであるが、なかなか分かりすい事例がないので、先日もブログに書いた田坂広志さんの著作(自分であり続けるために)で描かれていたことを紹介したいと思う。

それは、「一つ目国の悲劇」というものだが、ある旅人が、旅の途中で道を見失い、住人のすべてが「一つ目」の国に迷い込んだという話し(寓話?)である。

その旅人は、最初の頃は、一つ目の人々を不思議に思い眺めていたが、徐々に自分だけが「二つの目」を持っていることが異常なことのように思えてきて、最後は「その孤独」に耐え切れず、自ら片方の目を潰し、一つ目になってしまったという。

古くから僕のブログを読んで下さっている方はご存知の話かもしれないが、ここまで書いて自分自身の事例を思い出した。

僕が小学生の頃、友達5~6人でラーメン屋に入った時、その中のひとりでガキ大将風の奴が最初に「味噌ラーメン」を頼んだところ、他の友人は僕も私も「味噌ラーメン」と続き、僕だけが最後に「塩ラーメン」と頼んだ。すると、「なぜ、お前はみんなと同じものを食べないんだ」と言われたので、「なぜ、自分の小遣いで自分が好きなものを頼んじゃいけないんだ?」と言ったところ、次の日から僕は「仲間外れ」にされた。

でも、僕は、その彼に迎合することはしなかった。

僕が「自分らしい生き方」ということに拘り、そういう生き方を貫こうとしている人を応援したいと思うようになった、原点なのかもしれない。