生きているという「幸せ」。

僕の妻は僕と結婚する前、DCカードというクレジットカード会社に勤めていた。

当時の僕は、CREED EXECUTE(信条を遂行する)という名前のチッポケな会社を経営していたが、DCカードは、そのチッポケな会社の大切なクライアントだった。

DCカード時代の彼女の同期の友人や先輩達とは、僕も仕事上の付き合いを超えて仲良くさせてもらっていた。そのうちのひとり(夫婦)と僕らで、一緒にハワイ旅行に行ったりもした。

大学院で臨床心理を専攻している妻は、今日は学会というかカンファレンスというかがあり、先程、帰ってきたが、開口一番で僕に話しかけたことは、なんと、彼女の友人の子供が「突然死」したということだった。双子のうちのひとりで、1才になったばかりだった。

考えてみれば、高齢出産だったこともあってか、僕らの子供も、1度は流産をしかけて、1度は早産をしかけてと、この世に生まれてこれなかったとしても不思議ではなかった。

僕は詳しいことは知らないが、「ここのところ整理ができなかったことが整理できて、今日のカンファレンスはとても有意義だった。何が一番大切かが、よく分かった。悠生(僕らの子供)が一番大切だ。優先順位を間違えないようにしないと・・・」と言っていたが、と同時に、僕が取り込んだままにしていた洗濯物をたたみながら、涙を流していた。同じ女性として、さぞかしショックだったのだろう。

僕も何と声をかけていいか分からず、こうしてブログを書いている。

こうして「生きている」ということは、ただそれだけで「幸せ」なことである。

人間は愚かな生き物で、その「幸せ」に気づかないのかもしれない。

24日の告別式には、夫婦で参列するつもりである。

追伸:昨日(金曜日)お会いした投資会社の方から、「CREED EXECUTE(信条を遂行する)って、いい名前ですよね」と褒められた。この名前に込めた「意味」が、僕の原点である。