「ブラッド・ダイヤモンド(紛争ダイヤモンド)」。

連休谷間の5/2(水)、久しぶりに映画を観に行った。

今回観た映画は「ブラッド・ダイヤモンド(紛争ダイヤモンド)」。

「ラストサムライ」のエドワード・ズウィック監督が監督/製作を務め、キャストには「レオナルド・ディカプリオ」「ジェニファー・コネリー」「ジャイモン・フンスー」等が起用されており、「ダイヤモンドの原石」が採れるアフリカ西海岸の「シエラレオネ」という小さな共和国が舞台となっている。

この映画は、ダイヤモンドの「密輸」とその密輸が反政府軍である「RUF(革命統一戦線)」の「武器購入原資」となっていること、そして、その「内戦」により多くの人命が犠牲になり、「RUF」により多くの「少年」が「兵士」にされている事実を描いたもので、ドキュメント(事実)をベースとしたフィクションである。

僕はダイヤモンド産業の構造については無知であるが、この映画の描写によると、「密輸」されたダイヤモンドは税関の職員等を買収して、巧妙な仕組みにより何カ国かを経由し、最終的な「消費地」である「給料の3ヶ月分」のダイヤモンドを買う先進国に輸出されている。

我々日本を含む経済先進国の価値観が、このシエラレオネのような「鉱山資源」保有国に対する「搾取の構造」を生んでいると言っても過言ではない。

そのような「ブラッド・ダイヤモンド(紛争ダイヤモンド)」を市場から排除するための国際的な対応策として、2000年に「キンバリープロセス」という制度が設置されている。

さて、映画の背景の解説はこのぐらいにして、僕がこの映画を観て感じたことを書きたいと思う。

僕がこの映画を観て強烈に印象に残ったのは、無垢な子供達が犠牲になっていく姿だ。何の罪もない人を殺害し、また、彼らの腕や足を切断し、そして、そのような行為を子供達にさせる。子供達は「麻薬」も使われながら「洗脳」されていく。どうすれば人間は、そこまで残虐になれるのか?ということが現実として起きているという事実だ。

エドワード・ズウィック監督は、今回の映画を撮るために様々な文献を読み、現地を視察し、現地の人々の話しを聞き、ドキュメンタリーフィルムを観たらしい。また、主役のひとりであるジャイモン・フンスーは「現実に起こったことをそのまま映画にしたら、殆どの観客が映画館から逃げ出してしまうだろう」と言っている。

ところで、年明け早々に「幸せのちから」を観に行った時にもそう思ったが、子供が出来てから、僕は物事に対する見方や感じ方が大きく変わったと感じている。今回の映画も、子供が生まれる前に観ていたら、ここまで心を揺さぶられなかったのではないかと思う。

映画を観ながら、田坂広志さんがETICのイベント(STYLE)で言っていた「我々は、ノブリス・オブリージュという言葉の意味を書き換えなくてはいけません。高貴なものが抱くべき義務という意味から『恵まれたものが持つ義務』という意味へ」という言葉の意味と「社会起業家」という言葉の定義を改めて考えた。

ノブリス・オブリージュの新しい意味はここまでの文章で既に伝えたつもりなので、「社会起業家」という言葉の定義について、僕なりの解釈を書きたいと思う。

僕は「社会起業家=NPO等の非営利団体」とは思わない。もちろん、NPOやNGOを設立し経営している人達は社会起業家のひとりだと思う。

でも、この映画の監督である「エドワード・ズウィック氏」も、社会起業家であると僕は思う。

実際の市場規模は知らないが、おそらく世界的には何兆円という映画市場を活用し、超一級のエンターテイメント性を保ちながら、僕たち観客に「地球上で起きていることを考える」機会を押し付けがましくなく教えてくれる。それは、とても素晴らしいことだ。実際、この映画に出たディカプリオやジェニファー・コネリー、ジャイモン・フンスー等が中心となりカンパをし、それをもとに「ブラッド・ダイヤモンド・チャリティ基金」なるものが設立されている。そして、彼らがこの映画を配給した「ワーナー・ブラザーズ」にその主旨を説明したところ、彼らが寄付した金額と同額を出してくれたという。

僕にどれだけのことができるかは分からないが、ドリームビジョンにおいても「社会起業家的な成功」を求めていきたいと思う。