「暮しの手帖」。

昨日の日経新聞の夕刊に「暮しの手帖」の編集長をされている松浦弥太郎氏のインタビュー記事が載っていた。松浦氏は高校を中退し、フリーター生活をしていた頃があったらしい。社会に適応できなかったと述懐している。

その松浦氏は、毎朝9:15に出勤し、17:30には退社する生活を続けているという。出版社イコール深夜まで仕事をするという業界構造のようなところがあるが、彼は「家族との時間などを通して生活を味わわなければ、いい雑誌はつくれないという信念を持っている」と言っている。

ところで、僕が子供の頃、我が家は「暮しの手帖」を購読していた。正確に言うと、母(産みの母)が購読していた。彼女は、高校を卒業して地元の民間企業に事務職として就職をしたが、こんなつまらない仕事を一生したくないと退職し、大学に入り、教職の資格を得て、学校の教師になった人だった。ある意味、世間に媚びることのない人だった。

その母が読んでいた「暮しの手帖」のことを、「この雑誌は他の雑誌とは違う。どこが違うか分かるか?」と父が僕に言ったことがあった。「分からない」と答えた僕に対して、「この雑誌は『広告を一切、取っていない』ので、記事(商品の解説や批評)が信用できるんだ」というようなことを教えてくれた。まだ、小学生の頃のことだったが、何故か、とても印象に残っている。

僕はそんな両親の子供だということを、子供が出来てから、より一層強く認識するようになった。
「血は争えない」というのはこういうことだろうか。